『風塵鈔ー2』ー司馬遼太郎
●文化の再構築について-①

明治維新という革命は、このままでは日本は亡びるという危機意識からおこされた。そのあと、玉石ともに砕く欧化主義がとられた。「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」というように、痴呆的なまでにその勢いがすすんだ。
明治20年代になって、このまま欧化がすすめば日本も日本人そのものまでなくなってしまう、という新しい危機感がおこった。国民文化を中心に自己を再構築せよ、という運動だった。むろん国粋主義でも右傾化でもなかった。
運動を始めた人達には、西欧の学問を十分やった陸羯南(くがかつなん)のような人が多かった。羯南は明治期を通じてもっとも魅力的な人格を持つひとであった。かれは、この運動のために小さな新聞『日本』を興した。
この人の知性と徳のもとに集まった若い同人たちは、いまの入社試験ではとても採れそうにない人達ばかりだった。正岡子規、三宅雪嶺、長谷川如是閑、鳥井素川、丸山侃堂など十指に余りあった。
 
たとえば子規は、かれらの新聞『日本』に拠って、うらぶれ果てた俳句短歌を革新する運動をおこした。羯南がなければ子規はなく、子規がなければ、俳句も、芭蕉以来の電池の切れた古い懐中電灯の殻同然になつていたろう。
むろん。こんにち世界中で愛され始めているハイクもあり得なかった。