わたしとぼくとおれの時間 | REALies Rayka オフィシャルブログ 「-My Trip Theater-」 powered by Ameba

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昨日は起きたのが遅くて、予定もパーになってしまい、更になんとも言えない身体の重さが辛かったので久しぶりに気分転換にと本読んでました。
念願のFF6をゲットしてから、ゲームもちょっとずつやってて、それなりに気分転換にはなるけど、長くやると時間に対する罪悪感で余計に気持ちが重くなるんよね。やから最近は寝る前に数十分とか時間決めてやるようにしてます。

今やってんのはFF6アーカイブ版やけど、全クリするのにこのペースやと数ヶ月かかるな。でもそれがいいのかもという持論がありまして。
さてそれはどういう事かという話しですがまず
なんで子供の時あんなに熱中してたんやろ、とか考えてたら、ゲームする時間を家族に決められてたからかな、と。
限りある時間やからこそ全力で必死に楽しんでたんやろうな、という事です。
そういう縛り、があったからこそ許された1~2時間が貴重で、クリアできた時の感動はハンパないし、ハマった要素の付加価値としてそういう背景があったんじゃないかなと思うのはなんとなく同世代の俺のような環境やった人には共感得られるんじゃないかと思ってみたり。

また当時のスーファミ、PS1世代にとってはセーブポイントまでたどり着くというのは必須であって、まだかまだかとポイントを待っていた緊張感は今でも覚えています。
そしてまた、どうしてもセーブポイントまで一時間ではたどりつけず粘っている時に、ついには家のものに電源を切られた時なんかはもう発狂もので、あの時の絶望感は底知れぬものがありました。
今のゲームはだいたいオートセーブやスリープ機能あるし、もうあの頃のある意味でのスリルは醍醐味でもあったんやなあとか。


時代が進むにつれ生まれる便利なものは生活や人生を豊かにする。
しかし、便利が故失った物があるというのもまた事実ではないだろうか。



はい。そんな訳で冒頭の話しに戻りますが本はそういう時代の進化の影響を受けず、ずっとその存在の在り方が根本的に変わらない素晴らしいものだと思うんです。

近頃は電子書籍とかもあって、俺も興味はあるんやけどやっぱり。
俺は手に取りページをめくる、本は永久不変なものだと思ってそういうのもあって愛してます。

基本的に古い物、サブカルチャー、ノンフィクションが好きで話題の作家等は進んで読むことは少ない(といっても有名どころはちらほらチェックはしている)のですが、今はなんとなく見てみた東野圭吾さんの作品が面白かったので、こういうどよんとして自閉したい時によく読んでます。
まず東野圭吾作品の好きな所はテンポ感が非常にいい。
最近よくある推理サスペンスやサイコ系の、ダラダラと長い時間をかけ伏線をひろげ、最後にどんでん返し!みたいな手法にはもう飽き飽きしていたし、伏線の回収がざっくりでラストの重みもなく、、というのが非常につまらなくて嫌だったんだけど、
こういうテンポ感がありつつ、かといって読者を複雑難解なトリックで置いてきぼりにしないストーリー構成や
登場人物のキャラ設定、すぐに背景や感情が見える文体に好感をもてて、
俺は重々しく奇妙な作品が好きではあるんだけど、この作者の作品に関してはそれとは違う、さくっと読める爽快感が気に入ってます。

俺は読むのが遅いので時間かかってしまうのがネックやけど、本はいいですよ。やっぱり、好きだ。







ところでよくここまで読んだね。


あなたとはきっと、何か話が合いそうなきがする。


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ユーベリーグーよ。