1231.2024年5/9 バス停にいた。ふと見回すと、男35くらいが私を見つづけていた。目があうと、顔をさらしたまま目だけを巧みにそらした。芸当である。

 ごほっ。住宅街の奥まった家から自転車ででてきそうな男が、そうやった。通りがかった私を見てである。やりかえした。

 その自転車が左脇を前へいく。うゎわぁーと叫んでやった。40くらい。ママチャリ。やりかえしてこない。やるのはお手のものでも、やりかえされるのには慣れていないとみえる。

 駅の改札へむかった。でてきた男が、ごほごほっとやった。48くらい。

 エスカレーターをのぼりきった。くだっていこうとする男がごほっとやった。

 ひと駅めに着こうというとき、左むこうで老人男女が立ちあがる気配があった。気づくと女60くらいが私に体をぴたりとむけて、男(夫?)にべちゃくちゃ話しかけていた。

 俗物的な人がいる。「自分がいまや無精神性の奴隷であり、あらゆるもののうちの最も憐れむべきものになっていることに自分で気づいていない」と、キェルケゴールはそんな人間を描いた。(『死に至る病』)