★マッチングアプリで彼と出会う。50。cincuenta.

1310~1335

●スポーツ少年の母。

1335.2024年8/12 32才の母は11才の長男がいらいらすることに悩んでいる。彼はスポーツをやっている。

 加藤諦三はいう。――子供を通して自分の夢を実現させようとする。非現実的な期待です。

 運動の能力があってもなくても、あなたには価値があるといってあげよう。マドモアゼル・愛。

●麦わら帽子の男。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。

1334.2024年8/6 阿佐ヶ谷アルークをいく。ごほっ。すこし先からきている70くらいのじじいが、口元に手をあててそうやった。目の前に中年のふたりの女がおり、じゃまだというわけである。女のひとりは、こんなところで犬の散歩をしている始末だった。ごほっ。麦わら帽子のその男がまたやった。女ふたりを抜かした。私は犬のほうへいき、知人同士らしい女ふたりとすれちがった。

 バス待ちの列ができていた。女のうしろにつく。65くらい。女はたちまち顔をこっちにむけ、にらむように私を見た。このあと、ごほっごほっと何度もやった。わざとにきこえたのに、そのすぐ前の老女が、喉にきくからとか何とかいって飴玉をあげた。このふたりは知りあいではない。

 最前列左に乗った。ごほっ。右ななめうしろから男が、私にむかってそうやった。50くらい。うえっ。

 男が集合住宅の通路を背に、細道に体をむけてしゃがんでいた。73くらい。その男がそんなふうにしているのをよく見かける。ひとり身をもてあましている。

 青梅街道の歩道を女がきていた。32くらい。真ん中をきている。すれちがおうというとき、女は私の左ななめ先の店へと顔をむけた。こうして私を視野から消すことはなかった。

――ぜったい離れねえよ。

 いってやった。

 小道へ入った。スマホ男を抜かした。サラリーマンふう、25くらい。すっすっと前へいく。ごほっ。距離ができた私に、その男が思いっきりやった。

 ごほっ。道をあいだにすれちがおうとする女が口を鳴らした。32くらい。

 料理配達のバイクの男がいた。道に体をむけている。通りがかった私にバイク越しに、ぴしーっとファスナーの音をたてた。まただ。

 チノパンを洗って、水を絞っていた。ううっ。ベランダからそんな口中音がきこえた。男がそこにいてそうやった。32くらい。生活音への無闇な反撃である。これで何度目だろう。やりかえした。憤りがこみあげてきた。空のペットボトルを壁にぶつけた。目隠しになる板塀ふうのものを造りつければいいのに、まったく何の手立てもしていない。それだから午前零時をすぎて、みしみし足音をさせる。灯りの消えているこっちの居住のようすをうかがう。

「醜い女は美人が額に浮かべる汗を蔑む。蔑みは、金と安眠をもたらしてくれる。良心に恥じることなく毎晩ぐっすり眠れるってあんばいだ。」(「塵[ゴミ]、都会、死」)

●釣り竿の男。E・M・シオラン。②

1333.2024年8/12 帰りの電車において、ドア脇にすわった。両ドア空間すじかいの男がスマホから顔をあげ、すかさずというようにこっちを見た。23くらい。

 右すじかいの男が眠っていた顔をあげた。70くらい。足を組んで体をこっちにむけてスマホを見始めた。やってることは類型行為そのままである。

 ひと駅めで席を立った。ほかにあいている席はある。

 同じ車両の、そいつから離れたところにすわった。長椅子の端である。そいつは、私に気づく前のようにうたた寝をしている。道徳なんて学んでいそうにない。

 真ん前にスマホ女がすわっている。そのうちこっちを気にするのだろう。

 終点についた。エスカレーターがすくのを待つ。あのうたた寝男がホームの端を階段口にむかって歩いていくのがみえた。リュックを背負い、長いものを手にしている。釣り竿である。釣りで疲れていたというわけだった。

 だれもいなくなったエスカレーターのほうへいく。線路のむこう側のホームにいる女23くらいが、私の動きを見つづけている。目をむけると、すでに目をそらしきっていた。この女と中央通路ですれちがおうという事態が生まれた。てのひらでぱーとやってやった。

 まいばすけっと中野三丁目店に男がいた。43くらい。パン棚の前にきた。すぐに私のいるほうに体をまわし、私に体をむけて数瞬とまり、私を見て惣菜の棚の前へ動いた。またこんなのがいた。

 喉が癒しをもとめていた。600ミリリットルのペットボトルを飲みながら小道を歩いた。自転車の灯りが近づいてくる。いやな予感がした。飲みきらないペットボトルに蓋をし、そんな灯りを浴びないように離れた。四つ辻を突っきってくる自転車男40くらいは、うっと口を鳴らして電柱をあいだに私とすれちがった。一体何のためにこんな時間に自転車に乗って、どこへいくのだろう。滑稽千万である。

 E・M・シオランは「黄金時代」においてこういう。「私たちの存在の最深部、自我のまた自我のごとき場所を除いては、楽園の存在しようもないのである。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●ワオンステーション。①

1332.2024年8/12 料金の問いあわせにいく。ひとりの男は私がいるのを見て、ごほっとやってでていった。このときちかくにいる男は受付画面にむいているものの、片方の目で、係員を待っている私を見つづけた。スマホを見ているふりをしているばかりで、自分のことはそっちのけにみえた。

 せまい道をいこうとした。立っている男がいた。スマホから顔をあげ、その顔をこっちにむけた。私をにらんでいる。うえっ。もどった。

 ミニストップでワオンステーションをつかう。このとき左の先に男がいた。25くらい。つかいおわってでていこうとするとき、この男は私に体をぴたりとむけてスマホに目をおとしていた。たいして用もなくそこにいるのだとみえた。

 二人がけすじかいに女がすわった。23くらい。しょっちゅう顔をあげて、こっちをうかがっている。またか。

 左むこうのドア脇に女がきた。ドアに右肩をむけ、体をこっちにまともにむけている。もしこれが逆の立場なら、この女は、首をまわして私を見つづけるだろう。

 ドアをむいて立った。横に男がきた。35くらい。肉体労働者ふう。なんで真横にきて私とおなじようにドアをむいているのだろう。こんなやつと並びあわないように、うしろへさがった。

 次の駅で私のすぐ前に女が乗りこんだ。30くらい。しまったドアを背にスマホを見ている。これは私を見ているのと同義である。

 180度回転した。目の前のドア脇に、ドアを背にしてスマホ片手の女22くらいがいた。それで左にずれた。

 男がすわっていた。27くらい。サングラスをかけている。優先席のドア寄りの端であり、幅をとって自分本位にゆったりすわっている。だから三人がけの中央に人がすわりにくくなっている。おまけに足を組んで、前方にも人がきにくくなっている。勝手なやつだ。

 その前ちかくに立った。ごっほごっほ。その男がわざと口を鳴らした。

 その場で半回転した。肉体労働者ふう男の背後に立つことになった。ドア脇女からの視線を小冊子で断ち、冊子を読むとなると視力を弱めるので、目のために窓上の広告ポスターなんかをなんとなく見ていた。

 車両をかえた。長椅子にすわる。すじかいの女がきょろついて、こっちに視線を投げている。50くらい。

 席を立つ。

●ひとりの娼婦がいう。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。

1331.2024年8/8 中野駅西の坂に作業員がいた。28くらい。同駅の大工事中である。その男は、下っていく私に体をむけて仁王立ちし、ずけずけこっちを見ていた。あと一メートルくらいのところで、今度は背をむけた。私が下っていくさまを後ろから見るという腹がすけすけだった。

 外国人の男、17くらいが、乗ったときからケータイ通話をしつづけていた。何語かわからない。そこは優先席である。肌の色は白ではない。スリランカ人?

 ごっほごっほっ。両ドア空間の左むこうの男がわざとそうやった。55くらい。顔をあげてドアガラスを見ている。そこに映る私を見ている。

 左ななめ前のドア脇に女が立った。28くらい。スマホ。体をぴたりと私にむけている。

 その女、および私の横にすわっていた女40くらいが、私よりも先におりた。私は女ふたりのあとをいかないように、わざわざ左をとった。もどると、ドア脇ぴったり女が、はじめ私がいったほうにもどってきていた。この女こそ、第一のカモフラージュをした。

 駅の地下通路を男がきた。55くらい。サラリーマンふう。首をまわして私の左側にあるポスターを見ているけれども、顔をさらして私を明瞭に視野にいれていた。

――またこっち見てる。

 いってやった。

 バスに乗った。最前列左にすわる。ううっ。うーううっ。ううっ。発車まで口鳴らしをしまくったのは、なんと運転手である。50くらい。私を意識してのことだ。

 街道に狭い歩道がある。そこを女がきていた。60くらい。ちいさな日傘をさしている。時間が時間だから日射しは弱い。日傘は何のためだ。顔を隠すことで、すれちがう私を排却攻撃するためにちがいない。

 集合住宅の空きスペースに入りこんだ。そんな女がいってしまうのを待った。人を意識し過剰反応する女だ。女は私がどこにいるのかを、日傘をさしたまま見ていた。うえっ。

 ローソン100高円寺北店に男があらわれた。28くらい。サラリーマンふう。棚にたいして体を45度にし、同じ通路にいる私を眼界にいれつづけた。

 通路をかえた。買うものは決めてある。それを書きつらねた紙を、立ちどまって見ていた。顔をあげると、棚の商品の隙間からその男の顔がこっちにむいているとわかった。神経がさつ男がまたいた。人からどう受けとめられるのか、何とも思っていない。

 からっぽの自分が、他人にたいして虜囚となっている。こんな人ばかりがいる。

 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの「塵[ゴミ]、都会、死」のなかにこうある。「都市は宥和的な身振りへと逃れるのさ。全てが均一、似たものどうしってわけだ。」

 また、ひとりの娼婦がいう。「あんたが今も現にしてるみたいに他人に劣等感を植え付ける女なんて、私たちの中にはいないよ。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●阿佐ヶ谷アルーク。ドストエフスキー。

1330.2024年8/22 ルック商店街を西へ突っきった。数秒後、ごほっとうしろから口鳴らしがとんできた。二十代らしき男が商店街を北へいく。この男にやりかえした。

 JR高架下アルークal:kuをいく。自転車の男が北の道から入りこんで、ぅうーううっと私の顔の前で口を鳴らした。35くらい。方向と時間をととのえて狙いすましてそうやって、すれちがった。経済と享楽、この二項への志向を太らせているばかりの男にちがいない。

 街道において反対側の歩道から、男が道をななめに渡りはじめた。22くらい。車が通っていない空隙をついて、こっちにまっすぐむかってきた。

 私はこの男のいたほうへいく。走ってくる車にぶつけられるあやうさがあった。男は私のいた歩道へ入りこんだ。首をまわして、離れた私を見ている始末だった。個我がない。とならーの心理をもつばかりだ。人に合わせることに血道をあげる傲慢ストーカー女と同じ性向である。

 環七のセブンイレブンに男がいた。25くらい。私が注文した揚げ物が用意されているとき、この男は左のレジ前にいた。あたため待ちか何かで棚と棚のあいだにしりぞき、そこから私を見るとともに、帰っていく私を待ち構えるつもりらしかった。私は奥をまわって外にでた。

 NHKR1にダイヤルをひねった。あの女、村上何とかの声が流れてきた。みんなで子育て深夜便か。ママ深夜便という番組タイトルはリスナーを上から限定していることから、さすがに変更を余儀なくされたのだろう。長老女子アナ渡邉何々が川端氏にかわってせいせいしたけれど、みんなで自分育てというタイトルにかえたら聴取率はあがるだろう。

「人々はもっぱらお互い同士の羨望と、色欲と、尊大さのためにだけ生きている。」(『カラマーゾフの兄弟』)

●月の輪熊みたいな。B・パステルナーク。

1329.2024年8/20 日傘の女がくるとわかると、道をかえた。それで流れつくようにエトアール通りをいくことになった。気づくと、男が私を見つづけて歩いてきていた。68くらい。いつものように見かけだけは上等である。月の輪熊みたいな顔に、永遠への精神性は欠片もないとみえた。

 ひとりがけの席がひとつだけ、運転席のうしろにある。そこにすわった。

 女が乗りこんだ。私を見た。こっちはこんな女の顔なんか見てもいない。左のすぐ前である。ごほっ。ごほっ。ごほっ。女は何度もやった。わざとである。45くらい。マスクはしていない。

 停留所であらたに客が乗った。女はうしろへいく。このあと、一度も咳真似はしなかった。そもそも乗った時点で私に背をむけることができたのにしなかった。人が気になってならないのである。うしろから見られると思ったのか。人にかかわって存在感を得るやつがまたいた。

 地下鉄に乗った。乗りこんだ女が、二人がけすじかいにきた。スマホから顔をあげてはこっちを見ている。ぜったいに視線をそらさない。

 まいばすけっと高円寺南一丁目店に男があらわれた。23くらい。商品ではなく私を見ている。私がいるほうにきた。避けると、ごほごほっと口を鳴らした。半ズボンにTシャツ。定型男だ。

「涼しい白樺林にいかにもふさわしく、小鳥が涼しげに啼いていた。無知なまでの純真さを誇るように、そのゆたかな啼き声は森じゅうにひろがり、その隅々にまでしみ通る。」(『ドクトル・ジバゴ』)

●おさかな食堂。ドストエフスキー。

1328.2024年8/21 女が外にでた。こっちの水流の音にあわせた。ストーカーめ。人生の形而上の目的のないやつだ。

 裏小路から阿佐ヶ谷パールセンターへ入った。そこの料理店、おさかな食堂から食べてでてきた男が、ごほっとやって私とすれちがった。このとき男はすでに私を見おわって、顔をそむけていた。

 折り返しの初発に乗った。となりの車両に寝ている女がいた。23くらい。ガラス越しにそれがみえた。

 長椅子の、その女のすじかいに、男がきた。たくさんあいているのにそこにきた。勤め帰りふう。30くらい。女を見ている。だれも起こさない。近づいたら、やばい。いいがかりをつけられてしまう。

 とうとう出発だ。そのすじかいの男は、ひと駅でおりた。それならなおさらそんなところにすわることはなかっただろう。

 すじむこうに男がすわった。55くらい。さっそく体をこっちにむけてスマホである。スマホ目八分気味の顔を私にむけている。

 眠っていたあの女が起きた?

 すじむこうの男は、やり口をかえない。かわらない人を見るのは、いつものことだね。

 ごほっ。改札内ですれちがおうとする男がそうやった。33くらい。芸術性皆無とみえた。

 登り坂で女が私を抜かしていく。22くらい。このあと首を90度まわし、店舗のガラスに映る私のようすを見た。うえっ。運動系とはみえない。阿佐ヶ谷アルークal:kuにいた女とは別種である。

 すーっ。賃貸マンションのアプローチからでてきた男が口を鳴らした。

 女が曲がりこんできた。45くらい。私とすれちがう寸前に、私のきたほうに足先をふりむけた。道をはすかいにくる。私を見ながらだ。

――やっぱりきた。こっちきた。

 いってやった。女は顔をむけた。うえっ。

 まばすけっと中野三丁目店に、いかにも勤め帰り風情の女がいた。42くらい。ずんどう体型。公務員か。首を90度まわし、私がうしろからくるかどうかをたしかめた。

 この女は通路の角にいて体の半分を棚に隠し、残り半分を、遠くにいる私にむけていた。私が気づいたときには伏し目であったけれども、もっと前から私をうかがいつづけていたのにちがいない。そんな面様[おもよう]をみせていた。

 読書ノートをたどりかえした。「この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。」(『カラマーゾフの兄弟』)

●JR東海。

1327.2024年8/15 森永卓郎は学生たちにいう。夢をもつな。いまやるべきことを一ミリでも前へすすめろ、と。JR東海が明日の台風接近に備え東海道新幹線の計画運休を発表したことについて、森永は声高にいった。台風の動きを見て一ミリでも前へすすめろ、と。

●中野駅南口セブンイレブン。

1326.2024年8/18 中野駅南口をでた。西へいくと中野通りがある。そのむこうの角にパン屋があったけれど閉店し、いまはセブンイレブンになっている。その店前に男が立っていた。35くらい。ハーフパンツにポロシャツである。色や柄はちがえどあの、日東マンション無断侵入迷惑行為遂行自宅防犯カメラあり男と同じかっこうである。気色わるいことこの上ない。男のハーフパンツが同性に不快感を催させている。わからないだろうなあ。

 男はスマホ片手に顔はJRガード下のほうへそむけているものの、それ以外の全身は横断歩道を歩く私にむけている。セブンイレブンに出入りする人たちにまぎれこむようにそこにいて、人の目を瞞着しつつ、もっとも当人にそんな意識はなくて、夏の薄着の女を物色しているのにちがいなかった。

●台風と壇蜜。アウグスティヌス。

1325.2024年8/16 台風がくる。外にでるのを控えざるをえなかった。それでNHKR2に壇蜜がでているのを知った。彼女は週に一度はスポーツクラブにいって一キロ泳ぐ。そのあと大きなお風呂に入る。これが気持ちよく、冷え性にはいいそうだ。

 本を読める時間ができた。そのやり方はずいぶんかわった。端々までなめつくそうとしているので、歩みはおそい。

 アウグスティヌスはいう。「主よ、ただあなただけが私のなぐさめ、わが父、永遠です。それに反してこの私は、順序も知らない時間のうちに散らばっています。あなたの愛の火にきよめられ、とかされ、あなたのうちにとけこんでしまうまでは、魂のうちなるはらわたともいうべき私の思いは、さまざまの騒々しいことがらによって、ずたずたにひきさかれているのです。」(『アウグスティヌス 世界の名著16』)

●大崎善生と高橋和。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。

1324.2024年8/5 QBハウス阿佐ヶ谷店に順番待ちの人がいっぱいいた。店外の所定の椅子で待った。ううっ。通りがかった女が、私を見て口を鳴らした。65くらい。着飾っている。他人にかかわって初めて生きている実感がもてる。そんなやつがまたいた。

 ドア脇に立った。すわれるところはあったけれど、眠りこんでいる女40くらいを見ることになりそうで、避けた。

 男がおりていく。70くらい。よけた。このとき長椅子のまんなかあたりにすわっているスマホ女が、こっちを見ているとわかった。きょろつき女である。28くらい。

 帰りは、ぎりぎりに乗れた。すわる。両ドア空間すじむこうの男が、こっちに顔をむけた。見返してやると、顔を元にもどした。60くらい。足を組んでいる。ブルージーンズ。高卒バイト労働者か。スマホを見るでもない。腕組みしている。ひまそうだ。高田馬場でおりていく。

 作家の大崎善生が66才にして咽頭がんで亡くなる。奥さんは女流棋士、高橋和である。

 まいばすけっと中野三丁目店に男がいた。25くらい。惣菜の棚にたいして30度ずらして、ちかくの私を視野にいれていた。

 レジ精算中、左のレジに22くらいの男がきた。レジにたいしこの男も体を30度ずらし、店員による会計作業よりも私の存在が気になってならないといったさまだった。人にどう見られているか頓着なしであり、自分がよければそれでいいといった身勝手さをみせた。

 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの「塵[ゴミ]、都会、死」にこうある。「賢い人間は自分を能なしと見なす。愚かな奴だけがおのれの限界に気づかない。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●杉内コーチのばか。

1323.2024年8/21 ノーアウト満塁のピンチに、山崎伊織が連続三振をとった。あとひとりというとき、巨人ベンチからピッチングコーチの杉内がマウンドへいき、間をとった。勢いがそがれ、山崎は次打者に打たれた。

 この場面について、解説者の谷繁元信は勝敗をわけたポイントにあげた。一夜あけたこの朝、スポーツ新聞に宮本慎也も同じ趣旨のことを書いた。

 杉内のばか。

●須田慎一郎おじき。ウンベルト・サバ。

1322.2024年8/19 郵便局員が荷物を配達しにきた。ネットで注文した半袖二枚である。すぐにドアをあいだに応じたものの、服を着るのに時間がかかった。

 ごほっ。

 その配達員がやった。真正のものにみせかけた咳払いである。暑いなか待たされているというわけである。腹いせ。陋習に染まった男がまたいた。軽いダンボールをこっちに手渡すとき、人の顔を見た。うえっ。

 ニッポン放送に「しんしん」こと須田慎一郎おじきがでていた。総裁選への意欲をみせる茂木について、こんな暴露話をした。――車で移動中、運転手にいった。仕事をするから揺らすな、と。無理難題をふっかけた。高速に入り、段差があって揺れた。茂木は運転席のバックシートを蹴った。

 こんなやつが派閥の領袖だった。この国の舵取りをする?岸田と同じく財務官僚のいいなり?

 ウンベルト・サバの「『詩集』より」にこうある。

「やがてぼくは、彼女の胸を去り、遠くに行った。ぼくは彷徨った、さまようのが、人間の性だから。人生がぼくをうちのめしたが、敗けたのは半分だけ。心は生き残った。

 いまも、ぼくのために夜の鶯は歌い、薔薇が棘のなかで、ひとつ、咲く。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●久本雅美。B・パステルナーク。

1321.2024年8/19 TBSラジオに森永卓郎がでていた。がん闘病中であるものの、十一冊の原稿を同時執筆している。一日十八時間である。今年67才。心配なのは体重が減りつづけていることであり、50.5キロしかない。このままいくと40キロ台になる。

 久本雅美。いま66才。中野区内で七回引っ越しをした。新宿の夜景を見たかったからである。いまは二百平米の低層マンションを借りている。

 借りたほうが、買うより賢い。なんとなれば、周囲にどんなやつが住んでいるか住んでみなければわからないからである。この点でしくじったのは、湘南に家を買ったはるな愛である。

 トーニャの一行は泥炭地のプラットホームに降り立つ。「この僻地の生活は歴史から置きざりをくい、ぽつり取り残されていた。それが都会の獣性に染まるのはまだこれからのことであった。」(『ドクトル・ジバゴ』)

●あごひげの男。E・M・シオラン。

1320.2024年8/10 集合住宅から女がでてきた。23くらい。でてきたほうを見ている。男がつづくのである。私は前を見て歩いた。

 ごほごほっ。

 見ると、でてきた男がそうやった。あごひげをのばしている。目についた人を相手にして初めて生きる実感をもてる。チンピラ高卒だ。

 阿佐谷パールセンターは七夕まつりでにぎわっていた。魚料理店の脇の細道へ入っていこうというとき、うっと男が私の首の横に口を鳴らした。23くらい。女ときていた。

 阿佐ヶ谷駅ホームにおいて、ごほごほっと男が咳真似をした。こいつも女とならんで歩いていた。18くらい。

 席にすわった。ひと駅めでひとつおいたむこうに女がきた。19くらい。こっちを見そうだ。

 席を立つ。となりの車両に移った。ドアをむいて立った。ごほごほっ。右ななめうしろにすわっている女がそうやった。ふりむいた。22くらいの女がスマホを見ている。うゃあー。私は叫んでそこを離れた。

 元いた車両の通路を歩いていく。長椅子の端を通りがかるや、うっとそこにすわっている男が口を鳴らした。23くらい。

 さらに歩いた。すわっている女、20くらいが、凡庸な目を私にむけた。

――こっち見てるっ。

 いってやった。

 すじかいがあいているのに、男が真ん前にきた。68くらい。顔をあげてこっちを見ている。

 ごっほごっほ。長椅子のほうの男がやった。

 ごほごほっ。今度は真ん前の男がやった。またこっちを見ている。

 プラットホーム上にクーラーの吹き出し口がある。暑さしのぎにそこに顔をあてて涼んでいた。女がきた。18くらい。ちかくに立ちどまった。スマホを見つつも、ホームドアから30度体をずらして私を視野にいれつづけていたと、そこを離れるときにわかった。

 女がきた。50くらい。だんだん道の中央へと寄った。まただ。確信犯だ。

 帰りは、ひと駅めですわった。すじかいのスマホ男、22くらいは、私に体をむけて足を組んでいる。定番男。かわらない。

 桃園通りを歩く。スマホ片手の女25くらいが、道をはすかいにまっすぐこっちにむかってきた。まただ。

 この女のいたほうへ移っていきざま、いってやった。

――ひとのいるほうへくるっ。

 まいばすけっと中野三丁目店において、女28くらいは体をこっちにむけ顔は商品棚にむけてずんずんむかってきた。またこんなのがいた。

 ふたたびの桃園通りにおいて、男35くらいが私を意識し、私を見て、ごほっと口を鳴らした。やりかえした。離れてからふりむいて、その背にさらにやってやった。

 前方をいくカップルがこれを聞きつけた。男30くらいも女24くらいも、うしろの私へと顔をむけた。

 E・M・シオランは「黄金時代」においていう。――何ごとかに身も心も捧げつくす人間は、あたかも「普遍的調和」の到来を待ち望んでいるかのように、あるいはその推進者だと信じこんでいるかのように振舞う。行動するとは、目前の未来に、手を伸ばせば触れそうなほど近い未来に腰をすえること、その未来と一心同体になることだ。(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●藤波朱理。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。②

1319..2024年8/9 地下通路において、曲がりこんできた男とすれちがう。53くらい。私がよけた。男は、よけた私を見ていた。

――ぜったいよけねよ。

 いってやった。離れてからその背中に、大きめの声でたたみかけた。

 男は傲慢そうに、うしろを見ずに去っていく。

 マンションの自転車用通路にいた。住人らしい女が、私がここにいるのを見つつ出入口へむかった。68くらい。

 裏道を歩いた。道の反対側をきている男が首を90度まわし、私の行く手に目をむけた。こうして私をまともに視野にいれつづけた。

 道が鍵型に折れ曲がり、犬の散歩の女が見えてきた。40くらい。女は電柱に隠れた。

 ひとつおいたむこうに女がいる。70くらい。こっちを見ている。体を30度ずらして本を読みつつ、こっちを気にしている。まただ。

 まいばすけっと中野三丁目店に白いスニーカーの男がいた。23くらい。私がいるとわかると、私に体をむけて立ちどまった。すぐそこの棚の商品をさも興味ありげに見始めた。私を視野にいれては、こういうことを何度もやった。

 55くらいの女がいた。要冷蔵の総菜のところである。そこに私がこの日最後に買い物カゴにいれたいと思うものがあった。早く帰りたいために仕方なく近づく。女は横にずれるかと思いきや、体をまわし私に全身をむけた。糞尿袋だ。私を見た。うえーっ。きもちわりーっ。

 このあと女は私の左側へいく。そこで棚の前にいつづけ、私が何をとるのかを見た。精神すかすかの、その場その場で人を見て何だってする女がまたいた。

 女子レスリングの藤波朱理はパリオリンピック決勝で勝って連勝記録をのばした。負けたエクアドルの選手は勝者をたたえ、ふたりはマットの上で膝立ちで抱きあった。こんな光景をほんとうに初めて見た。人の心を洗う。

 日がかわっているというのに人が扉をあける音をさせた。ベランダの床板がみしみしうなっている。男か女か、おそらく男が暗闇のそこで、人の部屋のようすをさぐっている。美質を欠くやつが、これでもかと人をわずらわす。

「私さ、他人のものなんか奪ったりしてないよ。自分のために生きて、自分の中に答えを見つけようとしてるんだ。」(「塵[ゴミ]、都会、死」)

●肩紐ワンピースの女?男?。①

1318.2024年8/9 階段をあがっていく。左へずれてのぼろうとするとき、バランスをくずした。折しも横をきた男性とぶつかりそうになった。

――おぉーとっ。ごめんなさい。すいませーん。

 男性は45くらい。表情はまったくかわらなかった。

 すわった。真ん前の女は47くらい、公務員みたいな勤め人ふうだ。スマホから顔をあげた。人を見る権利を保持し、それを行使しているといったあんばいだった。

 はすむかいの女もそうやった。この女がおりていく。60くらいにみえた。

 車両をかえた。すわると、長椅子のほうにいる女が顔をあげて私を見た。

 席を立つ。

 すじかいの女がスマホから顔をあげた。21くらい。こっちを見ている。

 女が乗りこんだ。60くらい。和服姿。ドア脇に立ち、こっちに体をむけている。ひとしきりスマホを見てから、私の真ん前にすわった。なんというもったいぶり。

 露出の多い紺色ワンピースを着た女?男?が乗ってこようとした。真ん前の和服女と合流し、ふたりとも長椅子にいく。肩紐ワンピースの人はゲイバー勤めか。そのしゃべり声がきこえる。声が低い。美川憲一みたい。あーら、やーねえ。そんなふうにいいそうだ。

 乗客がふえてきた。

 じじい、73くらいが、ひとつおいたむこうにきた。ごほっとやった。ちらちらこっちを見ている。顔を30度こっちにむけつづけている。

 ごほっ。右どなりのスマホ男がそうやった。33くらい。まただ。

 目的の駅でおりようと、立ちあがる。ドア前にいく。男が顔をこっちにむけつづけた。60くらい。顔をそむけてやった。

●パリオリンピック中継と柏原芳恵。エズラ・パウンド。②

1317.2024年8/3 じじいがいた。この人は、目の前の、ふたりがけにひとりでいる女22くらいを見ていた。女は眠りこんでいた。ヘンタイめ。このじじい、70くらいがおりた。依然として、女は支え板に頭をあずけ眠っている。私はファイルと冊子で、この女を視野から消した。

 となりの車両の女は、スマホ三昧である。19くらい。けれどいまは顔をあげている。隙あらばといった感じでこっちを見そうだ。

 レンガ坂通りをいく。ごほっ。うしろから口鳴らしがきこえた。ふりむくと白Tシャツの男30くらいが下をむいて、口元に片手を拳にしてあてている。ごまかしである。やりかえした。こんな男を先にやった。なにしろ狭いうえに人が多く、前へすぐにはすすめない。前方のほうにいるあの男がふりむいて、こっちを見た。所詮この程度のやつだ。人にかかわって、いくばくかの存在感を得る。この手のやり口は、かん、かんと茶碗をたたいて音をたて、でてきた私に嫌がらせをしたちかくの女が得意とするものだ。ひとりの40かっこうの男とも同じである。この男は居宅に隣接する分譲マンション敷地内に侵入し、ががが、ががが、がががっがと何かの工具をまわして嫌がらせの音をたてる。ばかのひとつ覚えである。

 まいばすけっと中野三丁目店に女がいた。20くらい。私に体をむけて顔はそむけてむかってきた。そむけて人のようすをうかがった。

 40くらいの女は、通路を歩いてくる私に顔をむけた。私はこのときそこにそいつがいるとわかり、もどった。近づく気は、てんからなかった。

 レジ会計中、左側に23くらいの男がいた。この男は私のいるほうではなく左に半回転して私に体をむけることなくでていった。こんな様態をとった人を、ようやく見ることができた。

 パリオリンピック中継予定のためにNHKR1の番組構成が変更になった。1983年のヒット曲が流れた。柏原芳恵の「春なのに」が聴けた。41年前、柏原は18才か19才か。作詞作曲の中島みゆきの情感をはるかに凌駕するものがかもしだされている。中島が何人もに提供したもののなかで、オリジナルを越えた唯一の楽曲だろう。いうなれば、にせものの陳腐さがない。

 帰宅。レジ袋のなかから買ったものをとりだしていく。透明な小袋がいくつもつかわれていた。あの男子大学生ふうがそうやった。ありがとう。

 どこかで男子高校生ふたりが、面識のない男ら、25と26のふたりに顔などを殴られ、意識不明の重体に陥っている。五六人のグループ同士でいさかいになった末の悲劇である。逮捕された加害者ふたりともが自営業とニュース映像にあった。個を養っていたのか。双方の全員が心的にからっぽだったということである。

 エズラ・パウンドは『カントーズ』において書いた。「おれはたびたびむなしい虚栄を追った、英知よりもはなやかなうわべのものを。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●女が走って俺を抜かすとはいい度胸だ。①

1316.2024年8/3 かん、かん。女が茶碗をおさじか何かでぶったたいた。でてくる私を予想し、でてきた私にわざわざそうやった。攻撃性ばかりのやつだ。初めからそうであり、ここで驚くにはあたらない。

 JR高架下、通称アルークal:kuをいく。暑いのでそこにした。靴音がうしろから迫ってきた。走ってきた女が私を抜かした。この暑いなか高架下で涼しいとはいえ、走るとはね。それも私を抜かすとは、いい度胸だ、あっぱれだ。

 30くらいにみえた。肩幅が広い。何かしていたか、いまもしているのだろう。

 ふつうに歩いた。前方、歩きだしているその女がみえてきた。差が詰まってきた。抜いてやろう。したたる汗をハンカチでふきふき、目論見どおり抜かした。

 歩くの、速いもんね、うひひ。

 ある女が中央寄りにきた。67くらい。だから私はこの女がいた右へいく。女は左へはいかず、私にむかってきた。精神性ゼロである。

 角のローソンを通りすぎた。むこうから男女がきていた。そのうしろ、中央寄りに男がいる。男女が私とすれちがうタイミングを狙って、あいだに割りこんできそうにみえた。

 駐輪場に逃げこんだ。その三人がいってしまってから通路にもどるとき、さっきの駆けていた女が追いつこうとしていた。私は女がくるより先に通路を前へ前へと歩いた。顔や首から流れおちる汗をハンカチでふき、ハンカチは手にもったまま、左への、直射日光のあたる道をとった。

 おんなおんなしていない女が久しぶりにいた。清爽感を残してくれた。

 女が真ん前にきた。32くらい。初め両ドア空間のすじむこうにいたのに、移ってきた。なぜに?桃の皮のような色のワンピースに運動靴である。妊婦か。足を組んでスマホである。顔をあげては、こっちを見ている。まただ。

●松山千春の入院。E・M・シオラン。

1315.2024年8/11 NACK5の生放送で松山千春は、心臓手術をすることを公表した。それで秋のコンサートツアーは中止になる。急を要するほど症状は深刻化していた。もっとも自覚症状はなかった。ただ、すでにステントが何本か入っており、心臓は悲鳴をあげんばかりだった。

 E・M・シオランは「黄金時代」においていう。「存在の秘密は、あげて、他者を傷つける性向の中にあり、この性向なくしては人間を考えることすら不可能なのだ。」(『世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」』所収)

●阿佐ヶ谷七夕まつり。

1314.2024年8/11 大久保通りの狭い歩道を歩いた。美容室と居酒屋、ランドリーの並びがあり、美容室から男がでてきた。70くらい。ついで女があらわれた。68くらい。この女は、これからどこかへいくというようにやたらに着飾っていた。私がきているとわかると、ガードレールを背に醜い体と厚化粧のけばい顔をぴたりと私にむけた。

 左手をこめかみにかざす。こんな女を見ないようにした。

 環七の陸橋の上をいく。歩道をきている男30くらいが、首をまわしてこっちを見上げ私を見ている。まただ。

 井の頭通りのセブンイレブンに入った。小銭の百五十一円を使いきりたかった。暑さしのぎのジュースが目当てである。

 ペットボトルのある冷蔵庫の前にカップルがいた。どくのを待った。ようやくいなくなったかと思うと、別のカップルがきた。このカップルも、どれにするかに時間をかけた。

 かれらから見えない通路で待った。奥から男がきた。50くらい。レジのほうから私に顔をむけた。見にきたのである。うえっ。

 高井戸プールで泳ぐ。25メートル泳いだあとの方向転換のとき、次の25メートルのコース内に男がいた。65くらい。私が泳ぎだそうとするところにいるばかりか、体をこっちにむけてゴーグルの調整をしている。駆け引きをするばかりで、いっこうに泳がない。またこんなのがいた。

 環八の歩道に男がいた。45くらい。車道に背をむけ、歩道に入ろうとする私にぴたりと体をむけて、スマホをいじくっている。気色わるく体をむけてくる男がまたいた。

 歩道の左側をいく。右側の先から男がきていた。50くらい。そのうしろに自転車がいる。私と男がすれちがうちょうどあいだに入りこんで、男を追い抜いた。

――またやった。

 叫んでやった。

 旧五日市街道をいく。狭く曲がりくねっている。自転車の男が私を追い抜いた。すぐ、その妻らしき女30くらいの自転車がつづいた。追い抜きざま、首をまわして顔を私にむけ私を眺めて走り去っていく。うえっ。ザ・日本人め。

 非常時用の笛を吹いてやった。女は前へいきつつもうしろの私へまたも顔をむけた。

 阿佐ヶ谷パールセンターは七夕まつりの人出で大混雑であった。カップルがいた。男がうちわで女の顔に風を送りながら歩いていた。ともに20代らしきふたりが立ちどまった。

 こらーっ。とまるなあ。はやくいけえ。

 そう思わないではいられなかった。

 高円寺の庚申通りに入った。ううっ。そこからきていた男が、すれちがうときそうやった。25くらい。まただ。やりかえした。

 まいばすけっと高円寺駅北店に女がいた。50くらい。よそゆきの青いワンピース。惣菜の棚の前にいて動かない。

 はやくどけ。

 そう思っていた。女は私がいることに気づいた。こっちに体をむけ、顔はさっきとは反対側の棚にむけた。カモフラージュだ。こんな女に背をむけた。

●心霊写真。ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク。

1313.2024年8/2 高円寺駅北側のロータリー沿いを歩く。書店の角を左に曲がろうとすると、うっと口鳴らしの音がとんできた。その道の先から男と女がならんできている。ことに男のほう、45くらいはその目をまっすぐに私にむけていやに堂々と歩いている。仕事帰りであり、いっしょにいるのは同僚25くらいにみえた。人を愚弄しようが排却しようがお構いなしの男がまたいた。

 まいばすけっと高円寺駅北店にいこうとしていた。けれどもこの時間では、レジ待ちの長い列に何分もいなければならないと予想できた。

 それでローソン100にいくことにした。

 男がいた。68くらい。体を棚にたいして30度ずらし、横目で私を見ていた。かと思うと、通路を歩く私のあとをきて私の姿をとらえていた。

 出入口のドアガラスに心霊写真のような顔が私にむかって大写しになっていた。むろんそれは現実の男である。ヘルメットをつけたまま、外からじーっと私を見ている。オートバイできたらしかった。

 レジ会計中、このヘルメット男、50くらいが横にきた。私が何を買うかを見ている。こんな男に背をむけた。男はどんどん接近してきた。いまにも缶ビールか何かをレジ台におこうという腕の動きをしていた。

 電子マネーでの支払いをおえた。そのとき男は私に十センチくらいまで近づいていた。目にみえる直接性だけで生きる無精神の高卒男、そんなやつがまたいた。

 広めの道をいく。遠い先から男がきていた。私はこの男に見られながら枝道に折れた。次のT字路で左をとったとき、人がきているとわかった。もどることにした。広めの道までもどりつつあるとき、最初の男が枝道に入ってこようとしていた。50くらい。犬の散歩である。

 ふたたびT字路へ。いやな感じがした。いつになくふりむくと、その男はすでに首をまわして私を見つづけていた。犬の散歩イコール人を眺めることである。

 ハンス=ユルゲン・ジーバーベルクは『悦びなき社会』のなかでいう。――「あなたがたは優秀な人種であり支配階級なのです」と彼らは告げられる。すると彼らは他の人々すべてを容赦なく虐殺し、高らかに笑うことだろう。(『世界文学のフロンティア6「怒りと響き」』所収)

 川勝何とかという、かの地方自治体の知事をつとめていた殿様気取りの男が思いだされる。

●いきなりステーキ。金芝河。

1312.2024年8/1 杉十小プールの更衣室に小五くらいの男子がいた。水からあがってきた私をうかがいつづけた。ロッカーに左肩をむけて着替えをし、帰るのかと思いきや、上半身も隠れる水着になっていた。たらたらしまくりである。

 ファミマのむこうから女がきた。22くらい。坂をおりていく。私がこの女のあとをいくなら、女は首をまわして私を見つづけるのにちがいなかった。それで距離ができてから、坂をおりていく。女が首をまわしてうしろから人がきているのをたしかめているとわかった。やっぱりだ。

 折返しの初発電車のなかで男が寝ていた。25くらい。起きて、たちあがった。すでにすわっている私に体をぴたりとむけて、スマホを見ている。嫌気した私が真ん前の席に移ると、男はようやくでていった。

 両ドア空間のすじむかいに女がすわった。30くらい。まずはというように、こっちを見た。

 高田馬場で車両をかえることにした。おりるときの混雑が予想されるから、ドア脇にすわった。連結部寄りにじじいがすわった。72くらい。体を45度こっちにむけている。うえっ。

 元いた車両にもどった。あいていた連結部寄りにすわった。すじかいのドア脇の席に男がいる。70くらい。はすにすわって、体をぴたりとこっちにむけている。

 立ちあがった。通路を歩く。だれもいない優先席があった。そこにすわった。動いてみるものだ。

 ふたつおいたむこうに杖をついた男がきた。ぎこちなく歩く17くらい、高校生か。ぴしーっ。ファスナーの音をたてた。まただ。

 となりに男がすわった。50くらい。うっ。口を鳴らした。

 いきなりステーキから男がでてくるのがみえた。23くらい。食べおわったのである。ごほっ。うしろから私の首元にそうやった。やりかえした。

 暑い。ローソンで涼んでいた。冷凍食品のところにいると、角から女があらわれた。22くらい。この女を避けて別の通路へといきつつふりかえった。女は棚にたいして体を75度にし、顔をあげて遠くを眺めるようにごまかして私を見ていた。うえっ。

 16くらいの男がいた。左側を見ていた私を、スマホから顔をあげてずっと盗み見ていた。

 男とすれちがいそうになった。25くらい。この男をさけて車道へでた。ぴしーっ。男はファスナーの音をたてて公園へ入っていく。右手を左手のほうへ伸ばしつづけていたから、その準備をしていたのである。すれちがわなくて正解だった。

 両ドア空間をあいだに女がすじかいにきた。すわりつつこっちを見ている始末だった。まただ。

 真ん前のふたりがけに男がひとりでいる。25くらい。スマホから顔をあげては、こっちを見ている。

 ここにすわってこの紙に文を書きつけている。こんな私を、となりの車両のドア脇にいる男がずっと見つづけているとわかった。25くらい。やられた。

 中野駅西の坂をあがっていく。右側の擁壁を背に男が立ってスマホを見ていた。40くらい。坂をあいだにこの男の前を通りすぎるや、男はスマホから顔をあげ首をまわす。目ざしで私の姿を追いかけた。

 桃園通りを七八人の男女の集団がきていた。三つある小劇場のどれかからでてきたのか。うっ。そのなかのひとりの女19くらいがそうやった。このままでは私と正面でむきあうことを厭悪したのである。私にはそんな気はなかった。顔をそむけて予定どおり、まいばすけっとに入った。

 十字路を渡る。戸建ての門前にいる男が首を90度まわし顔を私にむけて、私を見ていた。うえっ。道をかえる。

 金芝河は「大説・南」においてこう書いた。「あらゆるものを 目に映るがままに眺め 片方だけを眺め 上っ面だけを眺め 前方ばかりを眺めて 満足するのは 見間違えることがあたりまえのはずの この目というやつの悪戯[いたづら]じゃろう」(『世界文学のフロンティア6「怒りと響き」』所収)

●マクドナルド。ジミー・サンティアゴ・バカ。

1311.2024年7/27 阿佐ヶ谷のマックのところに女がいた。自転車のハンドルに片手をかけ、もう片方の手でスマホをもって画面を見ている。中杉通りにでようとする私に、ごほごほっとその女が口を鳴らした。けたたましくそうやった。阿呆女がまたいた。58くらい。空隙をついて私がくるのを見ていたのにちがいない。

 すじかいに夫婦者の夫のほうがいる。40くらい。ちらちらこっちを見ている。車椅子の女65くらいの、その不具合を直してやった。すげえ。

 たたまれた車椅子と私の足で、連結部への通り道がせばまっていた。じゃまなので、席を立った。通路を歩いていく。うっ。立っている女が口を鳴らした。20くらい。

 駅の階段を地上へとあがっていく。上がり口に何人もがいた。降りだした雨に傘がなくて足留めをくっているもようである。そのなかのひとりの女、40くらいは首を90度以上まわして、あがってくる私を見つづけた。

――ずーっとこっち見てる。

 いってやった。

 下りエスカレーターに先に女が乗った。55くらい。一階の降り口をふりあおぎ、男女ふたりに手をふっている。にこにこ顔である。息子夫婦か娘夫婦とすごした時間の別れを惜しんでいるとみえた。きょうは当地の商店街のお祭りである。それにしても、エスカレーターの右側に立って、私をあいだに視線を地上のふたりにむけているのが、無関係の私には無神経に思えた。

 こんな女を避けて駆けおりた。

 ひと駅目ですわった。すじかいの女が顔をこっちにむけつつ、バッグをむかって右脇においた。45くらい。

 終点に着こうというとき、女が立ちあがった。23くらい。あかないほうのドア脇にいる私に体をむけた。うえっ。またこんなのだ。

 まいばすけっと中野三丁目店にカップルがいた。ともに二十代前半くらい。べちゃくちゃしゃべりつつヨーグルト売場の近くにいつづけている。私は発酵食品が欲しかった。だが、何をとるかを見られるのは必定だったから断念した。このあと別の通路へいき、ふたたびそこへいこうというときもなおカップルはそこにいた。通りすぎていく私に男は、首をまわして目をむけた。

 店員男性が順番待ちの私を呼んだ。22くらい、大学生ふう。レジ会計をおえている女がレジ前から動かず、マイバッグに商品を詰めている。23くらい。この女の真横にいく。女は詰めおわると、私を見ることができるように右回りに体をまわす。これがわかって私は顔をそむけた。

 店員男性がいった。レジ袋はひとつで入る、と。私は重さを考えてふたつをもってきたのであり、ふたつを望んだ。

 会計をおえた。出入口へとむかうとき、あのカップルがでていこうとしているのがみえた。何も買わない。ヨーグルト売場近くにいつづけ人を見ていただけだった。

 帰宅。レジ袋のなかを見た。ぐじゃぐじゃ気味である。レジ袋ふたつを望んだ私に反撃したか。

 ジミー・サンティアゴ・バカ[Baca]は「暗闇にとりくむ」でこう書いた。「暗闇とはぼくの一部、そこから水路を開いて、真実をぼくのことばに呼びこんでくる場所でもある。セックスのときに白いシーツを染める処女の最初の血のような、ことばたちに。暗闇はぼくが、吐き気のする味に喉をつまらせながらでも、人生の苦さを飲みほすことを求める。」(『世界文学のフロンティア5「私の謎」』所収)⬅読点ママ。

●マッチングアプリで彼と出会う。

1310.2024年8/2 ある26才の女性はひとり暮らしをしている。彼、34才と別れたほうがいいのか悩んでいる。

 彼はドタキャンが多い。彼女の部屋に彼がきたことはあるが、彼女は彼の部屋にいったことがない。自分の城だから人はいれないと、彼は突っぱねる。彼の友人にも家族にも会ったことはない。

 マッチングアプリで知りあった。初め、彼のことは好きではなかった。だが彼は、次はいつ会えるの?と積極的にアプローチをしてきた。それでDVとモラハラはしないという約束のもと、結婚を視野にいれて交際を始めた。

 田中ウルヴェ京は問うた。あなたは結婚というものをしたいのか、それとも彼とずっと生活をともにしたいのか、と。