1154~1179

●外国映画のワンシーン。

1179.2024年2/6 南から北への道がカーブしJR高架下へもぐりこんでいく。その高架下方面から、曲がった道なりに外国人の男女が歩いてきた。密着している。南米系だろうか。男28くらい、女25くらい。どちらも黒のロングコートに身を包んでいる。男の髪はカール気味であり、女の髪は背中の真ん中くらいまで長い。男も女も、道をあいだにすれちがう私に一瞥もくれない。異国でふたり寄り添って何も語りあわず、なにがしかの愛をはぐくむ。

 外国映画のワンシーンみたい。そう思えた。

 日本人カップルとは大ちがいである。男も女も顔をあげ、歩いてくる私を品定めよろしく見るにちがいない。あるとき坂道をおりてきつつあったカップルなんて、手をつなぎあったまま双方が腕を伸ばし、男は漸々私に接近してきている。

●猫が犬と人間と散歩する。B・パステルナーク。②

1178.2024年2/2 五日市街道を歩いた。往来のむこう側をきている男が、こっちに顔をむけつづけていた。72くらい。からっぽ男がまたいた。

 旧五日市街道は細いうえに、くねくねしている。豊多摩高校のグラウンド脇をすぎようというとき、角に老女がふたり現われた。ひとりはリードで犬を連れている。二匹いる。そこに、反対側からきた三人目の老女が合流した。三人で何か話している。私はあまり気にされていない。犬を見た。おっ。猫だ。リードにつながれた茶色の猫と、小型犬の組みあわせである。猫は尻尾をおっ立てて飼い主の足元をうろうろし、犬はじっとしている。猫は犬も人間も恐れていない。散歩をする猫を見たのは、これで二回目である。

 環八への歩道において、とまった車から女がでてきたのがみえた。68くらい。体育館にスポーツをやりにきたというかっこうである。私の前方にでることができるのに、でてこない。

 もったいぶったこの女の前を通りすぎると、女はようやく歩道へ入りこんだ。

 高井戸プール更衣室に男がいた。65くらい。帰りの着替え中である。私がロッカーをつかいだしたときは壁をむいていたけれども、反転し、こっちに体をむけた。私を見た。またこんな男がいた。

 コース内に女がいた。30くらい。端にとどまって、泳いでくる私を見ていた。私がコース端に着くと、泳ぎだした。あるとき、私は方向転換に、その女のとどまっているコース内にロープをくぐって入りこんだ。この女がいるため速い人のほうを泳ぎだそうとするそのとき、女はゆっくりの人のほうを泳ぎだした。私よりも格段に速いクロールである。なんじゃこりゃ。

 また女は、フリーエリアとの境をなすコースロープを背にし、泳ぎついた私に体をむけていた。うえっ。別のときコース内にいながら泳ぎださず渡渉コース側に体をむけ、方向転換の私に背をむけていた。こっちに合わせているだけの女だった。ことがらはちがえど、ちかくにいるストーカー女のやり口と質は似ている。

 ニコライ叔父はジバゴの母方の思想家である。「しかし、ひとたび話が肝心のこと、つまり、創造的な個性をそなえた人間のあいだでだけ通じ合うことがらに及ぶと、この唯一のきずな以外のいっさいは消え失せ、もう叔父も甥もなく、年齢の開きもなくなって、ひたすら人間と人間、エネルギーとエネルギー、精神原理と精神原理の親近性だけが残るのだった。」(B・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』)

 その女もストーカー女も、個性のかけらさえもちあわせていない。

 小学生の女子と大人の男という二人連れが二組いた。大人の男は父なのか、スポーツクラブのコーチなのか、よくわからなかった。

 その男のひとり、コーチ役のような30くらいはフリーエリアにいて、コースロープ際で水中に沈みこんだ。私が泳いでいる右前でである。いちいちかかわってきた。前に45くらいの女がやったのと同じことをした。あのときの女は、当時小学生の女子の泳ぎを見る役であった。

 泳ぎつつ、てのひらでパーとやってやればよかっただろう。

 広場ふうの敷地の一隅に、あいかわらず喫煙スペースがある。そこでたばこをすっている女がいた。35くらい。帰っていく私に体をむけ、私を見た。こんな女のいないほうから環八にでた。

 南阿佐ヶ谷の青梅街道へとむかった。男がくる。50くらい。ごほっ。下をむいてそうやった。

 阿佐ヶ谷のとある店に男がいた。40くらい。私が人と話をしていると、首を90度まわし顔をむけ、私を見た。またこんなのだ。

 ちかくで躊躇していると、その男は私がみえるところに移ってきて私を見た。人を見ようとするばかりの男がまたいた。

 環七の横断歩道を渡った。居酒屋の出入口の左側から東へいける道にでた。そのとき自転車の男が走りこんできた。ごほっ。私の目の前で咳真似の音をたて、すれちがった。23くらい。やりかえした。交差点へと急ぐそいつに、さらにやりかえした。

 ローソン100高円寺北店に男がいた。67くらい。私がいるほうにきた。

 レジ会計中、そいつは私の背中側の通路にいた。そこにある商品に興味があるふりをしているとみえた。私をうかがっているのにちがいない。このあとレジの順番待ちのところにきた。体をまっすぐ私にむけた。

●男が家の鍵をあける。①

1177.2024年2/2 階段をおり、小道にでた。歩いていく。三叉路の角に一軒家がある。その玄関前に男がいる。私に体をむけたままである。40代か50代か、よくはわからなかった。外階段をおりてきたときから私を見つづけているとみえた。私が通りすぎるや、男は玄関ドアの鍵をあける音をたてた。

 この家の数人の男らが玄関を背にして立ち、スマホ片手にたばこをすう。かつ、通りがかる私を見て、うっと口を鳴らす。さっきいたのはそのなかのひとりか。都会の狭い土地に建つ家は、地方の家とは比べものにならないくらいちいさい。そんな家では、うるおいは育たない。

 環七の陸橋を渡った。西へとる。歩道の先から男がきていた。68くらい。

 すれちがわないようにガードレールの切れ目から車道にでようとした。自転車の女がきていたから待つと、ごほっとその男が口を鳴らした。

 寺の門前を通り、カーブなりにすすむ。南へいく。

 ごほっ。

 聞き慣れた口鳴らし音がした。人をごみ溜めにひきずりこむ音だ。ふりむくと、自転車の男がきていた。58くらい。仕事がなさそうにみえる。

 もどった。立ちどまった私を、男が見ている。ひるんだ顔つきである。

 この自転車が先へいく。ごほっと背中にかました。もしも私のなかに長いこと蓄積してきているもの、組みあげてきているものがなく、かかわってきている人がいないなら、この男を追いかけ飛び蹴りをくらわせただろう。自転車を引き倒しただろう。

 ひるがえって、その男の心情を考えてみる。なにもなさそうだ。寝小便の地図くらいのところで右往左往してるのにちがいない。

●錦鯉。

1176.2024年1/5 Ⅿ1優勝の令和ロマンが高学歴のふたりだとラジオで知った。大企業に入ればそこそこまでいけると森永卓郎はいった。その漫才をYoutubeでさがした。おもしろそうだった。けれど、途中で別の動画に切りかえた。

 あんなもの、おもしろい?

 昨年優勝のウエストランドにも感じたことがある。かれら、この二組には、笑いの実存性といったらいいのかそういうものがない。笑いのための笑いをつくっている。

 錦鯉がなんでおもしろいのか。まさのりさんが「ばか」を地でいくとみえるからである。ずっと前、ブラックマヨネーズが圧倒的な笑いをとったのは、吉田くんが女にもてず顔がにきびでぼつぼつだからである。西川きよしと横山やすしが観客をわらわせたのは、やすしの実生活の破茶滅茶ぶりをきよし師匠がおもしろおかしく突っこんだからである。

 NACK5で松山千春が、近ごろの漫才についてぜんぜんおもしろくない、どこがおもしろいんだといっていた。同感である。

●銀座の小料理店。

1175.2010年9/18 明治三十八年、長野県の塩尻にひとりの女の子が生まれた。つる。そう名付けられた。わずか五才にして子守りの奉公にでて、ついで十五才で横浜のベーカリーで働きだした。その後、さる料亭の仲居、女将[おかみ]と階段を昇り、銀座で小料理店を開くに至る。そこの常客というのは時の政界、財界の大物たちであった。米内光政首相、国鉄総裁下山定則――この人は無惨にも轢死体で発見される前夜、つるさんの小料理屋で飲食をしており、彼女は遺体安置所にでかけている。ほかに、ロッキード事件で性悪な名を馳せることになった全日空社長、若狭得治や、佐藤栄作首相等々がいた。

 関東大震災、二・二六事件の生き証人でもあった彼女は、明治・大正・昭和・平成と未婚のまま生き抜く。十二人きょうだいの五番目でありながら一番下の弟の死をみとり、百歳をこえても尚生きていた。銀座という土地柄から財産は八億円が見積もられていた。これは彼女の遺志により全額、故郷の塩尻市に寄付され、小料理店のあったところは今は更地となっている。八億円もあれば豪華客船で世界一周の旅行もできたのに、そんなことをすることもなかった。

 上のつるばあさんの一生は、TBSラジオで女優の松島トモ子が語ったものである。

●カップルが坂をおりてくる。百瀬文晃。②

1174.2023年11/18 マックのちかくにカップルがいた。男は私がくるのを見ている。35くらい。女の胴に腕をまわし引きよせた。27くらい。

 中野駅の階段をのぼっていく。うっ。おりてきている駅員の男がそんなように口を鳴らした。40くらい。やりかえすと、またやった。やりかえした。駅員は顔を壁にむけ、とぼけきった。

 エスカレーターに乗った。くしゃーん。おりてくる男がくしゃみのまねをした。25くらい。私を見ながらおりてきたのである。からっぽ男にやりかえす。

 坂をカップルが降ってくる。女25くらいは、むかって左をくる。男25くらいは、だんだん坂の中央にきた。私と間近くすれちがう気だ。女を私の目から守り、かつ私を挑発する。物事ではなく目にみえる人を相手にしているだけだ。うえっ。

 坂の中途にあるマンションのエントランスに入りこんだ。そいつらがいってしまうのを待った。

 駅の改札内洗面所をつかおうとするとき、電車が入ってくる振動音がきこえた。それで、その電車に乗ることにした。

 終点でおりた。洗面所は南口も北口も、個室はすべて埋まっていた。仕方ない。南口にあるパチンコ店へいくことにした。

 そこをでて歩いていると、男が道の中央に寄ってきた。55くらい。こっちにむかってくる。

 右のほうをいく。男は中央から私のいるほうにむきをかえた。うえっ。いかにも□□である。

 中野通りの横断歩道を渡ろうとした。このとき、四五人の、いずれも22くらいの男がかたまってくるところにでくわした。かれらは交番のあるほうへいく。

 うううっ。そのうちのひとりが口を鳴らした。□□連中のひとりが私にたいしてそうやった。まただ。

 マンションの生け垣の端がT字路になっている。そこから男があらわれた。スマホを見ている体勢のまま、体を道へむけている。靴音を聞きつけそこにでて、私を待ちかまえていよう。

 よくもまあ、そんなところにいるよなあ。そもそも何をしていたのだろう。

 予定どおり、すぐそこの枝道へ折れた。ばーか。

「私たちが信じていたことが、頼りにしていたことが全部崩れていく。そして暗闇に沈んでしまう。そのようなときに、私たちが忘れてはならないのはこのことです。私たちのほうでイエズスを探しているのではなく、むしろイエズスが、まるで失われた羊を探しに来る羊飼いのように、私たちを探しておられるということ、そして一緒に歩いてくださっているということです。」(百瀬文晃『キリストを知るために』)

 イエス・キリストの救いの力は、声なき無名の人にもおよぶ。教会にいくか否かも洗礼の有無も問われない。

●阿佐ヶ谷中の生徒。①

1173.2023年11/18 土曜だから杉並学院の正門のほうへいく。だが母と子といったふたり連れが目についた。続々と正門へと入っていく。学校説明会か。

 JR高架下にある武道場のところに男がいる。45くらい。スーツを着ている。高架下からくる参加者を導くというよりむしろ、不審者の見分けをしているとみえた。前にそのあたりでパンフレットを配っている業者がいたようで、同校教師らしき男が、立ち去っていくやからに非をがなりたてていたことがある。この日の45くらいの教師は、私がきていると見るや、体をこっちにむけ数秒立っていた。人を見分けていた。うえっ。

 細道に曲がりこんだ。まだ遠い先から、中学生とみえる男子がきていた。詰襟の学生服に運動靴である。興味津々のていでこっちを見ている。間が五メートルくらいになったとき、スマホをとりだし画面を見始めた。私とすれちがう寸前、ごほごほっと口を鳴らした。

 中学生からしてこれである。中杉通りからほどちかいところに阿佐ヶ谷中がある。そこの生徒か。中三くらいにみえた。

 中杉通りの歩道をいく。ママチャリの女とすれちがおうとするとき、うっと女が口を鳴らした。33くらい。

 火災報知器が鳴っていた。その方向を見ながら歩いた。ごほっ。うしろからきている男が口を鳴らした。

●オールナイトニッポンMUSIC10。

1172.2024年1/30 オールナイトニッポンMUSIC10とラジオ深夜便がコラボした。同時生放送、これは画期的である。鈴木杏樹の声がNHKR1でもきけた。杏樹がいうように、すごいことがおきた。ラジオ局の垣根を越えた。

 AIの「バルデバラン」が流れた。十二年前の楽曲である。

 「花は咲く」も流れた。東日本大震災のあと2012年につくられた曲が、今般能登半島地震に見舞われた人びとに捧げられた。

 がりがり音をたてるいやがらせ男、ストーカー女、この人たちは音楽を聴くのだろうか。

●カラータイマー。森永卓郎。

1171.2024年1/29 森永さんの病状は血液のくわしい検査の結果、原発不明がんということになった。胃への転移も見つかっている。ステージ4の膵臓がん、この診断って何だったんだ。血液の培養に五十万円かかるなど自由診療だから、ひと月の医療費は個室代も含め三百万円からかかった。イェーイ。

 禁煙はしていない。医者には内緒だが一日一本すっていると、大竹まことと阿佐ヶ谷姉妹にいった。いまの体力についてウルトラマンのカラータイマー状態だと、ニッポン放送でいったことを文化放送でもいった。

●カレー職人。ミハイール・バフチーン。

1170.2024年1/19 杉並区のプール回数券がICカードに切りかわる。資源の無駄使いをなくすというわけである。いま手元にある回数利用券は令和六年のうちに使い切らなければならない。

 それでこのごろ杉十小プールへいっている。高井戸は遠いうえに、受付にいる女がむけてくる目がうざったい。

 私のあとから泳ぎ着いた男がいた。50くらい。うっと私の背中に口を鳴らした。

 五分ある休憩時間に近づくと、水のなかにいるのは私と、男30くらいのふたりだけになっていた。私はコース内で泳ぎ、男は徒渉コースを歩いていた。

 ごほっ。

 男が思いっきり咳真似をした。コース端に泳ぎ着いて方向転換にコースロープの下をもぐろうとするときである。男は私の泳ぎや動きを見つづけていたのである。個のない男、単行のできない男がまたいた。いつどんなところにもいる。ウイルスである。

 帰りの更衣室では、入ってきた男が私を横目で見ながら着替えを始めた。30くらい。まただ。

 阿佐ヶ谷へと歩いた。馬橋神社の鳥居があり、その前に男がふたりいる。撮影である。この前、ここを通ったときにもそんな人たちがいた。

 女がいる。45くらい。黒いコートに黒いタイツ。私のいく方向に体をむけている。歩いていくと女は、男ふたりのうしろへまわり、私を見つつまっすぐむかってきた。これが目的で、最前私がくるとわかって背をむけていたのか。

 鳥居の前へと動き、こんな女をかわす。左のてのひらで視野をせばめ女を見ないようにして、スマホ撮影男ふたりのうしろからこの場を切りぬけた。よそゆき着飾り女に心的興味はもてない。

 青梅街道にあるローソン100に入った。男がいた。68くらい。おなじところにいるばかりで動かない。つねに私がいることを意識しているとみえ、こっちに体をむけた。加えて、私が何をとるかを見た。いつまでそこにいる気なのだろう。

 長い通路で男とすれちがう。38くらい。ふりむくと、この男は奥へいかず立ちどまり私に体をむけた。そこの棚を見ている。さも買う気があるようにである。

 グリコのカレー職人が無料でもらえるクーポン券がでる。そのためには中華丼のほうを先にレシートに打ってもらわなければならない。私がこの順序を頭にいれていず、店員男性22くらいがカレー職人のバーコードを読みとったことで混乱が生じた。

 私がわるいんです。

 この店員氏はレジ操作に慣れていない。修正に手間がかかった。このとき奥の、もうひとつのレジ前にきた男、45くらいは、こっちに体を75度むけて私を見ていた。次にそこにきた男は60度であった。

 真横にあの、動かなかった男がきた。新聞をとった。私が何をしているのかを見ていたのにちがいなく、私がいることで人の注意が分散するのを利用するようにそこにきたのだろう。何から何まで定型のふるまいである。

「公けの教会の顔が過去に向けられて現在の体制の神聖化と承認の役を果たしたとすれば、民衆的・広場的な、笑う顔は、未来をみつめ、過去と現在の埋葬に立ち会って笑うのであった。

 この顔は保守的な不動性、《超時間性》、確立された体制・世界観の不変性なるものを自らと対立させ、まさに交替と改新の要素(モメント)を強調した。」(ミハイール・バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』)

●ストーカー女は懲りない。

1169.2023年12/10 ごほごほっ。ベランダで男がわざとそうやった。ブログに書かれたことに逆ギレしている?これで三回目か四回目か。自分のことをせず、他人にかかわっている。

 12/18 ごっほごっほ。ごっほごっほ。ガレージからあの男がそうやった。待ち伏せて、階段をのぼっていく私を見つづけ通路をまがって見えなくなるや、そうやった。

 12/31 昼過ぎ、ちかくの女が外にでた。一時間十五分後、こっちが日頃でていく時間ぴったりに帰ってきた。ばかだ。その八分後、またでた。四十五分後もどった。うえっ。

 2024年1/7 ちかくの女がドアをあけた。ばーんっとしめた。でていく。こっちがでていきそうな時間である。またやりだした。ストーカーめ。

●鈴木杏樹。青春の影。

1168.2024年1/23 ニッポン放送で鈴木杏樹がリスナーからのメールを読んだ。ある男性からのものだ。

――中学校のとき、いじめられた。そのとき塚越先生がこういった。あなたはやさしいんです。やさしい人に生んでくれた親に感謝しなさい。

 いい先生だねえ、と杏樹は共感した。

 この夜、最後にチューリップの、というより財津和夫の「青春の影」が流れた。およそ五十年前の楽曲に、きゅんとくるねえと杏樹はいった。

 同局、日曜夜、ミュージックスカイホリデーにおいてパーソナリティーの滝さんがかけていたことが思いだされる。ひとつの時空間が記憶のなかからひきだされ、そこにいたからこそのいまの自身が、泥水のなかから押しあげられる。俗物たるあの人この人の登攀を許さない峰々を見はるかす。息をつぐ。

 朝方、どんなにか奔放な夢のなかでまどろんでいよう。そのあと、何を書きつごう。

●男が彼女に堕胎を強いた。市川森一。

1167.2010年4/28 ある男性の次男、21才は、彼女を身ごもらせた。自身生活力がないとの理由で堕胎させた。すると、彼女のほうから三百万円を支払えといってきた。ふたりはすでに恋人の間柄ではなくなっている。

 堕胎にあたって相談者たる男性は次男にいっていた。

「おまえには将来があるのだから――」

 市川森一は、そんな将来見てみたいものだと、突っこんだ。彼女の体が傷ついた云々より、もっと根源的な問いが突きつけられている、と。

●放し飼いの幼児。B・パステルナーク。

1166.2024年1/15 道を曲がろうとしていた。そこから女がきており、この女40くらいはこの瞬間に顔をそむけた。この一瞬まで、曲がってくる私を見つづけていたのである。

 高円寺通りにローソンがある。そこの交差点を渡りきろうというとき、古靴などを商う店からカップルがでてきた。男25くらい、女23くらい。そのふたりから離れるようにいくと、ごほごほっと男が口を鳴らした。乱れたアフロヘアー気味の、またも居酒屋店員ふうにみえた。

 杉並学院の西側から緑道へ入ろうというとき、ちいさな子がふたりと、ママチャリの女がふたりいるのがみえた。女のひとりは、放し飼いの幼児越しに私を見ている。私が近づいていくなら、女は幼児ではなくこっちを見つづけるにちがいない。

 もどった。高架下をいく。交差する道の左から、あのママチャリが二台きた。うえっ。こいつらは高架下をいくのか。

 緑道のほうへいくことにする。結局大回りすることになった。

 阿佐ヶ谷パールセンターに入った。前をいく女を抜き去ると、すーっと女が鼻を鳴らした。65くらい。

 パチンコ店の角を自転車の男が曲がりこんできた。23くらい。うっと口を鳴らして私の右肩とすれちがった。

 真ん前に女がきた。55くらい。荷物が多い。顔をあげつづけている。

 ホーム上を歩く。おりた男と歩度がおなじくらいになった。42くらい。この男は前へとスピードをあげない。顔を横にし、私を見た。うえっ。

 むこうのホームに電車がとまっている。そこにすわっている女がじーっと私を見ていることに、ようやく気づいた。65くらい。

 空間のすじむこうに女がすわった。18くらい。がらがらの車内での俗流の準則にしたがっている。顔をあげてスマホを見つつ、ちらちらこっちを瞥見している。人がよくやる定番のやり口、定式である。

 坂をくだっていく。のぼってくる男がいた。スマホを見つつ、ううっとやった。私をうるさがるようにそうやった。50くらい。サラリーマン勤め帰りふう。

 帰りの坂道において、おりてくる女がいた。45くらい。ななめに一直線に私にむかってきた。

 中央通路を南口改札へと歩いた。ぱちっ。改札から入ってきた男がスマホか何かで、すれちがうとき音をたてた。35くらい。高卒不満たらたら男である。

 信号待ちでガード下の歩道を歩いていると、むこうからきている男がこっちに寄ってきた。40くらい。すれちがう。

 ふりむくと、男は元いた端のほうへ移っていた。またこんなのがいた。

 まいばすけっと。ある男が総菜やら弁当類やらのある棚の前にいた。28くらい、派遣社員ふう。動かない。私がその通路へ入ろうとするたびに、顔をこっちにむけた。

 早く帰りたくて、健康上どうしても必要なサラダをとった。すると男は体全体をこっちにむけて立った。うえーっ。

 レジの順番待ちのところにいた。清算をおえた30くらいの男は、私のいるほうに体をまわし私を見てでていく。またこんなのだ。

 会計中、あの動かない男はまだあらわれなかった。十分以上はあそこにいるとみえた。目的不明瞭さ加減は、ほかのところでも発揮されているのにちがいない。ふるいにかけられたあとの、愚かな生活を送っているのだろう。

「なんて勘がにぶいの!」(B・パステルナーク『ドクドル・ジバゴ』)

●含みのある女。ウンベルト・エーコ。

1165.2024年1/13 高円寺を歩く。うっ。うしろの男が口を鳴らした。30くらい。うっ。別の男がそうやった。22くらい。

 阿佐ヶ谷駅昇り階段をいく。前方左に幼児、右にその母がいて詰まり気味である。おりてきた男は、すーっと鼻を鳴らして私とすれちがった。25くらい。

 すわれた。ひと駅めで男が乗りこんで、立ったまま体をこっちにむけた。23くらい。バッグを網棚におこうというわけだ。

 席を立つ。となりの車両へいく。

 乗りかえで階段をあがろうというとき、人がどんどんおりてきた。それで、すくのを待った。ふたたびあがろうというとき、うっとうしろから口鳴らしの音がした。この瞬間を狙って中央通路にいる駅員がそうやった。60くらい。

 左すじかいに女がすわった。35くらい。足を組んだ。私に体がむくように足を組んでスマホである。けれども、いまたまたま見ると、顔をあげている。うえっ。

 けっこう込みだした。

 ホームにおりた。目の前にベンチがあり、そこに女がいる。ふつうにいるのではない。体を横にむけ、顔はもっと極端に横に、私のいくほうとは反対方向にむけている。おりてくる私を見るやそんなふうに避けた、とみえた。その徹底ぶりに何か含みがありそうに感じられた。

 予定通りのほうへ歩く。靴音がうしろからきこえてきた。その女、50くらいが、なんと私のあとをきた。さっきの顔のむきは、含みたっぷりだったというわけである。

 時間の余裕があり、踵を返し、いつもとは逆方向へいく。その着飾り女とすれちがった。

 数分を経て、洗面所の通路からこの女がでてきた。うえっ。

 帰りもすわれた。左の車両の女がこっちを見ている。これに私が気づくと、スマホに顔をもどした。22くらい。うえっ。

 こんなことがあると予想したうえで、はじめから警戒しておくべきだった。

 終点に着く間際、電車がプラットホームに滑りこんでいるとき、右横のドアのむこう、長椅子の端にすわっている

男が早くも立ちあがった。まだすわったままの私に体をむけた。27くらい。

 こんなときのために手にしたままの冊子を盾にする。えげつない視線を断った。

 ごほっ。

 男は口を鳴らして、もっとむこうのドアの前へいく。うえっ。人にかかわってくる男がまたいた。比隣の、戸外にでてばかりいる愚物とまったくおなじ性向である。

 まいばすけっと中野駅西店に、スーツケースをごろごろひく男がいた。30くらい。この男がレジ前にいく。もうひとつレジはあいていたけれども、私は隣りあうのを厭い、ふたたび奥に入りこんだ。何をされるか知れたものではない。

 細道を歩く。三叉路にその男があらわれた。先に店をあとにした男より、私のほうが歩度が速いからだった。男は私に顔をむけ、すーっと鼻を鳴らした。まただ。

 こんな男とおなじ道はとらない。むこうから自転車のライトが近づいてきた。細道の中央をきている。

 住宅の敷地内にわずかに入りこんで塀のかげで、自転車が通りすぎるのを待った。68くらいの男がペダルをこいでいる。こんな時間に何のために自転車で外にでているのか疑わざるをえなかった。

「…(略)…彼らの存在もまた、わたしたちにとっては貴重であり、神の企図の内に含まれていると。なぜなら彼らの罪業は、わたしたちを美徳へと促し、彼らの罵声はわたしたちを讃歌へと誘い、彼らの放逸な悔悛行為はわたしたちを犠牲の精神へと駆り立て、彼らの不敬な行為はわたしたちを光り輝く敬虔な行動へと向かわせるから。」(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』)

●この国の医療のざま――五才の男の子の場合。

1164.2024年1/9 元日の能登半島地震のとき、五才の男の子が母親らとともに親戚の家にいた。大きく揺れて、ストーブの上にあったやかんの熱い湯が男の子にかかった。

 救急車を呼ぼうにも混乱でつながらない。26才の母は息子を自分の車に乗せた。

 道が地震ででこぼこのなか、ようやく病院にたどりついた。医師はこういった。

――やけどにはレベル1から3まであり、軽傷ではないが重傷でもない。だから入院はできない。

 うちらどうしたらいいんや。母はそう思った。

 三日になって、お茶を飲んでも吐くようになった。病院に連れていった。容態はわるくなるばかりで、手のほどこしようがなかった。

 五日、息をひきとった。

 ママ、お仕事おつかれさま。ママ、先にどうぞ。そういってくれる子だった。母は痛嘆の涙にくれた。

●ファミマの女。G・K・チェスタトン。

1163.2023年12/27 杉十小プール更衣室で帰りの着替え中、ちかくに男がきた。25くらい。すいているのにそこにきた。こっちに体をむけ、私をたしかめた。ついでロッカーに左肩をむけて私を見つつ着替えをはじめた。うえっ。

 中野駅北口のファミマに入った。Suikaのチャージをしようというとき、女がきた。45くらい。顔だけをこっちにむけ、私を見た。チャージ中、うしろをうろうろし、その視野に私をいれつづけた。人を見ることを何とも思っていない。

 初発電車を待った。となりのホームにいる女25くらいは、私に顔だけをむけ、それこそ穴があくかのように私を見つづけた。そこのホームに三鷹発の電車がとまった。すわっている女19くらいは、私が気づくまで私を盗み見ていた。

 高田馬場から乗りこんだ女23くらいは、両ドアの空間越しに私を見ようとやっきになっている。顔をあげては私をうかがっている。やめない。顔をあげつづけている。

 ごほっ。

 うしろから口鳴らし音がしたかと思うと、脇を自転車の男がとおっていく。35くらい。私に横顔をさらしていた。去っていくママチャリにやりかえした。

 突如として威嚇する。これが当節のthe日本人のすることである。宗教心なし、人権意識なしである。

 中野駅南口改札をでた。右をとると、ガードレールを背にしていた男25くらいが私のほうにきた。のぞきこむように私を見た。へんたいである。

 信号待ちで中野通りの歩道を歩くと、そこにその男がきた。あとをつけてきた。うえっ。

 まいばすけっと中野駅西店。ある男はレジ精算をおえると、横のレジ前にいる私を見ることができるように体をまわしてでていった。28くらい。

「オットー公には、プロシヤ国民とその伝統につきものの悪癖があった。つまり、成功とか出世とかいうものを単なる僥倖とは考えずに、本質的な美徳と考えるということだな。自分、あるいは自分と同種類の人間は、永久にある種の人たちを征服しているものであり、その人たちは永久に征服されつづけているものなのだ――とそう思いこんでいるのだ。それだから、オットー公は驚きの感情というものに慣れていなかったし、次の瞬間に自分にたいしておこなわれたことにもまるで無防備だった。」(G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』)

●NACK5の松山千春。

1162.2024年1/7 松山千春は生放送のしょっぱな、元日の能登半島地震にふれた。彼は1968年、十三才の中学一年のとき、外で遊んでいて大地震に見舞われ、地面が割れるのをまのあたりにしている。十勝沖地震である。

 翌二日の羽田空港での日航機と海保の衝突事故についても、ひとくさり語った。

 年末のNHK紅白については、こういった。歌って踊って中継が入って、ひとことでいって残念だ、と。

 千春はそこにでたことがない。元日は東京のホテルではなく、地元北海道で迎えたいからである。

●まいばすけっとの男。アウグスティヌス。コリント人への第一の手紙。

1161.2024年1/9 まいばすけっと東高円寺駅前店へいく。スーツにコートといういでたちの男がいた。65くらい。私に、ううっと口を鳴らした。

 レジ会計中、この男が次の順番のところにきた。私がレジ台においてあるカゴの中身を見ていたかと思うと、体を私にまっすぐむけ顔だけはそらしていた。

 このとき、右ななめうしろから、ううっと攻撃性に満ちた口鳴らし音がとんできた。通路からでてきた男、67くらいが私の横から、出入口とつながる通路へいく。坊主頭、品位ゼロ、学芸なしにみえた。

 パチンコ店で洗面所をつかっていると、となりの、もうひとつの個室の男が、うっうっと口で音をだして唾を吐いた。私がでていかないとみなしたうえでの、荒っぽい牽制である。

 エアータオルの温風に両手をあて、水滴をとった。それがおわると、まだ個室にいる男、50くらいへの憤りがわきあがった。うっーうわあーっと、無意識のうちに大きな声をだしていた。やられてやりかえさないでいるなら、鬱憤がたまるばかりだ。反撃は首肯される。

 ランドリーで洗濯物を紙バッグにいれようというとき、女が入ってきた。40くらい。この女ははじめ洗濯機にむかってなかのものをとりだしていたが、体をこっちにむけ、私を見つつ衣類をひろげた。やっぱりこんなやつだった。うえーっ。この国にごまんといるうちのひとりである。

 アウグスティヌスはこう書いた。「あなたの幕屋(天国)においては、貧しい者より金持のほうが、賤しい身分の者より貴人のほうがえこひいきされるようなことは絶対にありません。」(『アウグスティヌス 世界の名著16』)

 コリント人への第一の手紙にはこうある。「それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」(1.27‐28)

●270度の回転移動。ミルチア・エリアーデ。②

1160.2024年1/5 帰りの高円寺駅南口方面において、左へ曲がった。人がきているのでもどった。ごほっ。折から曲がりこんできた自転車の女が口を鳴らしてすれちがおうとする。21くらい。やりかえしてやった。

 まいばすけっと高円寺駅北店でレジの順番待ち先頭にいた。セルフレジをつかっている女22くらいに体をむけないように気をつけた。この女は清算をおえると、体を私のいるほうにまわし、私を見て、結局270度まわってでていった。阿呆だ。この女の精神は、いつまで生きても夜闇のなかにいよう。

 バイト店員たちは女子大生ふうばかりにみえた。そのひとり20くらいは、レジ清算のときカードをつかう私にこういった。

――二回ほどタッチしてください。

 ほど?何???

 デイリーストアに入った。レジ横のチキンを買うためである。その袋をひとつ手にとってレジ台におく。このとき横のセルフレジを女がつかいだした。

 会計はカードだからすぐにおわった。でていくとき、この女が左前の先を歩きだしており、ごほごほっと女がやった。19くらい。またこんなのがいた。脳細胞がしなびていそうにみえた。やりかえした。店内の人にきこえても構わなかった。

 セルフレジをつかうとき、店員のいるレジの前にだれもいなければ自分だけに視線が集まる。それでその女は、私がレジ前にいったタイミングを利用したとさえ思えた。

 ローソン100の店前にカップめんが積んであった。割引の表示があるので買おうかと思っていると、左から男がきているとわかった。すーっ。男は私にむかってきてそんなふうに鼻を鳴らした。やりかえした。見てやると、すこし驚いたような顔で私を見た。そもそも私なら人にむかってはいかない。55くらい。見かけだけは整った勤め帰りふうにみえた。

 店内に何人もがいた。レジの列につく。このとき女が冷凍食品を見ていた。30くらい、太目。私とはちょうど背中あわせであった。ところが、この女はすぐさま反転した。私の横の棚を見はじめた。よくあるようにそこにさも関心があるといったような嘘くささをみせていた。この女の目的は私を視野にいれることであったにちがいない。

 こんな女から逃れ離れるように列からはみでた。ほかの通路へ入りこんだ。

 ミルチア・エリアーデはボナヴェントゥラの著作から次のことをひいている。――我々は、我々自身の精神の内へと入りこまねばならない。そこには神の永遠で霊的な似像が、我々の内に現存している。ここで、我々は神の真理の内に入るのである。(『世界宗教史Ⅲ』)

●水着の女がむかってきた。①

1159.2024年1/5 杉十小プールへいく。更衣室に帰りの着替え中の人が何人かいた。この日が年始のスタートだから、先月よりも多い。そのうちのひとりは68くらい、ロッカーに背をむけている。奥に入ってきた私を見た。上着やら何やらをロッカーからひとつだしては体を私にむけるということをくりかえした。

 ある男、40くらいは、自由エリアをクロールで往復していた。コースロープから一メートルほど離れたところを、自分だけの手前勝手な特等コースに仕立てていた。往復といっても、コース内の私とはちがい、25メートル泳いでは休んでいた。

 コース内を泳いだ。並びあうもうひとつのコースに移って方向転換をはかるとき、ごほっとこの男が口を鳴らした。これがあって初めて、その男の顔に目をやった。やりかえした。

 休憩時間のアナウンスがあり、水からあがった。プールサイドを男子更衣室へと歩く。泳いでいた水着の女がきていた。25くらい。ななめにむかってきた。はっきりわかることをやった。まただ。私はすぐに、さっと右へ、この女のいたほうへ寄ってあいだをとった。

 このとき目の先に監視員の男がいた。22くらい。大学生か。何をするでもなく、歩いている水着姿のこっちをじーっと見ていた。

 更衣室をでた。一階への階段の上がり口へいく。女子更衣室から女があらわれた。40くらい。コース内で泳いでいた人にはみえなかった。私はこの女に見られて先に階段をつかった。

 貴重品ボックスの鍵をあけた。持ち物をとりだしていると、その女が左ななめうしろに立った。体を私にむけている。まただ。

 そこを離れると、女は貴重品ボックスのむこう側にある脱水機へむかった。私をじゃまくさく思っていたのか。

 青梅街道を西へとった。小犬の散歩の男がきた。23くらい。犬はとことこ車道際へいき、この男は歩道の中央に寄って私と間近くすれちがった。リードはぴんとのびていた。これを当の男は不自然に思わないというわけだった。

 高円寺通りを渡る。杉六小方面への道をいく。反対側から歩きたばこの男がきていた。65くらい。風体はいいとはいえない。繁華街の裏路地で似たような風情の男らとたむろしていそうにみえた。携帯灰皿でたばこの火を揉み消すや、道をなぞえにまっすぐむかってきた。うえーっ。まただ。

 阿佐ヶ谷一番街をいく。むかってくる男がいた。68くらい。私を見つづけている。

――こっち見てる。

 いってやると。何かぶつぶついいかえしてきた。

●バドミントン。マイモニデス。ミルチア・エリアーデ。

1158.2024年1/2 高円寺通りへの道において、男がきていた。30くらい。なんとなくいやなものを感じ、枝道におれていく。そのさなか、ごほごほっと男が口を鳴らした。やっぱりだった。

 受付にて手続き中、奥から男がきた。25くらい。退出である。こっちを見るので背中をむけると、男は私に正確無比に体をむけて両手を組みあわせた。にやにやしている。人にからむだけのthe日本人がまたいた。

 まいばすけっと高円寺駅北店にてレジ精算中、となりのレジ前にいる女が私に顔をむけた。23くらい。私を見た。

 三叉路で左をとった。このとき、うしろから二人組の男らが大きな声でしゃべりながらきていた。酒を飲んだ帰りか。がさつな感じがした。

 右へ曲がろうというとき、ごほっとそのうちのひとりが口を鳴らした。私を見つづけていたのである。個としてのありようを追求していない。

 やよい軒の前に信号機つき横断歩道がある。そこを自転車の男が渡ってくる。22くらい。私にライトをむけてむかってきた。

 レンタカーの店へと避け、この男の後ろ姿に、うっと口を鳴らしてやった。このあと歩道をいくと、道のむこう側をきている女ふたりのうちのひとりが、顔をこっちにむけているとわかった。21くらい。外界のものに反応するばかりにみえた。

 前後から車がきていないのをたしかめて駐輪場のほうへ渡った。JRの高架下スポーツジムのあたりから男がきていた。68くらい。バドミントンのようなものを背負っている。うっ。男がかました。やりかえした。すれちがったあと、男はごほごほっとやった。やりかえした。

 ローソン100高円寺北店に男がいた。25くらい。通路に立って体をこっちにむけ、私を見た。まただ。

 ミルチア・エリアーデは『世界宗教史Ⅲ』において、マイモニデスの解釈者の見解をとりあげている。マイモニデスは1135年コルドバに生まれ、中世ユダヤ教思想をきわめた。

 次のごとくである――神と人との間には無と深淵が横たわり、その無を受け容れることによって深淵を越えられる。神への接近にともなう否定性、哲学的観点からする神の不可捉性は、無の内へのこの自己放棄の像[イメージ]にすぎない。無を通って進んでいくことでこそ、人は神に近づく、と。

●缶チューハイ。百瀬文晃。森鷗外。生島淳。

1157.2023年11/24 くしゃーんっ。東窓のむこうで、わざとらしいくしゃみの音がした。いやがらせ男がこっちのデスクライトがついているのを見てとって、ひまにまかせて思いっきりそうやったのにちがいない。きょうは平日だから有給休暇をとっているのか。

 さんざん手出しをしてきている。返り討ちにあうとは思っていないのだろう。

 高円寺駅南口から東へ高架沿いをいくことができる。変則五差路まではたかだか二十メートルくらいか。その左にガード下が、右ななめむこうにファミマがある。この道ではろくな目にあっていない。

 この日、駅へとむかう人が多かった。右端を歩いた。ファミマのほうから女がふたりならんで、しゃべりつつきている。そのうちの23くらいとすれちがうとき、ぴしーっと女がファスナーの音をたてた。

 即座に口真似でやりかえした。思い返すとこの女は、五差路からきたときなんだか肘を突きだすようにしていたから、私を見とがめるやいなやファスナー攻撃の準備にとりかかっていたのである。うえっ。

 こんな女がいたおかげで、あの東窓にくしゃーんっとくしゃみのまねをした男の行状が相対化され、薄まっていく。この女もあの男も、手出し王国の忠実なる住民にほかならない。この人たちはおしなべて自家の檮昧を嘆かない。他人への拘執、まさにこの窼臼裏に堕ちている。(森鷗外『渋江抽斎』) 

 ローソン100高円寺北店に、缶チューハイのようなものを飲み干したばかりの男が入っていく。缶はゴミ箱に捨てられた。その顔はアルコール成分により赤っぽい。パン棚の横に出入口を背にして立ち、どかずにスマホを見つづけた。ひとり酔いとはね。

 三叉路の角に、元はクリーニング店の住宅がある。ドアのところに男がいた。55くらい。鍵をかけようとして私がきていることに気づいた。体の前面をこっちにむけ、私を見た。私が枝道に入っていくと、男は鍵をかけだした。

 むこうから男がふたりきている。暗がりで、私は近眼だから、はっきりとはわからない。道は狭く、すれちがうときのストレスが予想できた。

 もどった。道をかえる。わりと広めだけれど車はあまり通らない。反対側を自転車がきた。

 ごほっ。

 その自転車の男、27くらいが口を鳴らして道をあいだにすれちがった。もっとも自転車は私のいるほうに幾分寄っていた。私が見てもいないときにこの男は私を見ていた。自分の内面を見るよりも他人の外面というわけである。

 TBSラジオの朝の番組で生島淳がこんなことをいった。――先般のラグビーワールドカップフランス大会で決勝のレフェリーをつとめたバーンズ氏が、レフェリーを辞める。彼は法廷弁護士の顔ももち、デュアルキャリアである。決勝でレッドカードをだしたことにより、SNS上で脅迫をうけるようになった。妻のメールアドレスも調べられ、そこにもきている。イエローかレッドかは、別室でビデオを見て判定をくだすバンカーシステムに拠っており、主審はそれを宣告するにすぎない。脅迫者は多数いる。あの男、あの女とおなじか似た性向である。

「どんなすばらしい仕事も、生きがいも、人間の究極の求めにこたえるものではありません。そもそも神は人間を、愛の器としておつくりになったからです。」(百瀬文晃『キリストとその教会』)

●高円寺通りのココイチ。森永卓郎。

1156.2024年1/3 階段をおりていく。折しも、むかいの家からでてきた男、72くらいが立ちどまって私を眺めた。することがないのにちがいない。

 大回りをすることになった。大久保通りをいく。いつになく枝道を見てやると、その男がとろとろ歩いてきていた。このときもこっちを見た。うえっ。

 高円寺通りへと歩く。道の反対側からきている男がいた。21くらい。

 うっ。

 男が口を鳴らした。まただ。

 ココイチのほうへ渡ろうというとき、ごほっと口鳴らしがとんできた。右からきている女、40くらいがそうやった。人を見て反応するしか能がない。

 ネットで森永さんの病状を調べた。ステージ4の膵臓がんである。余命長くて一年と知り、あーという感じだった。話がおもしろく、カッキーにいじられてリスナーをわらわせ、なごませてくれた。けれど、もうだめなのか。ヘビースモーカーでなかったなら66才であっても、抗がん剤の治療をうけずにすんでいるだろう。

 ローソン100高円寺北店に入った。ある男、30くらいが私に体をむけて通路をきつつ顔だけは棚にむけていた。

 レジ会計中、次の順番の男がすぐ横にきて、買うものをレジ台においた。28くらい。このあと、すぐうしろにきた。会計画面をのぞきこんだ。どういうカードをつかっているのか見ようとしていた。そんなに人が気になるか。

●柴崎友香とラジオと。

1155.2023年12/27 何日か前、TBSラジオに作家の柴崎友香がでていた。ラジオはリスナーとの距離がちかくていいというようなことをいい、TBSにでているからというわけではないがと前置きし、同局の帯番組をいくつかとりあげた。出演がきまってラジオを聴いてみたぐらいにみえた。

 この人はラジオリスナーではない。ニッポン放送(垣花正および森永卓郎、中瀬ゆかり)も文化放送(大竹まこと)も、NACK5(松山千春)も聴いてはいないのだろう。

●スカンクの悪臭。G・K・チェスタトン。

1154.2023年12/26 ローソン100高円寺北店に入った。百円ないし百五十円のおせちがあるからである。その売場に男がいた。28くらい。例によって動かない。私は焦れつつ、この男がいなくなるのを待った。男は動かない。

 通路をかえた。するとそこにいた女がすでに背をむけ、私を忌避するようにほかへいく。この女の存在はこのときわかり、この女22くらいは、棚の隙間ごしに私を見ていたのにちがいない。

 この女が私のいる通路へ入ってきそうになると、ほかへ動いた。女は、私を見ることができるところにきて商品を見るふりをしていた。

 場所をかえた。

 女は何も買わずでていった。店内にいただけである。あとにスカンクの悪臭のような香りが残った。

 G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』において、次の会話がある。

 ・・・・・・卑下は巨人や超人を生むものなのです。谷にいる人はそこから偉大なものを見る。ところが山のてっぺんからは小さなものしか見えぬのです」