★娘が理事長に襲われた。45。cuarenta y cinco.

1180~1205

●銀だこのカスハラ。マックス・ヴェーバー。②

1205.2024年3/8 阿佐ヶ谷パールセンターに銀だこがある。テイクアウトのカウンター前に男がおり、この男68くらいはカウンターの板を手のひらでばんっとぶったたいた。店員男性の表情が凍りつく。男は何か文句をいいたてていた。カスタマーハラスメントである。条例なり法律なり、対策が急務である。

 帰りの中杉通りで、すれちがおうとする男が、ううっと口を鳴らした。やりかえし、その男を見てやった。前にもこの歩道でそんなふうにかかわってきた男にみえた。

 一番街商店街へ男が入っていく。35くらい。ぶらついている。こういう男は避けるにしくはない。それでめずらしく高架下を歩いた。むこうからきている女がいた。50くらい。だんだん通路の中央にくる。目を伏せて、私にむかってくる。まただ。高架下ではやっぱり、ろくな目にあわない。

 まいばすけっと高円寺駅北店に女がいた。33くらい。通路の端に立ちどまって体を私にむけ、顔はそらしていた。うえっ。

 環七とJRの交差する高架下に、デイリーストアがある。チキンを買おうとそこに入った。レジ横のチキンをひとつとるとき、男、48くらいが私のうしろのパン売場を見ていた。私がレジの前にいくと、この男は右横からまっすぐむかってきた。私を見ていた。このあと、うしろをとおって左横の揚げ物類を見はじめた。私の存在を利用してそこにいるのにちがいない。

 レジ会計中、その男が真うしろにきた。うっと口を鳴らした。気もちわるいくらい接近している。うえーっ。

 でていくとき、やりかえした。

 コンビニなど入るものではない。

 マックス・ヴェーバーは洗礼派の諸集団について、こう書いた。「現世とその利害からの内的訣別、および良心においてわれわれに語りかけ給う神の支配への無条件的な服従だけが、まことの再生の紛れもない標識であり、したがってそれにふさわしい行為が救いの必要事となった。救いは功績によってかちとりうるものではなく、神の恩恵の賜物なのだが、しかし、良心にしたがって生活する者だけが自分を再生者と考えてよいというのだった。」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

●夫婦者が大型犬の散歩をする。①

1204.2024年3/8 桃園通りを歩く。ううっ。すれちがう男が、スマホを見つつそうやった。24くらい。

 中野駅北口方面、ライフの手前にパチンコ店がある。その店の前に男が、ひまそうに立っていた。70くらい。歩いている私に顔をむけ私を見つづけたあげく、動きだした。あとをつけてくると私は察知し、足のむきをかえパチンコ店に入った。男はいちいちこっちを見ていた。ニッポンという名の工場で様式にのっとって大量生産された男、こんな無個性の男がまたいた。

 東隣のローン付き一戸建ての男もおなじたぐいである。ガレージに立って、歩いてくる私をとくと見つづけた。このとき西隣の女もまったくおなじことをしていた。うえーっ。

 新井薬師の商店街において、男女のふたり組がきていた。すれちがおうというとき、その男40くらいがうっと口を鳴らした。

 西武新宿線の踏切をこえた。道をはさんで東亜学園の正門前あたりをいく。むこうから男がきていた。30くらい。すれちがったそのとき、ごほっと口を鳴らした。

 哲学堂近辺の歩道を女がきていた。65くらい。狭い歩道の真ん中を、こっちにむかってきた。神経がさつ女がまたいた。

 車通りの歩道を歩く。ごほっ。口鳴らし音がきこえた。脇をオートバイが走り去っていく。乗っている男、65くらいがそうやったのだとわかった。そんな音がなかったなら、オートバイを気にとめなかっただろう。

 南長崎スポーツセンターで泳ぐ。飛び込み台のところに男があらわれた。この男、50くらいは、スパッツようの黒い水着をはいていた。私の泳ぎやら、こどもの水泳教室のようすやらを見てばかりいた。そこに両手をおいて腕立て伏せをしていることもあった。いっこうに水に入らない。泳ぎにきたのではないのか。

 一時間ほど、たっぷり泳ぎつづけた。水からあがって更衣室へむかおうとする。ごほっ。その男が口を鳴らした。何をしにきたのだろう。the日本人、最下層の阿呆。そんなのがまたいた。

 着替えをしていると、シャワー場から素っ裸の男が入ってきた。67くらい。そのまま私の横ちかく、壁一面の大鏡の前で、脱水機をつかいだした。体を20度こっちにむけ私のようすをうかがいながらである。

 ナップザックを背負った。靴をいれてあるレジ袋を手に、出入口へいく。その男は依然として何も着ていないまま、大鏡のむこう端でヘアードライヤーをつかっている。なんだ、こいつ。早く帰って自分のことをしようという気がまるでないとみえた。

 四つ辻に犬の散歩の男があらわれた。65くらい。黒い大型犬を連れている。妻らしき女もいる。こちらも65くらい。この女がひとりだけで四つ辻の中央まできた。こっちに体をむけて立ちどまった。私をとっくり見ようとしている。

 うゃあー。

 叫んでやった。ぅわわわわん、わん。大型犬が吠えた。激しい。

 くそったれ女め。

 早稲田通りにでようというとき、細道のむこうに女と幼児がいた。幼児は幼児らしく、ちょろちょろしている。女は30くらい、私がきていることを気にとめ、首を90度まわし私を見つづける。動かない。

 予定をかえ、枝道に入った。初めての道である。抜けられず、結局ひとまわりしただけで、元の道にもどった。早稲田通り方向を見ると、折しも女がそこへ入っていこうとしていた。よくいる女が、ビルの建物で見えなくなった。

●夏でもないのに女が日傘をさす。

1203.2023年12/1 きのうバスに乗った。最後列右の私から、あいだにふたつおいた前方の席に男がすわった。33くらい。体をななめにしてすわってスマホを見ていた。塾帰りの小学生男子三人組が騒ぐと、顔をむけてかれらのようすを見た。だからスマホに没溺などしていない。

 小学生らもおりて、私のまわりにだれもいなくなった。その男はうしろに顔をむけ、私を見た。うえっ。初めからよほど気になって、それで横ずわり気味であったのだろう。

 きょう早稲田通りを渡り、新井薬師への商店街を歩いた。男が何かの店の前に立ちどまっていた。70くらい。店のなかを見ている。それで私は道の中央寄りをいかざるをえなかった。

 ごっほっ。

 すぐうしろから女が口を鳴らす。自転車が脇を前へいく。その自転車の女、45くらいにおなじことをやってやった。もう一台がつづいた。親子らしい。子は18くらい。この女も私の前へいきつつ、ごほっとやった。私はその背中にやりかえした。

 車通りから住宅街に入った。西落合。ここではろくな目にあってきていない。

 犬の散歩の女がきた。日傘をさしている。初冬に日傘とはね。顔を隠すための小道具である。思ったとおり、日傘の縁の下から私をじーっと見つづけている。18くらい。

――かくす、かくす、かさでかくす。

 いってやった。

 ふりかえると、女が立ちどまって私をにらむように見ているのがみえた。けちな自負心を増長させている。もはや愛玩犬の散歩どころではない。どういう錘をだれからもらってどんな飾りをぺたぺた貼っているのか、毫も意識していないとみえる。

 走った。十字路を左にまがった。すこしいってふりかえると、女がきていた。追いかけてきた。精神からっぽ女が日傘で人を刺激したうえで、初めの方向とは反対をとって追いうちをかけている。

 南長崎スポーツセンターで泳ぐ。私のあとをくる人がいた。二度も三度もそうやった。その泳ぎを何げに見ると、女だった。20くらいか。絶対に先を泳がないと決めているのにちがいない。だから私はコース取りに変化をつけて、女の目論見を阻んだ。

 コース端にいきつくと、方向転換でとなりのコースへとロープの下を潜りこまなければならない。このときそのコース側に女がいた。こっちに尻をむけ片足を振り子のように動かしている。またこんなのがいた。

 帰りの更衣室にいた男は、そこに入りこんだ私を見た。40くらい。私のつかっていたロッカーはその男のいるほうにあるから、男がでていくまでシャワー場で待つことにした。

 男がでていく。私はロッカーの鍵をあける。

 うっ。

 男は口を鳴らして靴をはき、去った。

 ローソン100高円寺北店に男がいた。22くらい。こっちに一瞬体がむくように半回転した。私を見るためだ。別の男25くらいは私のちかくをとおり、もどって私を視野にいれて立ちどまった。うえっ。

●杉並郵便局からの帰り。池澤夏樹。

1202.2024年3/30 中杉通りを歩いた。すぐ前方をカップルがいく。のろい。ごほごほっ。ななめ左うしろから口鳴らし音がした。ふりむくと、男が何食わぬ顔で車道を渡ってきていた。35くらい。私にぜったいに目をむけてこない。ものごとを考える脳細胞は、へちまたわしのようにすかすかである。

 両ドア空間すじむこうに女がいる。20くらい。目をこっちにむけ、私を見つづけた。

 となりの車両の女がガラス越しにこっちを見た。15くらい。うえっ。

 まんまえにすわった女68くらいが、くしゃんとわざとくしゃみをしたと思えた。

 左むこうのドア脇に女がいる。18くらい。体を60度こっちにむけてスマホに目を落としつつ、ちらちらこっちを見ている。女子高生か。早稲田でおりていく。超ミニかキュロットである。韓国人かもしれない。

 道の反対側の男が、むかってこようとした。28くらい。私は駆けだした。十字路を突っきった。女がきていた。48くらい。しげしげ私を見はじめた。

 となりの車両に男がいる。35くらい。顔をこっちにむけ、私が何をしているのかを見ている。それでファイルを、ひらいた雑誌のなかにいれた。すると男はようやく顔を正面にむけた。いまはスマホである。またこんなのがいた。

 前方に外国人家族らしき三人がすわっている。欧米系である。女40くらい、男16くらい、男47くらい。だれも私のことを見てなんかいない。

 終点についた。となりの車両のあの男が、女と乗っていたとわかった。35ではなく、25くらいだった。

 桃園通りを歩く。スマホ男30くらいを抜かした。前方から七八人の集団がきていた。ごほっ。その抜かされた男が口を鳴らした。うえっ。

 まいばすけっと中野三丁目店においてレジ会計中、くしゃーんと右のむこうからくしゃみの音がした。女がわざとこっちに顔をむけてやった。23くらい。男といっしょである。

 池澤夏樹「ヤー・チャイカ」にこうある。「ディプロドクスの頭に乗ったわたしも、だんだんに見えなくなります。そういう風にしてわたしは自分と別れ、そうしてわたしは新しい自分になるのだと、見ているわたしにはわかりました。わたしは霧の中で目をこらして、去ってゆく自分を見送りました。」(『スティル・ライフ』所収)

 自分を相対化する感覚をもてている人は、ほんとうにすくない。

●47%増量プレミアムロールケーキ。村瀬学。

1201.2024年2/13 細道で車を洗う男がいた。年令不明。というのはそっちを見なかったから。水を洗う音からして男が、歩いていく私の姿を見ていると感じとれた。

 高井戸プールのある敷地の端に女がいた。40くらい。腰をおろし、遠くの私をじーっと見ていた。宗教的気宇をそなえているか。否である。

 泳ぎはじめた。しょっぱなの二十五メートルをおえた。方向転換にコースロープをもぐりこもうとするとき、ごほごほっと思いっきりの咳真似音が後ろ頸に浴びせられた。女からである。

 ふりむきつつ条件反射のように、うゃあーっと叫んだ。監視員の女も聞いたにちがいない。この女、23くらいは精神性のなさをこれでもかとみせた。泳げる技量はもっていたけれども、目を瞠るほどの運動センスはないとみえた。常連、唯我独尊の常連である。

 ローソンで47%増量プレミアムロールケーキがあれば、買うつもりだった。それで、五日市街道の、いつもは通らないほうへいった。交差点を渡り、ファミレスを前に右をとった。

 ごほっ。

 見ると信号待ちの車の窓があいている。運転手の男50くらいが、とぼけていた。こいつにやりかえした。もう一度やってやると、男は、ようやく何食わないというようにしれっと顔をむけた。

 このとき前方を老婆のふたりが歩いていた。ふたりを抜かすと、うっとひとりが口を鳴らした。私が最前たてた二度の口中音に反応したのである。やりかえすと、またやった。

 増量のプレミアムロールケーキはなかった。

 次にJR高架下のローソンに入ろうと考えた。店の脇を女がきていた。23くらい。女はすれちがうとき、ごほっと口を鳴らした。やりかえす。その耳に白いワイヤレスイヤホンがささっているのがみえた。むだだった。

 ローソン100高円寺北店に男が入ってきた。25くらい。この男は通路を曲がりこんで、私に体をむけた。うえっ。すれちがうとき、うっと口を鳴らした。

 くしゃーんっ。くしゃみに似せた暴力音がした。ベランダからである。高卒男か。またやった。逆ギレは止まらない。

「一人の他人に出会う時には、たぶん一人の新しい自分が生れる」と村瀬学は書いた。「たとえうまくいかなかった出会いからでも、僕はそれまで感じなかった自分をたくさん目覚めさせてもらってきたように思います。」(村瀬学『未形の子どもへ』)

●典型女――ローソンの場合。②

1200.2024年2/29 ローソン杉並高円寺駅入口店に入った。からあげくんを初めて買うためである。通路にいると、女が入ってきた。むかってくる。こんな女から離れて、レジ前へいく。

 注文した。このとき女は私の右手の弁当類の前におり、私が何を注文したのかきいていた。

 待っているとき、その女、25くらいが後方にいたり、右横にいたりした。私を視野にいれておくことだけを目的としているとみえた。それに、店員の視線が分散するのを狙っていたのにちがいない。会計のとき、左ななめうしろのカップめんの棚の前にいた。ただ見ているだけであり、そういうものを買う気はてんでないのにちがいなかった。

 そいつのいるほうを避け、レジ正面の通路へ入っていこうとした。女は体を90度まわし私のいるほうにむいた。うえっ。太め。糞尿袋だ。情緒なし。

 通路をまわって出入口へいくとき、レジ前のほうを見てやった。女は商品をひとつももたず、弁当類の前へいく。私がでていくのを見てその行動に移っていよう。もともと夕飯を買いにきたのだろう。茶色のまだら染めの長い髪は、風俗嬢のそれにみえないこともなかった。

 ローソン100に入った。男がいた。70くらい。奥にいて、棚の隙間から私の動きを見ているとみえた。

 出入口にちかいほうのレジへいく。すると、もうひとつのレジ前に、その男がきた。体を60度こっちにむけた。ごほごほっ。またやった。こんなやつだ。

●典型男――鷺宮プールの場合。①

1199.2024年2/29 外階段をおりていく。おりきろうというとき、道のむかいの家からでてきた女が歩いていくのがみえた。68くらい。すーっ。女は鼻を鳴らした。

 こんな女とは反対方向へ、予定どおり歩いた。

 中杉通りにおいて、うしろから口笛の音がきこえてきた。ふりむく。自転車の男がきている。25くらい。口笛は威嚇であり、罵詈讒謗にひとしい。

 建物の一階に逃れた。走ってきた自転車の男は、顔をこっちにむけて私を見て去った。

 その自転車がラーメン店の前でとまるのがみえた。大慶という店である。人気店らしい。店内の券売機の前にその男が並んでいる。こんな男にラーメンをだすってわけだ。

 鷺宮プールへいく。警備員がやっぱりいた。中野区独特である。私はさんざん口鳴らしをされてきている。この日の警備員はうつむきがちであったけれども、私が利用券を買うようすをしっかり見ていた。挨拶はしてこない。そのほうが気楽でいい。

 更衣室に男がいた。70くらい。泳ぎおわって帰るのである。やることが遅い。体をこちらにむけている。平然とそうやっている。こんな男に見られないように、カーテンのひけるスペースで着替えをした。

 完泳コースの端に女がおり、泳ぎだす気配がない。それで自由エリアに入った。ちかくにいる男が、ううっと口を鳴らした。常連だろう。

 25メートル泳いで、完泳コースに移った。コースとはいうものの、ここは三コース分をひとまとめの泳域にしてある。

 25メートル泳ぎきってフリーエリアとの堺をなすコースロープのほうへいく。そのさなか、ごほっと口鳴らしがきこえた。監視員がやったのか渡渉コースの男がやったのか、よくわからなかった。ともかくやりかえした。

 込んでいた。中野区在住で会員になれば一時間百五十円だもんなあ。俺が払ったのの半分だ。男女の常連だらけだ。

 帰りの更衣室に65くらいの男がいた。私がロッカーから衣服等をとりだしカーテンのあるスペースに移ろうとするとき、顔を私にむけた。うえっ。のろのろ帰りの着替えをしているうえに、人を見ている始末だった。典型男である。

 階段をあがっていく。ごほっ。あとからきている女が、私に口を鳴らした。やりかえした。

 妙正寺川の川沿いの道をいく。むこうからきている男が、だんだんこっちにむかってきた。23くらい。まただ。

 中杉通りを歩いているとき、ごほっとまたも口鳴らしがきこえた。阿佐ヶ谷方面へいくワゴン車からである。運転席の窓があいており、男55くらいが右肘を張りだして片手運転をしているもようである。服と横顔がみえた。ワークマンで買ったような上着。運転のみならず何であれまるで集中力のなさそうな顔。どこかの現場作業員ふうのこんな男にやりかえした。

 通りのむこう側を、自転車の女がきていた。50くらい。顔をこっちにむけている。そんなやつに、てのひらでぱーとやってやった。

 西友阿佐ヶ谷店の前に男がいた。40くらい。サングラスをはめた目を、歩いてくる私にじーっと注いでいる。仕事がないのだとみえた。

●くどうれいん。燃え殻。中島みゆき。②

1198.2024年3/20 東京メトロの駅のラックに、フリーペーパーが積み重なる。大手新聞社の発行するものはエリート意識が見え隠れするのにたいし、きょうそこにあったのはそうではなく、私が好んでページを繰ってきているほうである。それをひらくと燃え殻氏の文章があった。四ページにわたる。電車内では目が疲れるため、まともに読めない。それが気になってならず、アウグスティヌスを読む予定をかえた。くどうれいんのときと似ている。

 ふたつとないペンネームの燃え殻氏はフリーペーパーの企画にのっとって昨年夏に30時間をつかった。品川から新幹線こだまに乗って父方の実家のあった沼津へいき、餃子店、中央亭の行列にならぶ。ふいにテレビ取材をうけたとき、前後の人から視線を送られたことも書いている。ホテルに一泊し、ふたたびその名店で餃子を食べている。私なら30時間内の、どれほどの人からの圧力を書けるだろう。

 30時間あったらどこにいく?編集長も燃え殻氏も過去の、家族との思い出をなぞりかえしている。過去を葬って墓標をたてるというようなことをしていない。

 ともあれ、燃え殻氏はエッセイ「一日とちょっとの旅」(『メトロミニッツローカリズム』2024年4月号)にこう書いた。僕は「ここではないどこかへ」と常々思って生きている、と。

 彼は中島みゆきを聴くのだろうか。

 僕があなたを知らないように、あなたはあなたを知らない、と中島の「旅人よ我に帰れ」は始まる。次のフレーズがある。

 旅を命ずるそのささやきはあなたの生きる日を願うか。

 私なら新幹線をつかわない。「ローカルの日常」は、いまのどこかにある。歩きに歩く。人の世の炎涼を身にうけ、どこか知らない遠くの町へいく。そこのプールで泳ぐ。苦手だけれど町中華でごはんを食べる。あるいは、テイクアウトをする。宿にとまって歩いて帰ってくる。この世の塵埃が排気ガスの粒のようにふりかかっており、それを剥ぎとるように文章を書く。

●横断歩道のカップル。①

1197.2024年3/20 中野への道において女65くらいは、顔をずーっとこっちにむけて歩いてきた。このあと女33くらいは小道の中央に寄り、むかってきた。

 始発に乗った。発車待ちのとき男性60くらいが、私の横にするか私のすじかいにするかでためらい、すいませんといって私の横にきた。めずらしいよね、こういう人は。いまスマホを見ている。

 真ん前の男、60くらいが、うっと口を鳴らした。私の横の男性が避けたやつだ。この男性がおりた。

 そいつは肘枕をしている。

 男30くらいが、左むこうに立った。えっ?私に体をむけてスマホである。またこんなのだ。次駅でおりた。

 4才くらいの女児がすじかいにきた。母たる女32くらいが、私に体をむけ私を見た。うえっ。父親もいる。

 坂の左をおりていく。右をおりてきている男25くらいが、ごほごほっと口を鳴らした。

 階段をおりた。道をはさんでむこう側の角に料理店がある。私は大通りにある信号の色がかわるのを待っていた。ふとその店にいる女に気づいた。ガラス越しにこっちに顔をむけている。28くらい。友人か知人とむきあってごはんを食べていながら没入できない。そんな女からただちに目をそらし、場所をかえた。

 ホーム上に男が三人かたまっていた。そのうちのひとりは、距離のある私に体をむけつづけ私を見ていた。私が見てやると、さっと目だけを動かした。からっぽ男の本領発揮である。電車が強風で遅れており、そんな男を目にすることになった。

 中野通りの信号が赤にかわったばかりだったので、高架下へいく。だが、むこうからきている女23くらいが、私を気にしているとみえた。もどった。ごほごほっ、ごほごほっ。カップルの女、22くらいが男の腕に顔を近づけそうやった。横目で私を見ており、高架下へいったときから私の動きを見ていたのにちがいない。

 桃園通りの方向へと歩く。ごほごほっ。男三人組のひとりが、まだ距離があるときにそうやった。ごほっごほっ。近づいたときまたやった。

 まいばすけっと中野三丁目店に女がいた。28くらい。この女が動いたので、女のいたところへいく。女は私に顔をむけた。うえっ。

 レジ袋を提げて右にマンションの生け垣のある道を歩く。ごほっごほっ、ごほっごほっ。まただ。ふりむくと男25くらいが私を見ていた。この男である。

 三叉路で曲がるとき、うゃあーと大声をがなりたててやった。

 外にいてそうであり、内においてもそうである。東西北の三方向の住人から口鳴らしがとんでくる。南からは午前四時、こっちが眠っているときに東の男がマンションの敷地内に違法に侵入してががが、がりがりと工具をつかって音をたて、私の目を覚まさせている。

 この都会はどういうところだ。

●楽天イーグルスのネックストラップ。B・パステルナーク。②

1196.2024年3/23 時間があり、中野駅北口方面にあるローソンでロッピをつかっていた。お試し引換券を手にいれるためである。うっ。右から口鳴らしがとんできた。入ってきた男60くらいが私をじゃまくさく思いそうやって、うしろをとおった。左の雑誌コーナーの前へいく。人がいるなら奥からまわりこめばいいのに、そうはしていない。人を人とも思わないやからが、あれ系の雑誌を見にきたのか。

 商店街の十字路を突っきるとき、前方で女25くらいが立ちどまった。こっち方面の遠くを見た。このあと、うっと左から女が口を鳴らした。28くらい。幼児連れ。

 すいている始発に乗った。前方に母48くらい、息子12くらいの親子とおぼしきふたりがいる。どこかで遊んできた帰りか。男の子はねむそうだ。体型のくずれた母は、お菓子を食べている。男の子のネックストラップは楽天イーグルスのそれである。Suica入れか。

 夜闇のなか、男がT字路から曲がりこんできた。27くらい。道の反対側のこっちを気にしているのにちがいない。ななめにまっすぐむかってきた。やっぱりだ。the日本人め。欧米人がこういうことをするのを見たことがない。

 坂道をカップルがおりてくる。ひとりの男もいる。私は左のガードレールのなかをいく。カップルの男が女とガードレールをあいだに、うっと口を鳴らして私とすれちがった。38くらい。

 優先席の連結部寄りにすわった。走行中、男60くらいがこっちにきた。私がひとりでいるのを見とがめたうえでのことにちがいない。ごほっ。人の目の前で、顔を引き戸にむけてそうやった。わざわざ席を狙ってきて、思いっきりである。プールで背後からごほごほっとやった女と同じであり、私のいる窓にむけてくしゃーんとくしゃみのまねをした男と同じである。ごほっと西窓にむけてベランダから音をたてた男、カーテンのない小窓から通りがかる私にごろごろごろごろごろっとうがいの音をたてたストーカー女、そんな男や女と同じである。

 そいつは私の真ん前にすわった。すぐに鼻をかみはじめた。私の左のほうのドア前にきていた女21くらいが、長椅子のむこうへ移った。

 席を立つ。こんなところにいられるわけがない。通路を歩いた。

 すわれた。すじかいの男45くらいは、顔をこっちにむけ私を見つづけている。うえっ。

 チフスにかかったジバゴは断続して熱に浮かされ、幻覚を見た。「事実、地獄が、崩壊が、腐敗が、死が、彼に手を触れようと待ちかまえていた。けれど、それらと同時に、彼に触れようと願うものには、春があり、マグダレーナ[マグダラのマリア]があり、生があった。だからこそ――目ざめのときなのだ。目ざめて起きあがるべきときなのだ。よみがえりのときなのだ。」(B・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』)

●緑道で犬の散歩をする。①

1195.2024年3/23 桃園川緑道をいく。自転車の男がきた。60くらい。緑道は自転車乗り入れ禁止である。どこ吹く風といった顔つきをしていた。

 そのあと、犬の散歩の男が曲がりこんできた。20くらい。緑道はせまいというのに柴犬のような中型犬を道の中央に、どんどんむかってきた。意図してそうやっているとみえた。

 うひゃあー。

 すれちがいざま叫んでやった。男はすぐさま、ちぇっと口にだした。やり慣れているとみえた。

 緑道からでるとき見てやると、すでに男は立ちどまって亢傲然とこっちを見つづけていた。このときは高三くらいにみえた。緑道に犬を連れてくるばかだ。

 盗人たけだけしい。

 人をなめきっている。とどのつまり、個をもっていない。鷺宮プールの警備員が人のようすをじーっと見ていながら、人から挨拶を返されないとごほっと口鳴らしをした。そんな警備員と同じである。高三のその親が1976年生まれだと考えてみる。モントリオールオリンピックの年だ。経済だけをぶくぶく太らせた人間の獣性がその子供に、意識するとしないとを問わず伝授されているのにちがいない。

 阿佐ヶ谷において道の端で、女がスマホをいじくっていた。40くらい。私は道の反対側へいく。女は私がくるほうへと体をむけかえた。道をあいだに私と並ぶように歩きだした。これも女が意図してやったことにちがいない。

 もどった。

 杉並学院正門のある道において、父と息子といったふたり連れがきていた。43くらいと11くらい。つと、道の反対側のこっちへむかってきた。またこんなのがいた。

 早稲田通りを歩く。むこうからきている男65くらいが、歩道の真ん中をきている。すれちがう直前、ごほごほっと口を鳴らした。

 中野通りのローソン100でAGFのスティックコーヒーだけを買った。でていくとき、ごほっと店員男が口を鳴らした。日本人の名札をつけたそいつに、やりかえした。

●パル商店街。マックス・ヴェーバー。

1194.2024年3/18 銀行二行のATMをつかったあとだったから、高円寺パル商店街を歩いた。70くらいの男を抜き去ろうとしたとき、ごほっとこの男が口を鳴らした。

 阿佐ヶ谷駅ホームに東南アジア系の顔だちの小柄な男がいた。23くらい。飲みおえたペットボトル500mlを、自販機の裏からその天井においた。いやはや。

 中央総武各停において、真ん前に女がすわった。58くらい。顔をこっちにむけ、私を見た。すじかいにすわればいいものを、そうはしていない。

 橋のたもとに女がいた。40くらい。スマホを見つつそこにいた。私の動きをも見ていた。なんとなれば常に私を視野にいれられるところに立ちどまっていたから。

 女25くらいが坂の右へ移った。これで坂をのぼっていく私とは正面ですれちがわない。だが、女は坂をななめに私にむかってきた。これがために右へ移っていたわけだ。このやり口を、前に45くらいの女が別の道でやりおおせていた。

 駅のホームにて女がベンチにすわっていた。24くらい。電車が入ってくると、私にむかってきた。うえっ。

 ふたつおいたむこうの男30くらいは、なんとなく顔をこっちにむけてスマホを見ている。いま八人すわれるところに私とその男だけがいる。さっきふたりがおりて、そうなった。

 中野駅中央通路を南口改札へむかっていると、ごほっと後方から男が口を鳴らした。二十代、またこんな男がいた。うけた教育が不足している。

 マックス・ヴェーバーは「ピュウリタンにとって、神の意志か、被造物的虚栄か、の二者択一があるだけだった」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)と書いた。この国、この都会の大勢の人たちは束になって被造物的虚栄だけをとり、一見大道とみえるところを胸をはって歩いている。

●三人の男子高校生。尾崎翠。②

1193.2024年3/14 中杉通りからサンジェルマンの角を折れた。阿佐谷パールセンターのローソン方面にむかう。同センターに入って左をとるや、ごほっと口鳴らし音がきこえた。見るとローソンの店前に家族連れらしき男、女、それに幼児がいる。男は30くらい、つんと顔をそらし目線をほかへ投げている。この男が人を見て反応したのにちがいない。

 細道の住宅寄りに、料理配達のバイクがとまっていた。ウーバーか。集合住宅から男がでてきた。22くらい。バイクの横にきた。体を私にむけている。ぴしーっ。ファスナーの音をたて、通りがかった私に攻撃した。

 近づかないに如くはない。

 高円寺の高架沿い南側をいく。ガード下への道との十字路に男があらわれた。この男、25くらいは、立ちどまって首を90度まわし、私を凝視しはじめた。人を見定めようとしているとみえた。数秒のあと背をむけ、私が予定していたほうへ歩きだした。そのうち私が抜き去ること必定の遅さだから、私は十字路を左にとった。高架下をいくことにした。

 やよい軒を通りすぎた。高架下駐輪場に高校生らしき男子が三人いた。こいつらを右に、先へいく。口笛が聞こえた。ふりむく。そのひとりが私とは目をあわさないものの顔をさらしている。阿呆面にみえた。宗教学や哲学にたいして弛緩しきっていよう。私の居住地の、小道をはさんだむかいの住宅にいる男が、夜、二階の窓から私に口笛を吹いており、同一人物なのかもしれない。

 そんな口笛のおかげで、こうして文章が書けている。

 ローソン100高円寺北店に、料理配達のヘルメット男が入ってきた。レジ前にきてスマホを見つつも、体をぴたりと私にむけた。23くらい。

 男が曲がりこんできた。45くらい。このままいくと幅の狭い道ですれちがうことになる。何をされるだろうか。

 もどった。

 三叉路の角の一戸建て、その玄関ドアを背にまたも男が立っていた。たばこをすいつつスマホである。くせがわるい。通りがかった私に目をあげ、私を見た。没溺できる対象をもっていないのにちがいない。

「人間とは、当事者以外はみんなくだらない周囲です。」(『ちくま日本文学全集20 尾崎翠』)

●セブンイレブンでSuicaのチャージをする。①

1192.2024年3/14 杉十小プールで泳いだ。帰るときの階段から貴重品ボックスの横手に女がいるのがみえた35くらい。脱水機をつかっている。私はそういうものをつかったことがない。早くこの場を離れることをえらんできている。このまま進むと女を正面にすることになるため、フロアにあがりきるとき右に回転し、女に背をむけるかっこうになって後ろ歩きをした。同ボックスの鍵をまわす。

 女が私のあとをきていると、靴音でわかった。逃走するように駆けた。

 青梅街道にでた。女が歩道の左端をきている。42くらい。中央のほうへこようとした。

 むかってくるっ。

 そういってやった。女の足先は元にもどった。

 環七から阿佐ヶ谷への細道に曲がりこむ。その先にある家の門口に男がいた。この男72くらいは、顔を私へとむけつづけて私をじーっと見ている。

 もどった。気をとりなおし、ふたたびそこへいくと、その男は道に背をむけて門内を徘徊するように歩いていた。

 阿佐ヶ谷駅南口正面にセブンイレブンがある。そこでSuicaのチャージをしようとレジに近づく。うっと店員男が口を鳴らした。高校生にみえた。またこんなのがいた。

 中杉通りの歩道において、先のほうから自転車が二台縦にきていた。うしろのほうの自転車の女、50くらいが中央に寄り、前方のを抜かしにかかろうとしているとみえた。私と一台目とがすれちがう瞬間にあいだに入ってくるのにちがいない。

 左の建物の空きスペースに入りこんだ。自転車が通りすぎるのを待った。二台目の女は一台目のうしろから、抜き去ることなくきた。

 ビルの三階へ階段をあがっていく。三階に男がいた。23くらい。そんなところにいる男がいつもそうであるように、こっちに体をむけ、スマホを見ている。私を待ち構えている。典型男である。私が左のドアをあけて入っていくのを横目で見ていた。私が何を感じとっているのか、まったく無頓着にみえた。

 ドアガラスごしにその男を見てやった。男は顔をこっちにむけ、のぞきこむように私を見た。うえっ。

●円覚寺の高僧。

1191.2023年12/30 高架下の道に女がいた。45くらい。立ちどまって体を道にむけている。こんなやつに右手をかざしてやると、ぴしーっとファスナーの音をたてた。

 中杉通りから阿佐ヶ谷パールセンターへの連絡路をいく。女が立っていた。35くらい。連れの女が自転車をとめるのを見つつ体をこっちにむけ私を見つづけた。

 同パールセンターのサンドラッグで女がレジ待ちをしていた。65くらい。花粉症の目薬をさがす私をじーっと見ていた。奥に男がいた。68くらい。私に体をむけ、私を見つづけた。

 Youtubeで交通事故のことを見た。数日前に高井戸東でおきた事故である。イラストレーターの女性と次女の小1のふたりが夫と長女の目の前で、自動車整備工場からバックしてきた外国製オートマチック車にはねられ死亡した。マックとコジマの看板から、あそこだとわかった。現場ちかくを通ってきたし、これからも通る。人ごととは思えない。事故後の映像を見ていて、ふるえてきた。

 女が三匹の子犬の散歩をしていた。65くらい。顔をあげ、ごほっとやった。やりかえすと、すーっとやった。やりかえした。

 自転車の女がライトをこっちにむけてどんどんむかってきた。40くらい。

 むかってくるぅ。

 そういってやると、顔をこっちにむけた。うえっ。

 電車に乗った。ふたつむこうの端の男は、体を45度こちらにむけてすわっている。20くらい。私ばかりか、はすむこうの女をも視野にいれている。すーっ。鼻を鳴らした。

 両ドア空間のすじかいにいる女が、しげしげというようにこっちに顔をむけ、私を見ている。23くらい。

 中野駅に着こうというとき、女が席を立ってドア前にきた。50くらい。私に体をむけ、私を見つづけた。

 まいばすけっと中野駅西店に男がいた。23くらい。うろうろしていた。通路をまわりこんできて、私に体をむけて立ちどまった。

 男がセルフレジをつかう。25くらい。横で会計中の私に体を30度むけていた。

 店員の大学生ふうが、私の持参したレジ袋を破いた。商品をいれるときの加減で持ち手の下のところが切れてつかえなくなったのである。この男がだめにしたのだから、備えてある新しいのをくれればいいのにそうはしなかった。機転がきかない。もとよりこの男は、汁もれのしそうなものでも薄手の小袋にいれたことがない。人と密に接する経験が足りないのである。

 日曜の今朝、NHKR2に円覚寺の高僧がでていた。こんなことをいった。――学校の成績や社会にでてからの勝ち負けで苦しんでも、広大な無分別の世界に気づけば現実の差別でおわりではない。無分別は慈愛である。

 こういうことを知らない人ばかいが、街上を闊歩している。

 この放送のとっかかりにディレクター氏がいった。自分は湘南高校に通っており円覚寺にきたことがあるとか何とか、と。仏教の思想に照らすなら、そんな自己についての発言は昧者のすることだと、かの高僧は心腹において思ったにちがいない。

●カワサキのオートバイ。「コリント人への手紙」

1190.2024年3/11 このまえの土曜日、桃園川緑道において男が、カワサキの黄緑のあざやかに映えるバイクにまたがっていた。67くらい。道をはさんだところの一戸建ての住人である。スマホを見ていた。だが、私が意図して目をそらしていたあと元にもどすと、男はすでにバイクからおりて体を私にむけ、スマホに目をおとしていた。

 高円寺を歩く。佐川急便の男、28くらいがあらわれた。台車を押している。ごほっ。男が私を見てそうやった。才識のあふれようもない男にみえた。

 細道で男がむかってきた。70くらい。

 枝道に入ってよけた。男はこっちに顔をむけて歩いていく。

 阿佐ヶ谷パールセンターにおいて、ごほっと真うしろの女がやった。45くらい。

 高円寺パル商店街を突っきった。そのとき右ななめむこうから、男がまっすぐこっちにむかってきた。45くらい。両手をズボンの脇ポケットに入れている。道行くだれかれを眺め、感情の捌け口にする。またこんなのがいた。

 聖パウロはこう書いた。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(「コリント人への手紙」10.13)

●たい焼きを買う。

1189.2024年2/27 杉十小プールで泳いだ。痛撃をくらうようなストレスはなかった。帰りの更衣室に、これから泳ぐという人が入ってきた。近くのロッカーをつかいだし、体を90度こっちにむけてきた。私は着替えをやめ、この男がいなくなるのを隠れて待った。

 とこやにいきたかった。すずらん通りにある店に入ることにした。初めての店だ。よくいっているQBハウスより450円も安いのは大きい。

 待合いスペースに女がひとり40くらい、小学生の女子ひとり、それに男65くらいがいた。ソファーはL字型に備えられ、その三人がひとつのソファーにいたから、私はふたり用のソファーにすわった。

 女と女子児童は親子であり、このとき髪を切ってもらっている男子の付き添いらしかった。女は何度か私の頭上にある壁掛けテレビに顔をあげ、それを見た。

 うざい。それに私をうかがっている。付き添いでソファー二席分をとっているとはね。全五席のうちの二席である。

 雑誌を盾にその女のようすを視界から消した。

 ごほっ。

 女はわざと咳真似の音を思いっきりたてた。このあと五六回、間をあけていずれも思いっきりやった。

 私の横に、あたらしく入ってきた客の男がすわった。67くらい。

 女の右にいた男が順番で呼ばれ、そこがあいた。残り一席に、またも入ってきた男65くらいがすわった。

 付き添いの女、それに小学四年生くらいの女子は、営業妨害をしていよう。なぜって待合いスペースがいっぱいなら、入店をあきらめる人がいるだろうから。

 その女子児童はソファにすわっていられなかった。私の目の前に幾度となくあらわれては、ラックにおさまっている雑誌の表紙に目をやった。

 六年生くらいの男子が髪を切りおわった。受付の前にきて私に顔をむけた。こっちを見ている始末だった。料金は母親たるごほっ女が支払った。見かけはこれ以上ないほど上等である。

 子供にお金をもたせて、とこやにいっといでですむ。ひまな女だ。心的貧困、これに尽きる。

 とこやのあと、ずすらん通りが阿佐ヶ谷パールセンターにつながる角にある店に立ちよった。銭湯から衣替えしてだいぶたつ。たい焼きを買った。小倉あんである。食べて、あんな女の心象をすこしでも薄めておきたかった。こんなときこそ、たい焼きってありがたい。

●中年女のミニスカ。有島武郎。

1188.2024年3/6 住宅街の建物から女がでてきたのがみえた。45くらい。白いニットのミニスカートに黒いブーツ、それに紅茶色のサングラスである。私の左前方をいく。こんな風俗嬢ふうを道の反対側から抜かすや、ごほっと女は口を鳴らした。やりかえした。

 阿佐ヶ谷のパチンコ店、オーパの裏手を歩いた。自転車をひきずる女の後方である。その女のむこう、もう一店から男がでてきた。65くらい。ごほっ。そうやった。女に、そしてそのうしろの私に?

 昇りのエスカレーターをつかおうというとき、先に女がふたり乗った。それでエレベーターにしようとした。

 待った。男がひとり乗っていた。扉があく。私は通り道に背をむけ、そんな男を見ないようにしていた。ごほっ。でてきたコート姿のサラリーマンふうが、こっちのうしろを通りすぎざま口を鳴らした。45くらい。やりかえした。またやった。やりかえした。

 同駅洗面所の個室にいた。ごっほっ。わざとの咳真似音がした。ドア越しに、見えない私をめがけてである。近頃こういうことをするやからがよくいる。

 男が缶ビール片手に坂をおりてきた。70くらい。ゆるゆると中央寄りにきた。私を見た。うえっ。

 駅の出入口に入っていく。うっと口鳴らしがとんできた。左ななめうしろから、だれか男が私を見ていたのである。

 ホーム上を早足で歩いた。電車が入ってくるからである。先のほうに男がふたりいた。同僚らしい。65くらいと35くらい。この35くらいのほうは首をまわし、顔をこっちにむけつづけている。私がさらにいこうとすると、うっと口鳴らしをした。

 とどまった。実際に電車が入ってきたとき、あいている席を窓ガラス越しに見つけた。そのふたりの前をとおり、うっとやってやった。やりかえされなかった。

 終点中野に着こうというとき、ななめ左むこうにすわっていた男が立ちあがった。あかないドアの前にきて、すわっている私に体をむけた。私を見た。30くらい。

 中央通路を歩く。改札口がちかくなったとき、ごほっと後方から男が口を鳴らした。まただ。

 中野通りの信号がかわるのを、高架下のバス停のところで待つ。車道のななめむこう、横断歩道の信号待ちの女がこっちに顔をむけた。50くらい。私はバス停の陰に身をひいた。

 まいばすけっと中野三丁目店においてレジ会計中、左のレジ前に女がきた。65くらい。こっちに体をむける気配がぷんぷんするので、背をむけ気味にした。すると女はレジ正面へと体をむけた。女は先におわると、体を私のいるほうへ250度まわし、私を見てでていった。

 桃園通りに中型犬の散歩をする男がいた。48くらい。私を見た。うえっ。この男を前にも見たことがある。こんな人通りの多い道によくも犬を連れてくるよなあ。

 細道の先から男がきていた。23くらい。またも犬の散歩であり、今度は小型犬である。この男は体を45度こちらにむけ、私から目を切らすことなく立ちどまった。リードをもっていない手で髪をととのえた。わざわざそうやったとみえた。ばかだ。犬の散歩でいちいち外にでる。人を眺める。時間の無駄だとは思わないらしい。

 有島武郎『或る女』のなかで岡がこう語る。「何かどこかにあるように思ってつかむことのできないものに憧れます。」

●恋人と同棲する。

1187.2024年2/19 ある女性は26才、同じ26才の男性との同棲に疑問をもっている。仕事にも行き詰まっている。

 同棲は彼がさそってきた。家をでたかったし、通勤時間がへるからいいかなと思った。

 先がみえないと思い悩む彼女に、加藤諦三は次のようにいった。

「人生はきついんですよ。安易な人生を送る人は、かならず地獄にいくんです。親からの自立を逃げているんです」

 あなたは劣等感をいやされた。だが彼は結婚をいわない。大原敬子。

 彼のことはあまり好きではない。が、求婚されたらうけようと思う。仕事をやめて、彼の扶養に入れる。

 ちいさい頃から闘いの場を避けてきたんです、と加藤はいった。

 学歴も仕事もぼろぼろだ。相談者はそう思う。

 ぼろぼろではありません。自分に自信がないんです。人生の課題をそのときそのときで逃げてきたと自覚することです。加藤。

 地獄への道は善意で舗装されている、と加藤は締めくくった。

 自分でも気づかないうちに、地獄への道を拾っている。

●娘が理事長に襲われた。坂井真。加藤諦三。

1186.2011年2/3 ある女性はグループホームにケアマネージャーとして勤めていた。彼女には娘がおり、この娘は同じ法人傘下の病院に勤め、かつ看護師の学校に通わせてもらっていた。この学費は卒業後に病院に二年間勤めることでまかなわれるという仕組みである。

 ある日、娘は理事長に呼ばれた。誕生日のパーティーをひらいてあげるとのことであった。娘は立場上のことを慮り、断りきれなかった。理事長の車に同乗させられた。むかった先はホテルであった。そこにバースデーケーキが用意してあると理事長はいい、事実それがあった。

 一室にふたりきりである。理事長は隙を見計らって娘に飛びかかった。キスをしようとした。娘は頑強に抵抗し、ことなきをえた。だが、彼は懲りることなく、またも飛びかかった。

 とかくの噂のある理事長である。後日、娘の母たる女性は事務長代理に相談をもちかけ、娘から聞き及んだことのすべてを打ちあけた。事務長代理は呑みこんで、娘が退職するにあたっては学費の返済はいいからと請けあってくれた。

 母たる女性とて、もはやそんな理事長のところにいられるはずはなかった。

 また、彼女はケアマネージャーの更新のことを忘れていた。県の当局は、おとがめなしと穏便に取りはからってくれた。だが勤め先の態度はちがった。給与は半減となった。十数万の減額である。これでは生活がたちゆかない。

 退職しようとする日の前日、事務長代理から一通の封筒を渡された。そこには弁護士の名が添えられたうえで、320数万の請求金のことが書かれた紙が入っていた。話がちがう、と彼女は思った。

 弁護士氏(坂井真)は「けしからん話です」といった。「民法に契約の成就の妨害についての条文があり、これに該当します。だから320数万の返済はしなくてよいはずです。あなたも弁護士をたてて、泣き寝入りはしないようにしてください。力になってくれる弁護士はかならずいます。むこうだって自分がしでかしたことについて、びくびくしているはずです」

 警察には相談している。けれど、被害届をだすまでには至っていない。理事長の所有する金と権力とをおそれている、と彼女は吐露した。

 加藤諦三はいった。「あなたのおびえが理事長をおおきくみせているんです。闘って、もし負けたとしても自信がつきます」

 一メートル許すことは十メートル許すことです。加藤はそう締めくくった。

●ケンタッキー。アウグスティヌス。②

1185.2024年2/18 高架下や高架沿いの居酒屋などが、路上にはみだして簡易な席をつくっている。繁盛している。市当局も警察、自治会も黙認状態なのか。こういうのは北口にもあり、もはや高円寺名物といってよい。

 その一店へと、カップルが入っていきそうにみえた。男40くらい、女33くらい。男が女の腰をさわった。うしろからきている私を意識したうえでのことだ。精神世界が萎靡沈滞している。

 高円寺駅西側の高架下にケンタッキーがある。そこから離れて北へいくとき、むこうから男がふたりきていた。ともに二十代前半も前半くらいのひとりが、白マスクをひっぱり口元とのあいだに空間をつくって、ごほっとわざと咳の男をたてた。すれちがおうとしていた私へのいやがらせ、攻撃である。人をおさえつける兵士にでもなりたいのだろう。ふたりでいる安心感が男の操行を低めた。安楽だけをもとめていそうな男のそれをである。

 まいばすけっと高円寺北店に入った。会計中、男35くらいが私の横のセルフレジをつかいだした。体は30度こっちにむけており、これにとどまらず、ごほごほっと口を鳴らした。まただ。

 小声でごほごほっとやりかえした。おわってでていくこの男に、てのひらでぱーっとやってやった。私が何をしたのか店員ふたり、男と女は、見たのにちがいない。

 ローソン100高円寺北店にいくとき、あの店員がいるかを見ようとした。私がレジ台の前にきて店内カゴをおくや、ごほごほっとわざと口鳴らしをする男である。23くらい。

 レジに別の店員がいるのがみえた。さいわいか。

 店内に入っていく。すでにいる男が通路にあらわれ、私を見た。40くらい。うえっ。だれがいるのかと見にきたというわけか。

 アウグスティヌスはこう告白した。「もはや私にとって善いものは外部にはなく、肉眼であの太陽のうちにたずねもとめられるものでもありませんでした。外部によろこびをもとめる人々は、たやすく自己を失い、見られるもの時間的なもののうちに気が散り、あきたらない思いでそれらの心象をなめます。」(『アウグスティヌス 世界の名著16』)

 アウグスティヌスの生きた時代も今も、人のありようはかわらない。

●ラザニアの店。①

1184.2024年2/18 桃園川緑道をいく。先のほうに人がいるので右に曲がった。すると、ごほっと前からきていた男が口を鳴らした。このとき、こんな男がきていたとわかった。このときの私を、十字路の角にできている行列にいる男が見ていた。そこにラザニアの店がある。

 緑道にもどった。男がいた。28くらい。石組みに腰をおろしている。顔だけをこっちにむけつづけた。このあと立ちあがった。私の行く手でスマホ通話をしつつ行きつ戻りつするなかで、体をこっちにむけた。私を見た。

 阿佐ヶ谷パールセンターは込んでいた。左側をいく。その先の右側にある建物に入りたかった。人の流れが切れるのを待った。何人かがいったあとにそのうしろにつく。と、すぐ前方の女が首を90度まわして、私がいることを気にしつづけた。勘ちがいしている。

 阿佐ヶ谷一番街において、居酒屋から男がでてきた。60くらい。私の左前方をいく。このとき右むこうから女がきていた。20くらい。私は人に接近したくなく、いったんもどった。これを女は見ていた。

――こっち見てる。

 いってやった。すれちがったあと、女は首を90度まわし、目の端で去っていく私をとらえつづけた。その執拗さは何日か前に桃園通りで、えんどう豆色のスーツを着ていた坊主頭の郵便局員の男がみせたものと酷似していた。

 高円寺の高架下からカップルがきた。男30くらい、女25くらい。私は高架沿いをそのままいくつもりだった。カップルが私の前を通り越したのでそのあとをすすむと、カップルは立ちどまった。男が体を私にむけた。うえーっ。

●女ふたりの二連発。「ローマ人への手紙」

1183.2024年2/5 男が住宅からでてきた。65くらい。立ちどまってあたりを見ている。

 私の前をいきたくないのだと踏んだ。そのとおりだった。前へすすんでいくと、男はうしろからついてきた。私は道の反対側へ渡った。

 JR高架下に犬の散歩の女がいた。45くらい。こっちに体をむけ、私を見つづけた。顔をそむけると、よけい見ていた。

 ある建物の階段下から三階を見あげた。そこに用がある。男が突っ立っている。33くらい。のぼってくる私に体をむけ、微動だにせず見おろしている。遠慮もなく義にもとるとも思わないというように私を見つづけた。ハンズフリーで通話中だった。

 店に入った。その男はドアガラス越しに、横目で私を見た。

 阿佐ヶ谷パールセンターにセブンイレブンがある。その店の脇を、どこを見るともなく歩いていた。店からでてきた女が私にむかってきた。18くらい。よけることも立ちどまることもなく、うっと口を鳴らした。

 やりかえした。このとき前方からも女がきていた。21くらい。むかってきつつ、うっと口を鳴らした。まさに須臾の間の二人目、そいつにもやりかえした。

 この女らのふるまいが、この国の道徳水準の低劣さを象徴している。この先、改変なきまま生きつづけるのにちがいない。〈My World〉〈内なる楽園〉をもたないとどうなるか。目に映じる赤の他人をどうこうしようとする。そいつらはその生きた例証である。

「食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。」(「ローマ人への手紙」14.3)

 中野駅において男につづいてエスカレーターをおりていく。先に乗っていたその男、27くらいは、スマホから顔をあげ、うしろ上の私にふりむけ私を見た。この男の下方がすっかりあいたというのにステップをおりていかない。こんながらがらのとき、外は雪が降りしきっているのだから早く帰りたいというのに、歩かないというルールを守っていた。

 中央通路にでるとき、その男は左右を見てきょろきょろした。様子をたしかめて右へいくといったあんばいであった。

 まいばすけっと中野三丁目店に男がいた。30くらい。この男は棚から商品をとると、私のいるほうに体をまわし私を見て、ひとまわりして先へいった。またこんなのだ。別の男、32くらいは、体を45度私にむけてパン棚のパンを見つつ私をうかがった。またこんなのだ。さらに別の男、60くらいはセルフレジの会計をおえたというのに、レジ会計をおえたばかりの私の横に立っていた。私はどうぞ、どうぞといいながら左手で方向を示してやった。男はどうもといって、ようやく先にでた。またこんなのがいた。

●セブンイレブンのコロッケ。村瀬学。②

1182.2024年2/4 上石神井のセブンイレブンでコロッケを買う。食べながら歩いた。むこうから自転車の男がきた。65くらい。

 反転し、背をむけ、うしろむきに歩いた。そういうことはプールサイドで練習している。口鳴らしをされるか。接近されるか。不安を覚え、むきなおった。男は食べている私に顔をむけ、私を見つづけている。こんな男に徴してわかるように、人に慎みをもとめるのはまちがっている。

 上石神井プールへいく。うっ。音にふりむくと、徒渉コースの端、私のうしろ側に男がいた。60くらい。顔をこっちにむけている。私の存在に反応し、おとしめるためにそうやった。このあと、たいして泳がず人の泳ぎを見てばかりいた。うっと二度三度とやった。常連である。ひさしぶりにひどいのにでくわした。

 帰りの上石神井駅ホームにて、中学生三人組のちかくにいることになった。うっ。そのうちのひとりが口を鳴らした。

 西武新宿線に乗った。鷺ノ宮で乗りかえのため、ホーム上におりた。歩きだすと、数メートル先にスマホ男がおり、この男、35くらいはゆるゆると歩き、顔をうしろの私にふりむけた。私を気にしつつ立ちどまった。先へいかない。私を先にいかせ、あとからきて後ろ姿を見るのにちがいない。この予想はあたった。

 長椅子の端にすわる。野方にじきに着くという頃、すじむかいの男がスマホから顔をあげその顔をこっちにむけた。私をしげしげ見た。60くらい。うえっ。

 ローソン100高円寺北店。レジ会計中、順番待ちの女がいた。25くらい。足の位置をかえ、私の正面の姿を見にかかった。そうまでして人を見たいかといった感じだった。

「戦争の規範が人間を大量殺人鬼に仕立て上げるように、〈性格〉は〈規範〉によってつくられる。」と村瀬学は書いた。(『初期心的現象の世界』)

 この日でくわしたプールでのあのうっ男をはじめとして、みながみな、この国の固まった雰囲気に染めあげられている。村瀬のいう「〈個〉が〈類〉へひろがろうとする〈存在の仕直し〉」、そういうものを志向する人はどこにいるのだろう。

●夜明け間近の吉野家。中島みゆき。①

1181.2024年2/4 阿佐ヶ谷パールセンターにでた。ごほっ。うしろのほうから女がそうやった。30代。

 バスに乗る。すわれた。運転席のうしろ、ひとりがけである。乗りこんだ男が通路の左、窓側にすわった。うううっ。もうやった。70くらい。

 ごほっ。真ん中より後方で男がわざと咳真似をした。50くらい。

 通路の左横うしろに女がすわった。55くらい。

 真うしろのひとりがけに女がきた。45くらい。左横うしろの女が紙袋をがさごそやると、真うしろの女がごほごほっ、ううっと口で音をたてた。

 ぁうっ。真うしろの女がまたやった。まともなのは見かけだけだ。すわるときすぐにすわらず、こっちを見ていたもんなあ。

 その女がおりた。そのうしろの女が顔をあげて、こっちを見つづけている。

 駅近くの商店街からギターの音と歌声がきこえた。男がべたりとすわりこんで、弦を弾きつつ歌っている。65くらい。

 夜明け間近の吉野家では、化粧のはげたシティガールが・・・・・・

 中島みゆきのだ。男は通りがかった人に、何かリクエストはないかと尋ねた。これも他人へのかかわりである。(夜明け間際の吉野家では、化粧のはげかけたシティ・ガールと・・・・・・)

 その商店街でじじいを抜かした。75くらい。うううっと、そいつは口を鳴らした。

●光塩幼稚園の塀沿いをいく。ミハイール・バフチーン。

1180.2024年1/23 光塩幼稚園の塀沿いをいく。むこうから60くらいの男がきていた。ラフなかっこうだが、なくてもいいものを身につけているとみえ、金だけはもっていそうにみえた。すれちがおうとするとき、顔をこっちにむけた。私は塀のほうに首をまわし、こんな男を見ないようにした。

 まいばすけっと東高円寺駅前店に入った。どの女も通路をゆずらない。むかってきて接近するばかりだった。かてて加えて何人かは首を固めて顔をあげつづけ、けっして私の外面から視線をはずさなかった。ある女、32くらいは、角ですれちがうとき私の店内カゴのなかを見た。

 レジ係は男性であった。25くらい。会計中、次の順番の女は私に体をぴったりむけつづけた。45くらい。またこんなのがいた。

 パチンコ店の東側を北へとった。同店の裏手に広い駐車場がある。RV車の助手席に女がいた。通りがかった私を見ようとして見ていた。運転席に男がいる。

 そんな女に見られつづけるのはいとわしい。

 もどった。商店街をいく。犬の散歩の男と、荷車ふうのものを押す男がならんできている。30と50くらい。荷車がむかってきた。

――むかってくるっ。

 いってやると、男は元にもどした。

 大久保通りの信号が赤だったので、すこし離れて小道にいた。青にかわったとわかり横断歩道へと歩いていくと、すでに渡ってきている男がまっすぐ、飛んでくる石のようにむかってきた。65くらい。青いつなぎ服の、よく見かけてきている男である。いつもの服を着て、いつものようにひまそうである。元自動車修理工か。心内に精神性はなにもないとみえる。

――また、きた。

 いってやった。

 この男は、自販機の前へいく。硬貨をいれようとしていた。自販機なんてほかにもあるというのに、なんでわざわざそこにきているのだろう。むかってきたことの欺瞞か。

 光塩幼稚園の塀沿いをふたたび、今度は逆方向にいく。女がきていた。45くらい。紺色の、通勤にもつかえるコートに、肉付きだけはよさそうな身体を包んでいる。私に気づき、意識にのぼせている。なんとなればバッグに手をいれ、何かをとりだそうとしているからだ。

 スマホをだすのにちがいない。万が一にそなえて動画をとる気か。

 紐状のものが垂れさがるのがみえた。ネックストラップである。やっぱりだ。

 逃げこめるところがあると踏んだ。だから戻らない。すれちがう前に、住民であるかのようにマンションの敷地内へすすむ。

 女は私へと首をまわし横目で見て、先へいった。

 こんな女をふりかえらなかった。

 道がカーブしている。私の脇すれすれを自転車の男が通りすぎていく。料理運搬人である。人のすれすれをきて、なめるかのごとく眺めたのか。満足したのか。

「あらゆる階層秩序的規範や価値評価のかなたの真にリアルな存在」を、この国の表層に生きるだれが一体もとめていよう。(ミハイール・バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』)

 帰宅。レジ袋をあけた。買った食品のいくつかは、半透明の薄い小袋に入れられていた。あの男性店員が汁漏れ対策をしてくれていた。まいばすけっとでは近頃めずらしい。ありがとう。小袋は他の用途につかえる。