★サンドウィッチマンがカラオケ店にいく。46。cuarenta y seis.

1206~1231

●ママチャリの男。キェルケゴール。

1231.2024年5/9 バス停にいた。ふと見回すと、男35くらいが私を見つづけていた。目があうと、顔をさらしたまま目だけを巧みにそらした。芸当である。

 ごほっ。住宅街の奥まった家から自転車ででてきそうな男が、そうやった。通りがかった私を見てである。やりかえした。

 その自転車が左脇を前へいく。うゎわぁーと叫んでやった。40くらい。ママチャリ。やりかえしてこない。やるのはお手のものでも、やりかえされるのには慣れていないとみえる。

 駅の改札へむかった。でてきた男が、ごほごほっとやった。48くらい。

 エスカレーターをのぼりきった。くだっていこうとする男がごほっとやった。

 ひと駅めに着こうというとき、左むこうで老人男女が立ちあがる気配があった。気づくと女60くらいが私に体をぴたりとむけて、男(夫?)にべちゃくちゃ話しかけていた。

 俗物的な人がいる。「自分がいまや無精神性の奴隷であり、あらゆるもののうちの最も憐れむべきものになっていることに自分で気づいていない」と、キェルケゴールはそんな人間を描いた。(『死に至る病』)

●日大二高女子生徒?新田義弘。

1230.2024年5/16 中杉通りから右に入り、ローソンへの道をとった。タクシーがとまっていた。ローソンともんじゃ焼きの店のあいだにも車がとまっていた。車は阿佐ヶ谷パールセンターを往来する人びとが途切れるのを待っている。

 タクシーが動かない。それでサンジェルマンのほうへいくと、折しもきていたスマホ女子高生がごっほごっほとわざと口を鳴らした。白いベストからすると、日大二高生か。

 バスに乗りこむ。先頭のじじいはひとりがけ優先席にすわるとき、くしゃーんとくしゃみの音を周囲にまきちらした。73くらい。すぐうしろに私がきていることを意識したうえでのことにちがいない。

 右どなりに女がきた。ファスナーをぴしぴしやりまくった。45くらい。じっとしていられなかった。うえっ。

 街道をいく。うっ。自転車の女が口を鳴らしてガードレールの脇の車道側を、私の後方へ通りすぎていく。43くらい。そんな音がなかったら、私はその女を気にもしていなかっただろう。

 電車から制服女子高生がおりた。ごほっごほっと私を見て口で音をたてた。やりかえされると、髪をいじりだした。ごまかすためだ。

「わたくしの原理とは自己同一性、つまりエゴの原理であるが、他者の出現はこの自我の原理を真っ向から粉砕しようとする。だから、他者の根源的な出現は、わたくしと他者を同等とみなしたり、類似するとみなしたりする同格的他者を意味する〈われわれ〉の思想とはまったく別の方向を開くのである。」(新田義弘『哲学の歴史――哲学は何を問題にしてきたか』)

 かくして、人は人におおいかぶさるように攻撃性を発揮する。

●青い帽子。キェルケゴール。

1229.2024年5/4 外階段をおりた。小道に背をむけ、右をとった。男が歩いてきていた。50くらい。漸々中央寄りにくる。その目はまっすぐに私をとらえている。

――こっち見てるっ。

 いってやった。そいつは退屈男である。目にみえるものは、野良猫野良犬にとっての餌同然である。

 男23くらいは、すれちがうときこっちに顔をむけた。顔をそむけてやると、うっと口を鳴らした。

 歩きたばこの男が曲がりこんで、うしろからきそうだった。この男68くらいは吸いがらをどぶに捨て、私のうしろをきた。だから枝道に入りこんで、すこししてもどろうというとき、ごほっと家のなかからわざとの咳まねがとんできた。私の気配を快く思わなかったのである。

 阿佐ヶ谷パールセンターにセブンイレブンがある。店前に男が立っていた。23くらい。小道からでてきた私を見つづけた。

 女が席をかえた。私を見ることができる右すじむこうにかえた。

 左すじかいの女がうざい。それで中野でホームにおりた。窓越しに当の女が私のあとからおりてくるのがみえた。うえっ。

 となりの車両に乗りかえた。連結部のガラスからさっきまでいた車両内がみえ、席をかえたあの女55くらいが、あげつづけている顔をこっちにむけていた。

 高田馬場で三才くらいの女児が乗った。立ったまま私を見ている。ついでその母親があらわれた。すわっている私に体をむけ、私を見た。品定めした。

――ちょっと待って。もう一本あるから。

 母親たる女、30くらいは女児にそういって、私を毛嫌いした。

 エスカレーターをあがっていく。うっ。うしろ下からくる男がそうやった。58くらい。女といっしょだった。

 階段をあがりきろうというとき、右からきていた男が顔をむけて私を見た。28くらい。進まず、大きな地図案内にむかう。私より先にいきたくないとみえた。

 T字路で右へカップルがいくので、左をとった。

 うっ。

 見ると、あの男が私から首を90度まわし、とぼけつつきていた。得意技である。ひとりでこの街に何をしにきたのだろう。偶然見かけた私を餌にしている。

 二階のエントランスの外にいた。大通りのむこう側にいる女60くらいが、遠い私を眺めきっていた。うえっ。

 坂をのぼっていく。男が何か食べつつおりてきていた。22くらい。歩く場所を絶対にゆずらなかった。そのうしろからきている男が、ごほっとやった。30くらい。やりかえした。すると、右ななめむこうからおりてきている男がスマホを見つつ、ごほっとやった。スマホを見ていたのはこのときだけにちがいなかった。

 すわれた。右すじかいの男、65くらいがごほっごほっと咳の音をたてた。わざとだ。

 ごっほごっほ。またやった。

 ごっほごっほ、ごっほ。またやった。

 ごっほごっほ。まただ。つける薬なしだ。何もしないでよくも電車なんて乗っているよなあ。

 ごっほごっほ。こっちをむいてまたやった。

 ごっほごっほ。立ちあがりざま顔をこっちに近づけてそうやり、ホームにおりた。ばかだ。生きることの意味をつかめていない。エスカレーターの右をおりていくのがみえた。つばのある青い帽子に、いつ買ったのだろうと思えるような安手のブルー系ジーンズである。経済的低層にいること、そして心的底辺にいることをこれでもかとみせた。

 商店街から裏道へ入った。ごほっ。賃貸マンション二階から男がそうやった。下の道を通りがかった私を見下ろしていたというわけである。からっぱ退屈男にやりかえした。遅れたけれども防犯用の笛を吹いてやった。

「世間的な見解はいつも人と人との間の区別にだけ執着しているので、自然また必要なる唯一のものに対する理解(これが精神と呼ばるべきのであろう)が欠けることになる。」(キェルケゴール『死に至る病』)

●缶ビール金麦。森山良子MUSIC10。

1228.2024年4/22 南阿佐ヶ谷において二又に分かれる地点にさしかかった。右を見ると、東電の30くらいの男がバイクにまたがっていた。その先から男がきていた。70くらい。

 だから左をとった。女がきていた。68くらい。細い道で近づいたとき、私にむかってきた。うえっ。

 釜重蒲鉾店がすぐそこというとき、手前にあるちいさな飲食店から女がでてきた。45くらい。店前で立ちどまった。首をまわし、私がきているのを目にいれた。いやな感じだ。

 こんな女の前をとおる。うっ。女は口を鳴らした。やりかえした。私がいったあとから、女は私のうしろをきた。もう一度やりかえした。阿佐ヶ谷パールセンターにでるとき、右手でぱーとやってやった。

 阿佐ヶ谷駅の洗面所にいた。ごほっ。男が思いっきりやった。25くらいか。そんなのがよくいる。

 ふたつではなくひとつおいた左に男がきた。70くらい。顔をこっちにむけ、私を見定めた。ふたつおいた端があいているのにそこをえらんでいない。うえっ。

 駅のホームを歩く。靴音が近づいてきた。男が私にかかわることなく、脇を前へいく。灰色スーツに黒靴、手には二本の缶がある。ときに見かける40くらい、この人はマイペースを保持している。だれもいないところでホームドア側をむき、缶を積み木のように縦に二本ならべた。缶ビール金麦である。この日は缶コーヒーではなかった。いつもそんなふうに不安定に置いて、電車を待つ。〈マイワールド〉がある。

 橋の上をいく。男がまがりこんできた。35くらい、勤め帰りふう。私がよけるほうよけるほうへきた。まただ。

 駅の洗面所において個室からでると、男が水道をつかっているのがみえた。25くらい。はやくどけばいいのにどかない。顔をあげて鏡に映る私を見ていた。

 顔をそむけつつ奥の蛇口のほうへいく。

 ごっほごっほ。すじかいの男がスマホを見つつ、私のほうに顔をむけてそうやった。40くらい。ばか男がまたいた。私がここにすわったときから、体と顔をこっちにむけている。私のようすを気にしている。この態度をかえない。

 まいばすけっと中野三丁目店に買い物目的でいた。男がいた。45くらい。覗くように通路に顔をだし私を見た。ふだん着である。店内カゴを手にしていない。客としてあらわれる女を見ようとしているのか。

 この男が時間をかけて店内にいる。私はそいつが別のほうへいくのを待った。

 うっ。

 男は商品棚のこちらに口を鳴らした。棚越しにやりかえした。

 レジ会計中、ふりむいた。この男が私を視野にいれて棚を見ていた。どこまで人を意識していれば気がすむのだろう。高卒男だ。

 ニッポン放送MUSIC10を聴く。中島みゆき「タクシードライバー」、森山良子「You raise me up」が流れた。こんな二曲をかけるのは、この番組だけだろう。

●工事関係者がケータイ通話をする。アウグスティヌス。

1227.2024年4/10 扉の外にでた。ううっ。女が窓ガラス越しにこっちを見て口を鳴らした。無用のかかわりをやめない。ずっとそうである。腰をかがめるこっちは、いい膝の運動になるというものだ。

 駅西側の坂をおりていく。工事関係者らしき男35くらいが、坂の反対側の私に体をむけてケータイ通話をしている。道をあいだに通りかかったそのとき、私へと体をまわした。かわらず私へと体をむけていた。

 地下にあるパチンコ店の階段をのぼっていく。うしろから男がきていた。私は右へまがった。男は離れていきざま、ごほっと口を鳴らした。

 ミニストップのレジ会計中、ううっと横からきた男がやった。50くらい。

 駅のホーム上にて中学生か高校生の前を通ると、るるっとその男が鼻で音をたてた。

 乗りこんでホーム側に体をむけて立った。ううっ。真うしろの女がそうやった。ふりむくと、込んでいるのにしゃあしゃあとした顔の女がそこにいた。30くらい。

 高層ビル方面へと横断歩道をわたりおえて右をとった。うっ。うしろのほうから口鳴らしがとんできた。男二人組のひとりがそうやった。

 高層ビルの敷地内をいく。右の歩道を女がきていた。33くらい。スマホを見ている顔をこっちにむけていた。同ビルからでてきたスーツ姿男30くらいが、うっと私の背に口を鳴らした。

 いつもは通らない道をいく。女がきていた。30くらい。中央寄りにきた。そうしてななめに私にむかってきた。

 坂を男がおりてくる。30くらい。さっきの女とおなじで、いったん中央寄りに動き、そこから私にまっすぐむかってきた。

 まいばすけっと中野三丁目店において、ううっと男がやった。40くらい。私を見てそうやった。このあと通路でスマホを見て立ちどまっていた。

 レジ会計中、この男は私の左横のレジ前にきた。私に体をむけて、ワゴンにある商品をとった。うえっ。

 アウグスティヌスは次のように告白した。――そのほか、なお「その日の苦労」というものがありますが、その日の苦労はその日でたりますように。(『アウグスティヌス 世界の名著16』)

●女が白い犬の散歩をする。キェルケゴール。

1226.2024年5/5 大久保通りが環七につながるところに自転車の女がいた。22くらい。信号待ちである。私はその女へと、狭い歩道をやむをえずすすんでいくことになった。サドルにまたがったままの女は、左手でズボンのベルトのあたりをまさぐりつづけた。はみでているかを気にしていたのである。その絶え間ない動作によって、これ見よがしに私への嫌厭をみせた。

 杉並学院の西をいく。緑道から女が曲がりこんできた。23くらい。迷わず私へとまっすぐにむかってきた。

――むかってくるっー。

 そう叫びつつ駆けた。そんな女にとって目に見える他人は餌か標的である。

 裏小路へ曲がった。阿佐ヶ谷パールセンターへとむかう。男女とベビーカーがきているのがみえた。その女24くらいは私へと目をあてつづけていた。

 もどって道をかえた。

 ビルの階段をのぼっていく。下から男がくるとわかった。

 うっ。

 男は私に口を鳴らした。25くらい。やりかえした。

 キャリーケースを運んでいるその男にドアをあけて待つと、この男はむかいの店に入るようすをみせた。高卒顔にみえた。

 高円寺の裏道をいく。白い犬の散歩をしている女がいた。60くらい。前方のT字路を北へいくかとみえた。だが女は私がきていることに気づくと、スイッチが入った。居ても立ってもいられないというように、犬用のカート、それに全身をこっちにむけかえた。私が歩いてくるのを、待って見つづけた。

 そんな行きずりの女に、何の興味もない。左手をかざす。このとき右手で指弾きをしてやればよかっただろう。

 高円寺駅の東からローソン方面へと横断歩道を渡っていく。左ななめむこうから男が私にまっすぐむかってきた。28くらい。こんな男を避けるように方向をかえた。

 まいばすけっと高円寺駅北店に男がいた。30くらい。よくあるように体を60度こっちにむけたまま顔を商品棚にむけていた。ひとつとって、中身を見てはもどす。これをくりかえし、惣菜の場所にいつづけた。

 レジ会計中、右前のセルフレジをカップルの男がつかいだした。女24くらいは、男の右うしろにいる。体を私にむけ、私を見つづけた。まただ。

 セブンイレブンのある十字路がある。レジ袋を手にそこをすすんだ。左から男がきていた。この男が、私の左ななめうしろをくることになった。近すぎる。何かしてくるかもしれない。

 それで枝道に入った。すこししてもどると、通りがかった男二人組のひとりが、私に顔をむけ私を見た。40くらい。うえっ。

 予定していた道をとった。さっき左ななめうしろにいた男が、建物を背に小道に体をむけてスマホを見ているのがみえた。私の行動を追いかけていたのにちがいない。うえっ。

 やよい軒に面している横断歩道で、はやく色がかわるように左手の指の甲で、ボタンをタッチしつづけた。道のむこう、真正面に男がきていた。30くらい。まただ。

 渡るとき、大きく右へ移った。

「自分の周囲にある多くの人間の群を見、あらゆる世間的な事柄との関係のなかにはいりこみ、世間がどういうものかを理解するに及んで、自己自身を忘却し自分がどういう名前(この言葉の神的な意味において)であったかも忘れ果て、敢て自分で自分を信ずる気にもなれず。自己自身であろうなどとはだいそれたことで他人と同じようである方がずっと楽でずっと安全だというような気持になる、――こうして彼は群集のなかでの一つの単位、一つの符牒、一つのイミテーションに堕するのである。」(キェルケゴール『死に至る病』)

●刑務所の少年たち。

1225.2024年5/5 発熱と腰痛でラジオをきく。寮美千子が文化放送にでていた。浜さんと寺ちゃんの番組である。彼女はこのたび奈良少年刑務所の入所者たちが書いた詩を新潮文庫から出版した。

 教育プロジェクトのひとつとして彼女は講座をもっていた。相手は殺人、強盗、レイプといった凶悪犯の少年たちである。一日たりとも学校にいっていない子もいた。ひとりの子が文章をたどたどしく冷汗をかきながら読みおわると、みんなが拍手をした。

 寮さんは、おおまかにこんなことをいった。――かれらは加害者である前に被害者だったんです。この社会に流通する物差しをあてて何センチ足りないとかいうのではなく、真っしろのこの子たちひとりひとりがどうあればしあわせなのかを感じとるように努めてきた。

 泉鏡花文学賞をもらってから夫とともに、関東から奈良に引き移った。奈良は修学旅行でいったところであり、田舎暮らしをしたいという素願があったからである。

 奈良少年刑務所は明治時代にできたレンガ造りの建築物である。ジャズピアニスト山下洋輔の祖父の設計になる。当時の五大刑務所のひとつである。年に一度公開され、そのとき彼女はそこを訪れた。これが機縁となって講座を頼まれ、ひきうけた。

 刑務所としての役割はおわっており、ホテルがつくられることになっている。

●男が真うしろにきた。ミルチア・エリアーデ。

1224.2024年1/14 中村南スポーツセンターで泳いだ。帰りの更衣室で着替え中、背中の真うしろに男がきた。50くらい。もともと狭いというのに、密着するのもいとわないというようにきた。このとき洗面台の大鏡の前で父35くらいと娘5才くらいがヘアドライヤーをつかっており、これを避けたのか。いや、ちがう。大胆に私を狙ったのである。

 気色わるいといったらない。それでロッカー内の荷物をすべてとりだし、ひとつむこうの通路へいく。あいている隅のロッカーに荷物をいれた。こっちにはだれもいなかった。その男はここにくればよかったのである。

 男は自身のあけたロッカーに背をむけ、こちらに顔をむけた。うえっ。自分のことをすることなく、あくまでも人を見るというあんばいである。

 その顔つきに何となく見覚えがあった。前に、とっくに水着になっていながら私を見て、水泳場へといかなかった男だ。私が水からあがるのにあわせてプールサイドを歩いてきたやつだ。常連である。

 帰りは鷺宮への道をとった。ううっ。そんな口鳴らし音を私の耳ちかくでたてて自転車の男が前へいく。65くらい。またこんな威嚇男があらわれた。やりかえした。何度もだ。女が、こんな私に顔をむけて表情をかえた。50くらい。この女もまた人に反応していたのである。

 中杉通りを歩く。前方数メートル先を男がいく。50くらい。部屋着のままでてきたような寒そうなかっこうであり、よれよれの布製トートバッグを手に提げている。そのむこうから男がきていた。65くらい。ごほっ。この男が部屋着男とすれちがうときそうやった。私はそんな音にやりかえす習慣ができており、ごほっとやった。男はつづいて私とすれちがうときには何もしなかった。ひるんだのか。自己反省はなさそうだった。頭頂の髪の毛一本から足の小指の爪にいたるまで、the日本人のウイルスに無自覚に感染していよう。

 阿佐ヶ谷パールセンターに銀だこがある。その店前をきている男、65くらいは私を見つつななめにむかってきた。まただ。手のひらを盾にした。

 まいばすけっと高円寺駅北店に入った。となりのレジ前にきた女は、体を三十度こっちにむけた。19くらい。

 ローソン100にむかった。生卵四個パックを買うつもりでいた。ただし、あの店員がいなければである。22くらいのあいつは日曜におり、私が会計にいくとごほっごほっとわざと咳真似をする。こんな男がレジ内にいるのが、外からわかった。生卵はあきらめた。JR高架下ガードをくぐった。

 ミルチア・エリアーデはこう書いた。

「人間の意志はその本性上、善をなす自由をもってはいない。堕罪以後の人間については、もはや「自由意志」を語ることはできない。なぜなら、堕罪以後の人間を支配しているのは、絶対的自我中心主義[エゴサントリスム]と、己れのみの満足に対する激しい追求ばかりだからである。このことは、非道徳的な性向や行為に対してのみ言われてるのではない。人はしばしば、善にして高貴なるものを求め、敬虔な業を行い、神に近づこうとする。しかるに、こうした行為もまた、罪に塗[まみ]れているのである。なぜなら、その源にあるのは、やはり、同じ自己崇拝[エゴラトリ]なのだから。ルターはこの自己崇拝を、(恩寵の外にある)すべての人間の行為の根本形態[モデル]とみなしている。」(『世界宗教史Ⅲ』)

●女が座席にバッグをおく。サラ・ウォーターズ。

1223.2024年5/2 商店街を歩く。ごほっ。うしろから口鳴らしの音がした。やりかえした。また聞こえた。やりかえし、もどった。男がとぼけ顔で歩いてくる。22くらい。やることがないのにちがいない。

 駅のホーム上にいた。事務棟のあるところに男がいる。18くらい。そこから私を見つづけている。目だけをそらした。ずーっとこっちを見ていよう。場所をかえようとエスカレーターをおりていく私を、目だけでなおも追いかけた。

 始発に乗って発車を待った。がらがらである。女が乗りこんだ。22くらい。細身。薄いブルーのジーンズが脚にぴっちりしている。すわったのは例によって、空間のすじむかいである。うえっ。

 席を立つ。すわれるところはまだいくらでもあった。

 真ん前にベビーカーの一家がすわった。夫婦の膝元にベビーカーをおいている。夫のほうは、こっち見てるもんなあ。ここは自家の電車ではないぞ。

 ひとつおいた横に女がすわろうとし、こっちを見つつすわった。68くらい。バッグを私とのあいだにおいた。これで三人目はもうこれない。顔をあげつづけて、親子連れを見ている。組みあわせた両手の指をせわしなく動かしている。ドア前に男女が立つと、今度はそっちを見ていた。足の位置をかえたりと、落ち着かないやつだ。

 乗りこんだ女、25くらいが、その老婆に荷物どけていいですかといったようなことを訊いた。いいぞ、女。込みだしているのに座席にバッグをおいておくなんてどうかしている。いつもそうやって、人をこさせなくしているとみえた。前に丸ノ内線にもそんなことをしていた女45くらいがいた。

 女と女がベビーカー家族連れの横の空席をめぐって、譲りあいをしている。すわらなかった女が私の前にきた。70くらい。無念そうにバッグを窓の枠のところにおき、体を私に近づけた。すわりたいといわんばかりの体勢である。うえっ。

 予定どおり、次駅でおりた。

 改札へと階段をおりていく。うっ。あがってきている男がすれちがうとき口を鳴らした。45くらい。ブラウンの、紙たばこの葉の色のようなスーツ姿であり、見かけだけは百点である。

 帰りの電車において、真ん前に女がいた。スマホを見つつも目をあげては、こっちを見ていた。23くらい。仕事帰りか。わからない。

 線路沿いを西へむかった。男がたらたら歩いている。スマホを見つつ、きょろついている。こんな男を抜き去った。

 くしゃーんっ。

 私がびくつくほどに、その男がくしゃみの真似をした。ふりむいて、うっとやってやった。35くらい。介護職員ふうのこの男は、よくあるようにまばたきを忘れて私を見ていた。

 ローソン100高円寺北店に女がいた。22くらい。この女がいないほうへいく。すると、女がこっちへきた。私を見るためにちがいない。何も買わずでていった。

 ひとりの女があらわれた。30くらい。パン棚の前に、これでもかといつづけた。その濡滞ぶりからして、私がいなくなるのを待っているとみえた。

 遠い通路にいた。その女がようやくレジへいく。このとき首をまわして顔をむけ、私をたしかめるように見た。うえっ。

 男28くらいが通路にいた。体をこっちにむけ、顔だけはヨーグルトや乳飲料の棚へむけていた。

 細道のむこうから男がきていた。クリーニング済みらしいハンガーつきの服を手にしている。うっ。私に口を鳴らした。25くらい。

 すすむのをやめた。枝道に入った。男が去るのを待った。男は首をまわして私を見つつ、高架下ガードのほうへいく。

 うっ。今度は私が口を鳴らし、聞かせてやった。

「霊は蔑まない。人間は笑うだけだ、彼女の“不幸”を。」(サラ・ウォーターズ『半身』)

●栃木県那須町遺体遺棄。アウグスティヌス。

1222.2024年5/1 中野駅北口へとロータリーをななめにいく。雨降りであり、ロータリーにはだれもいなかった。

 改札を入った。洗面所の右をすぎた。うっ。真うしろからよくある口鳴らしの音がとんできた。ふりむき、やりかえした。23くらいの高卒まるだしふうの、カールおじさんのようなひげ面の男がカモフラージュに口元にあてていた片手をおろしつつあった。顔をこっちにむけている。洗面所の通路のほうではない。おのれをひとつに純一にまとめあげられないのにちがいない。

 思い返すとロータリーをななめに突っきっていく私を、雨除けのところをきていたその男は見つづけていたのである。前に同駅高架沿いを同改札へと歩いて改札を通りぬけてから、うっと今回と同様にそのときは女がやっている。22くらいの、これから男に会いにいくといったようなさまの女である。その女も、ここぞとばかりの、私を見つづけた末の不品行をやった。あれは土曜だった。

 男の面貌は、やりかえされても平然たるものだった。精神世界ゼロである。栃木県那須町で都内の飲食店経営者夫妻を荒っぽく遺棄した連中と同類である。

 左すじかいの男、スマホ、30くらいは、こっちに上体がむくように足を組んでいる。うえっ。ふたつおいた左の女、65くらいなんて顔をこっちにもろにむけてきた。

 ごほっ。右むこうのドア脇にいる男、スーツ姿、35くらいが口を鳴らした。私を見ての反応である。

 歩いた。高層ビルからでてきた男、スーツ姿、58くらいが、うっと口を鳴らした。

 帰りの電車ですわった。空間のすじむこうの男が私に顔をむけた。見た。

 ごほっごほっ。その男がやった。このあと、おなじことをくりかえしやった。へいちゃらでやった。

 席をかえる。すじむこうに男がきた。私に接近したあとでさがった。道徳観念がない。すわった。22くらい。こっちに体をむけてスマホである。

 ごほっ。その男がやった。ぞんざいに足を組み、背中を背もたれにあずけ、スマホを水平から30度上にかかげて見ている。それは私のようすを始終目にいれるためである。

 まいばすけっと中野三丁目店に65くらいの男がいた。レジの順番待ちのところへいくと、偶然この男のあとにつくことになった。このときこの男がすでに首を90度以上まわし目の端で私がきたことをとらえつづけているとわかった。含みたっぷりの目の表情は、駆け引きだけで生きてきたことを示してあまりあるものにみえた。精神の座標に自分を定位させていない。

 もどった。もどった私を男はなおも目の端だけで追いかけた。

 男の視界の外にでた。男は財布から小銭をだすのに時間をかけており、このとき男の体全体は30度私のいるこっち側にむかっていた。ようやくおわったかと思っても、男はまだ店内にいた。財布に釣り銭をいれていた。うえっ。

 アウグスティヌスはこう書いた。「私は乏しく貧しい。いくらかましな者となるのは、自分に不満を感じてひそかにためいきをつき、あなたのあわれみを乞いもとめながら、自分の欠陥が修理され完成されて最後の平和にいたる日を待とうという気になるときだ。それは、自分をえらいと思っている人には見ることのできない平和だ。」(『アウグスティヌス 世界の名著16』)

●柳原可奈子みたいな店員。龍樹。②

1221.2024年4/18 横断歩道のむこう側へいこうとするとき、そこを歩いてきている男70くらいが首を90度まわし顔をこっちにむけつづけた。

 道をかえることにした。ローソン100においてレジの順番待ちのところに立った。会計中の女45くらいが、それっとばかりに体を45度こっちにむけて小銭で支払っていた。

 気分転換用にカフェラテのスティックコーヒーを買う。レシートをもらおうとするとき店員の女30くらいは肘をのばさず、とるならとればといったようなしぐさをみせた。これはファミマ高円寺駅東店にいた柳原可奈子みたいな声と体型の女とまったくおなじやり口だ。またいた。

 十字路の角に福しんがある。その手前で道をわたろうとした。走ってきた自転車の男が、私の顔の前でうっと口を鳴らした。28くらい。まただ。男の背中にやりかえすと、ややびくつくのがみえた。

 街道の歩道をいく。70くらいの男がすれちがう直前、ううっと口を鳴らした。内的生活が欠片もないとみえる男、そんなやつにやりかえした。

 下り電車からおりた女が、ホーム上を歩いてくる。スマホを手にしているが、見てはいない。目をゆがませた。顔を90度そむけた。

 いちばんうしろの左にすわった。途中から、三席おいた右端に男がきた。23くらい。体を45度こっちにむけ足を組んで、スマホを見つづける。むしろ私をうかがいつづけたというべきだろう。

 すぐ前に女がすわった。22くらい。体を横にむけてスマホを見つつ、その男のようすを目にいれた。

 ローソン100高円寺北店に女がいた。55くらい。通路にたちどまり、体を20度こっちにむけて私の動静を視野にいれていた。牛乳のところにいつづけるので、私はこの女がどくのを待った。

 レジ会計中、この女が私の後方の通路にるとわかった。これは定型行為である。そこにある商品を見るふりをして私がでていくのを待つというものである。先にきていながら絶対にレジにいかない。

 〈われ〉という観念をもたず〈わがもの〉という執着をもっていない人は、どこを見わたそうがいない。(cf.中村元『龍樹』)

●男がセブンイレブンに入る。①

1220.2024年4/18 ある62才の男性は一度も結婚したことがない。ひとりっ子であり、父も母もすでに亡くなっている。高校は定時制へいった。22から30まではひきこもりをしていた。そこからは清掃の仕事をしてきている。人と話さなくていい。だから自分には合っている。三石由起子はいった。出会いをもとめている50代60代の女はいっぱいいるから、婚活パーティーにいきましょう。おばあさんをさがすんです。20代30代の女からは捨てられるにきまっています。

 緑道へむかう。住宅から男がでてきた。35くらい。伏し目でまっすぐこっちにむかってきた。その一途さといったらなかった。

 小道にでた。自転車の男がきていた。18くらい。色つきレンズのめがねである。うううっ。口を鳴らした。

 セブンイレブンへいくとき、ごほっと左ななめうしろから口鳴らしの音がとんできた。ふりむくと、48くらいの男がきていた。目を見ひらいている。やりかえした。この男は店内に入るとき、こっちを見た。

 ゴミ収集の男45くらいが、車をよけて待っている私に体をむけ私を見つづけた。東隣りの一戸建ての男もそんな仕事の初級公務員か。

 高円寺に王将がある。そこの四つ辻を突っきっていく。ごほっ。男が口を鳴らした。左むこうからスマホ男がきている。こいつだ。25くらい。

 高架下のBig-Aを通りすぎた。ううっ。左ななめうしろを自転車がとおっていく。50くらい。ウーバーだ。やりかえした。

 高架下アルークにおいて、二台の自転車が押されてきていた。最初は女子高生、二台目はその母である。駐車場にとめるもようである。その40女は、離れてすれちがいざま、うっと排撃音をたてた。やりかえした。もう一度やった。倍返しだ。

 四文屋の前をいく。テラス席に男35くらいがいる。テーブルをはさんで連れとむかいあっている。裏小路に背をむけてビールを飲んでいる。私がとおるとき、ごほっとやった。

 バス停にバス待ちの列ができていた。うしろに男がきた。60くらい。スマホを見つつ、ううっと何度もやった。

 席はいちばんうしろしかなかった。そこにすでに三人いた。あいだに入るとき、女70くらいがううっとやった。あいだをひろげようという気がない。私がどうにかすわると、うっとまたもやった。

 この老婆はふたり分とっている。五人すわれるのに、もう余裕はない。この老婆と昼前にニッポン放送にでていた相談者とは、性別はちがえどおなじような境遇を経てきているのかもしれない。

 右の窓際に男がいた。68くらい。ファイル作業中の私に二度三度と顔をむけ、私を見た。うえっ。

 上のふたりとも上井草二丁目でおりた。終点まで乗らないのに、最後列にいたわけである。

●まいばすけっとの女。龍樹。

1219.2024年4/17 細道において左ななめ後方から靴音がした。駆けてくる。ふりむくと小学生男子四年生くらいがきた。だが絶対に私の前へいかない。このやり口を生涯つづけるのだろう。

 女がきていた。45くらい。道の反対側から首を90度まわしてこちら側の店を見つつきていた。私を見ているのにちがいなかった。左手をかざしてやると、ごほっと口を鳴らした。

 花屋の前に車がとまっていた。そのむこうから男がきていた。68くらい。反対側からも男がきていた。25くらい。このままなら狭いところですれちがわざるをえない。68くらいの男の目は、正面から私へと注がれている。

 っわあーっ。

 声をあげて道の反対側のマンションの敷地内へ逃げこんだ。

 中野駅方面へと歩きだす。人が何人かきており、道幅の半分以上を埋めている。通りにくい。それで家と家の隙間に入りこんだ。すこししてでていこうとするとき、ケータイをかけながらきていた男が出口付近に立ちどまって通話をしていた。68くらい。じゃまなのにどかない。歩いていけばいいのに歩いていかない。赤の他人に好奇心をかきたてられているのであり、私を利用するかたちでそこにいた。ひまだひまお。この男のうしろぎりぎりをとおって道にでた。

 ごほっ。男が口を鳴らした。こっちを見てやったときこえた。その男が席に腰をおろす。30くらい。くしゃーん。今度はくしゃみの真似をした。

 ひとつおいたむこうに老人がすわった。72くらい。スーツにバッグである。ごほーん。わざと大きな咳まがいの音をたてた。

 ビルの出入口に男がいた。45くらい。首をこっちにまわしたまま、歩いてくる私を見つづけた。またこんなのがいた。

 帰りの道において反対側をきていた女23くらいが、スマホを見つつ私にむかってきた。

 まいばすけっとの前で男スーツ姿28くらいが、ケータイ通話をしていた。体を、歩いてくる私にむけつづけた。道をあいだにこんな男の前をいくと、男は私を正面にとらえるように体をむけなおした。このあと私の去っていく方向に体をむけ、どこまでも人を見つづけた。

 坂を女がおりてくる。22くらい。むかってきた。男27くらいが体をこっちにむけてむかってきた。

 真ん前の男67くらいは顔をあげて私をちらちら見るわ、何をしているのかとじーっと見るわである。この男に宗教的心性などありはしない。スーツ姿はただの無価値の殻にすぎない。

 まいばすけっと中野三丁目店において、女28くらいは、体を30度私にむけ私が何をとるかを見た。うえっ。

「もろもろの煩悩も、もろもろの業も、もろもろの身体も、また行為主体(業を作る者)も、果報も、すべては蜃気楼のようなかたちのものであり、陽炎や夢に似ている。」(中村元『龍樹』)

●あみちゃん、いいぞ。文化放送。

1218.2024年4/30 坂口愛美は大学のとき、体育会の応援団に所属していた。上下関係は厳しい。団員間の恋愛なんてご法度である。坂口はそれを忠実に守った。卒業後、団員同士で秘密裡に恋愛が進行していたと知り、何組もが結婚にゴールインしていくのを指をくわえて見た。

 女子の団員は体育会の試合ではチアガールになる。アメフトの試合があったとき、坂口は白いハイソックスをもってくるのを忘れた。だが、いいだせない。罰が待ちうけているからである。

 直前に試合をおえていた他大学の部員がいた。泥だらけだが白いハイソックスをはいていた。近づいた。

「あのお、それを借りたいんですけど」

「えっ?これ、これですか」

 彼は目をまるくした。理由を知って「あげます」といった。

 見ず知らずの男子部員から、坂口はハイソックスをもらった。ことなきをえた。

 あみちゃん、いいぞぉ。

●不登校は問題じゃない。未来は選べる、変えられる。

1217.2024年4/28 ニッポン放送で不登校についての特集番組をやっていた。そこで全日制の通信制高校の創立者が、こんな話をした。――ある生徒が遅刻をしたとき、よく来たねえと声をかけた。そのあとで、なんで遅れたの?と訊いた。

 あなたはあなたのままでいい。

●女がうがいの音をたてる。

1216.2024年2/13 くしゃーん。わざとだれかがくしゃみの音をたてた。隣りのベランダからだ。こっちの窓にむけて男がそうやった。これで何度目だろう。おなじことをやっている。ひまなやつだ。同時に、人生に退屈しているやつだ。

 ごっほっ。またやった。南から聞こえた。マンションの敷地内からである。東隣の男がまたも外にでてそんなところにいる。家のなかですることがないのだろう。からっぽ男。あくまで他人にかかわろうとする。

 2/16 ごろごろごろごろごろごろ。女がうがいの音をたてた。私が通りがかったのを見て、そうやった。小窓にカーテンをつけておらず、そこから人を見ている。いつものことだ。人に反応することをこととしている。

 ううっと、やりかえした。

 感情をあからさまにおもてにだす人、勝手にかかわってくる人、そんな人はどこにでもいる。道路、コンビニ、電車、バス、プール、隣家、隣室、あらゆるところにいる。個を育てる修養を何もしていない人である。

 3/20 春分の日。水道のところにポットの残り湯を捨てると、ごほっと西隣の男がわざと口を鳴らした。こっちを見ている。犯罪にならないことなら何だってする。高卒め。

●寸借詐欺の女。

1215.2011年4/15 ある六十五才の女性は三年半前に、夫を突然なくした。心臓麻痺であった。夫の遺族年金などでどうにか暮らしている。娘はふたり、四十一才と三十六才であり、いずれも結婚して家庭をもっている。

 以前住んでいたところで、ひとりの女性から熱心にパートに誘われた。相談者たる女性は外で働いた経験がなく、ためらっていたけれども、むこうの熱心さにとうとう折れた。人がいないからと引きとめられ、一年間働いた。

 その女性は現在七十三才であり、物腰はやわらか、立派な息子さんがいるらしい。そんな相手に相談者はつい気を許し、お墓をつくろうと700万円の現金をもっていることを話してしまった。すると、こういわれた。

――今は銀行に預けても金利が低くお金はふえない。自分は永代供養のできるところを知っている。だが順番待ちであり、それまでのあいだ、自分に650万円を預けてくれれば高い配当のつくところを知っているから、一年後には700万円にして返してあげる。

 相談者はこの話に飛びついた。今振りかえると、実にあさはかであった。

 市川森一は、いった。「相手は手練手管、口八丁手八丁だったんです。だまされるほうも責められてしかるべきだが、それ以上にだますほうもだますほうです」

 一年後、配当金がつくどころか元金さえ一円も返ってこなかった。噂では、寸借詐欺をくりかえしてきた名うての悪女であった。立派な息子がいるとかも含めて何から何まで嘘であり、流れ流れてのひとり者であるらしかった。

 その女性との連絡はとれなくなった。相談者は警察に駆けこんだ。警察は先方を呼びだした。そこで借用書をつくった。その後、先方から十万円が現金書留で送られてきた。残り640万円は梨のつぶてである。

 警察はこういった。警察は借金取り立て屋ではない、と。

 彼女は今、娘の近くに転居している。ひとりでは心細いからである。

 弁護士氏(坂井真)は次のようにいった。

「裁判で判決がでても、先方に支払い能力がなければお金は戻らない。詐欺罪で告訴するという手がある。高い配当のつくところがどこなのか具体的に明確に示せなければ、この点をもってして詐欺だということになる。言い逃ればかりの悪いやつを野放しにしておくのはいたたまれないというのであれば、法によって裁いてもらうべきだ」

●マンションを手放す。

1214.2024年4/16 あの熊本地震から八年がたった。ある十回建てマンションは一階のエントランス部分が大きくこわれ、大規模修理という方向がきまった。費用は一億円をこえると見積もられた。全六十世帯あまりのなかには反対する人もあり、買取りをもとめて裁判をおこす人もいた。

 住民同士の対立のしこりが残った。管理組合の面々は精神的に疲弊した。結局マンションの解体、土地の売却が決まった。そこをついのすみかとして買った人は、泣く泣く手放すことになった。

 マンションを買うだなんてやめたほうがいい。

●視覚障害者が性被害にあう。

1213.2024年4/21 日曜朝、NHKR2を聴く。それによると、視覚障害者の女性が性被害にあっている。法律上もつことが定められている白杖が、不埒な男に狙われる。

 視覚障害者が何号車に乗っているとの、駅のアナウンスがある。駅員同士で情報を共有するためのそれが、性に飢えた男をひきよせてしまう。当該団体の訴えによって、タブレット端末をつかうようになった駅もある。

 ある視覚障害の女性が電話取材に応じた。彼女は駅のなかで知らない男に声をかけられた。親切に誘導してくれるのかと思いきや、ひとけのないところに連れていかれ、胸をもまれた。

 ある全盲の女性の部屋に盗撮の機器が三つ仕掛けられているのを、訪ねてきた母親が見つけた。警察の捜査の結果、近所の男がつかまった。男は、女性に巧みに近づいて合い鍵をつくって侵入していた。ばれないと思ったと供述している。

 下心をもって近づく。これは私が知ることになった近くの女が、さんざんやってきている。何の生活プランもないとみえる女である。警察当局に注意されてもなおもやっている。

 人が人を狙う。はばからず迷惑行為をする。これは東隣の一戸建ての男がおそらく十年ちかくやっていることだ。夜に四辺をうろつく。マンション敷地内に入りこんで、何かの工具をつかってがりがり音をたてる。それを妻も子も抑えていない。

●木南晴夏。初代教会。②

1212.2024年4/12 馬橋公園ちかくの道において、ごほごほっと口鳴らしがきこえた。やりかえしつつふりむくと、自転車に乗った小学生の男子が近づいてきた。目を見ひらいて私を見ている。やりかえされるとは思っていなかったのだろう。その口鳴らしは、親などの真似にちがいない。道沿いの住宅の前で自転車をとめた。庭のない家に入ろうとしている。ごほごほっ。またやった。やりかえした。感受性の劣った小学生である。その親もおなじである。

 阿佐ヶ谷の松屋で食券を買っているとき、ななめうしろに男がきた。28くらい。私が何を買うのかずっと見ていた。うえっ。

 同店でカレーを食べていた。ごほっ。カウンター左むこうの男が口を鳴らした。こっちを見ていよう。私はそっちを見ない。ごほっ。またやった。

 阿佐ヶ谷駅北口、その駅頭で共産党の小池さんが演説をしていた。書記局長ではなく、区議会議員の女性である。党関係者が新聞やチラシを配ろうとしており、近づいて、もらった。赤旗の日曜版は記事が各方面にわたって多彩であり、買うなら240円である。かれら、男性も女性も高齢にして品のいい人たちだと毎回感じさせられる。

 木南晴夏なんていう俳優、初めて知ったなあ。尊富士、すげえ。クロスワードパズルもある。

 高円寺パル商店街の出入口、JR高架下ちかくに20代前半らしい女が三人固まっていた。通行人のじゃまになっていた。私がむかっていかざるをえないとき、ごほごほっと女のひとりが口を鳴らした。やりかえした。

 ローソン100高円寺北店に男がいた。23くらい。パン棚の前にいつづけた。この男のうしろをとおった。予定のものをとって店内カゴにいれると、男は遠ざかってからもどり体を私にむけ、私を見た。うえっ。

 がががががが、ががが。工具か何かをつかって、いやがらせの音をたてる。そんな迷惑行為を男がまたやった。すくなくとも七八年はやっている。だれも取り締まらない。人のマンションの敷地内に不法侵入してのそれである。よっぽどひまとみえる。妻子も同じ音を耳にしているだろうに、夫や父をおさえていない。感覚がにぶい。神経がさつ一家である。当該マンションにさえぎられて太陽光のあたらない一戸建て、住宅密集地帯のそんなところに住むとどういう男ができあがるのか、この男はみせてくれている。

「貧者、浮浪者、乞食、あるいは旅行者、病人、精神病患者など、恵まれないしかしそれでもわれわれの兄弟であるすべての人間への連帯感」、こういうものを私がきょうでくわした人のどれだけがもっていよう。この国のたいそう多くの人々にとって人は愛の対象ではなく、人が宗教的尊厳をそなえているなどとは考えていない。(『キリスト教史1.初代教会』)

●ベビーカーの女。①

1211.2024年4/12 中野駅方面へとファミマの角で右をとった。折しも左からベビーカーを押してくる女がいた。23くらい。私は坂のむこう側へいこうとする。

 ごほっ。

 女が口を鳴らした。そんな女を見てやった。目を見開いている。リビングの窓から外を眺めているような顔つきである。やりかえした。おさまらずもう一度やった。

 高田馬場でおりた。階段へむかう。おりてきた男が、すれちがうときうっと口を鳴らした。20くらい。

 山手線の通路を歩く。スマホ女がきていた。20くらい。すれちがう前、ごほっと口を鳴らした。

 山手線外回りに乗った。ちかくの男が顔を私にむけつづけた。30くらい。品性がない。

 医院の待合室において左ななめむこうの男が、ごほっごほっとわざとやった。67くらい。

 女22くらいが私の前をとおるとき、口元を手でおさえつつごほごほっごほっとわざとらしくやって席についた。このあとは一切やっていなかった。私のすぐ前に男がおり、私の眼前のせまいところをえらんだとみえた。もっと広いところをとおればいいのにそうはしていない。とおるなら失礼しますとか何とかいえばよさそうだった。私がこの診療院に入ってきたときから私を眺め、このときから遠ざける行為をやってやろうと思っていたのかもしれない。

 予備診察の部屋に男がいた。患者、25くらい。私はいわれたとおりにこの男の脇をとおって奥へいく。

 うっ。その男が口を鳴らした。奥にすわると、ちょうどこの男とむかいあわせになった。男は私を見にかかった。私は顔をそむけた。

 椎名町小のところで男がむかってきた。70くらい。

 いつもとはちがう時間に南長崎スポーツセンターで泳ぐ。ある男、65くらいは、私の泳ぎをじーっと見て私が25メートルの端に泳ぎつくと、ぱっと泳ぎだした。これを何度もやった。ときどきは、泳ぎださずとどまって私に顔をむけた。そのコース内に入った私が泳いでいくのを眺めているとみえた。一度、コース端にもうひとりいたとき、コースロープをもぐった私がそのまま泳ぎだそうとする寸前、泳ぎだした。なにを考えているんだと私は憤りを覚えた。マイペースのないやつだとしか思えなかった。おそらくこの時間の常連である。

●釜重蒲鉾店。龍樹。

1210.2024年4/6 釜重蒲鉾店の脇から阿佐谷パールセンターへ入った。おかしのまちおかの店前で、ごほっとうしろのほうから口鳴らしがとんできた。ストレスを避けてこの道順をとったけれども、いつもとおなじである。この世は地獄だ。

 チロリアンハットをかぶった男72くらいが、椅子から立ちあがった。おりようとドア前にいきつつも体を、すわっているこっちにむけた。

 となりの車両にいる女17くらいが顔をこっちにむけ、ガラス越しに私を見た。私は冊子を盾にしてやった。

 その女がまたこっちを見た。からっぽ女め。

 真ん前に男がきた。すじかいだってあいているのにそこにきた。60くらい。ぴしーっ。ファスナーの音をたてた。顔をあげ私のようすをさぐっている。おりていく支度をする私を見つづける。

 ドアがあく。私がまだおりてもいないうちから、女が我先にというように入ってきた。22くらい。私のいた席にすわった。スマホである。

 帰りの電車において、遅れておりてくる人を待ってから乗った。このとき両ドア空間のすじむこうにいる女?が、私に顔をむけた。うえっ。

 めずらしく長椅子の端にすわる。ほぼ同時にすじかいにすわった男40くらいが、なにげにこっちに顔をむけ私を見た。

 いまなんて、真ん前の女30くらいがスマホから顔をあげてこっちを見たもんなあ。

 こんなのばかりだ。

 両ドア空間すじむこうの男がおりた。それで優先席八席にはギターのような楽器をもった男だけがいることになった。65くらい。この男は連結部寄りの端から顔をこっちになんとなくむけている。終点中野にもうすぐ着くというとき、まだ走行中であるのに楽器とともに立ちあがった。ひとりでいられないのである。車両内に体をむけた。私を見ようとしている。うえっ。

 席を立つ。

 中野駅中央通路を南口へと歩いていると、改札口からきていた女が通路をななめにむかってきた。67くらい。まただ。右のてのひらで視界をせばめてやった。

 ごほっ。うしろのほうから口鳴らしがとんできた。まただ。顔を横にしてやりかえす。すると、ごほっと壁際でスマホを見ている男がそうやった。25くらい非正規ふう。そんなところにいて女を物色しているとみえた。

 まいばすけっと中野三丁目店に、スマホを手にしている男がいた。23くらい。私を見ており、ものを買いにきているのではないとみえた。

 レジ前にいると、その男は私のうしろのほうにきた。体をこっちにむけて横歩きででていった。何がどうあっても私のようすを目にいれようというわけであった。

 「一切諸法[あらゆる事物]は空である。何となれば、一切諸法は他の法に条件づけられて成立しているものであるから、固定的・実体的な本性を有しないものであり、「無自性[むじしょう]」であるから、本体をもたないものは空であるといわねばならぬからである。そうして、諸法が空であるならば、本来、空であるはずの煩悩などを断滅するということも、真実には存在しないことになる。かかる理法を体得することが無上正等覚[むじょうしょうとうがく](さとり)である。そのほかに何らかの無上正等覚という別なものは存在しない。」(中村元『龍樹』)

注:「」および()は中村による。

●典型男――まいばすけっとの場合。丸山健二。②

1209.2024年4/3 エレベーターに乗ろうとした。男がおりてこない。25くらい。

 乗るのをあきらめた。もどった。エスカレーターの上り口へと、階段の前を突っきっていく。

 ううっ。

 階段からおりてきた男が口を鳴らした。めざわりだといわんばかりの、けだものめいたうめき声に近かった。

 高層ビルの敷地内へ入っていこうとするとき、ごほっとわざとらしい咳真似音がきこえた。見ると、ビルの壁沿いの狭いところを男が私を見つつきていた。33くらい。私とちょうどかちあうのがいやで、先制攻撃をかましたというわけである。またこんなのがいた。私を何度か見かけているのかもしれない。

 敷地内に入らず、歩道をいく。ふだん着のカップル二十代を抜き去ってから、その敷地内へ入った。高層ビルのむこう側を通りぬけるためである。左の先を見ると、あの男がビル内のエレベーター前にいるのがみえた。

 駅の階段をおりていく。ごほっ。うしろから女がそうやった。やりかえした。その女、23くらいは、喉にひっかかるものがあるというようにううっととりつくろった。

 まいばすけっと中野三丁目店において、レジ待ちのところにいた。レジはひとつだけあいており、客の男がレジ前にいた。25くらい。私はその男を見ることがないように体をずらす。ほかのほうを見ていた。だが男はちがった。体を30度こっちにむけ、私をうかがった。こんな男に背をむけると、やつはレジに左肩をむけ体をまともに私の背にむけた。うえっ。

 丸山健二は『千日の瑠璃』のなかで、こう書いた。「ちょっと考えればこの世が地獄であることくらいは簡単に察しがつくはずだ」と。

●典型男――東京メトロの場合。①

1208.2024年4/3 阿佐ヶ谷一番街へ男が曲がりこんだ。70くらい。ひまそうだ。こんな男をらくらく抜き去ると、うっと男は口を鳴らした。やりかえした。男はもう一度うっとやった。

 ふりむきつつやりかえした。

 阿佐谷パールセンターにおいて、女が伏し目でむかってきた。70くらい。

 阿佐ヶ谷駅ホーム上に男がいた。28くらい。この男は、私がいるのを見てからそこにいるといった感じだった。

 場所をかえる。自販機の陰にまわった。そんな男から見られないようにした。すこししてその男のほうに顔をむけると、男はすでにこっちを見つづけていた。うえっ。

 となりの車両に男がすわった。55くらい。二枚のガラス越しに顔をこっちにむけてきた。ファイル作業中の私を見ている。

 そうまでして人を相手にしたいか。気色わるさがつのっていく。

 席を前方にかえる。すると、男が扉をひいてこっちにきた。真ん前にすわった。二枚のガラスのむこうにいた男か。すいているのにそこにきた。こっちを見た。頰肉がたっぷりついている。食うだけ食っていよう。そして定型行為のスマホである。70くらい。

 ひと駅めでホームにおりた。あの男がいた席にはだれもいない。やっぱりあいつだ。そこまで生きてきても、道を知らない。道をもとめていない。

 車両をかえた。

●サンドウィッチマンがカラオケ店にいく。

1207.2011年3/19 サンドウィッチマンは仙台の東北放送でレギュラー番組をもっていた。番組のロケを、ある港町の魚市場の前でやっていた。おわるや、大きな、いままでに経験したことのない揺れの地震に見舞われた。津波がくる。ロケ隊しめて十人を統率する立場の人が、ただちに全員をロケバスに乗せた。高台へと、標高二百メートルほどの安波山[あんばやま]の五合目へとむかわせた。かれらは海と町並みを一望のもとに見渡せる地点から、大津波の襲来を茫然と、なすすべもなく見ることになった。

 仙台への道路は通行不能であった。車は北の一関を迂回して仙台へと入った。仙台はサンドウィッチマンの伊達および富澤の地元である。さいわい、ふたりの実家に被害はなかった。

 富澤の母は息子に、開口一番こういった。

「うどん、食べる?」

 オレのことじゃない、あんただろう、と富澤は思った。

 翌日、東京から事務所の人が車をとばしてふたりを迎えにきた。伊達の母のところに、コンビニで買ったおにぎりをもっていった。すると、母は泣いた。おにぎりに泣いたことに伊達は目頭が熱くなった。

 伊達と富澤はともに奥さんを連れて四人で、目黒で落ちあった。食事でもしようということである。折から、カラオケいかがですかと、店の若い男性店員に誘われた。このたいへんなときにカラオケか。伊達は温度差を感じないではいられなかった。

 結局みんなでカラオケ店に入った。

●ばい菌扱い。加藤諦三。マドモアゼル・愛。

1206.2024年4/1 ある34才の女性は独身である。会社勤めをしている。小学生の頃いじめられた。ばい菌扱いされた。そのときの辛さが思いだされて苦しい。

 欲求不満な人は鬱憤を安全な人にむける。加藤諦三。

 いじめるほうがわるいにきまっている。いい子ちゃんで生きている人たちは、創造的な人生を送っていない。マドモアゼル・愛。

 愛氏は、ある外国人の発言をいいそえた。こういうものである――日本には百五十万人の良心がある。この人たちは社会にあわせず生きている。

 その百五十万人というのが、年間にいじめられている人の総数なのか何なのか、聞きそびれた。ともかく、しいたげられている人たちである。この国の百人にひとりかふたりだけが、良心をもっている。これは卓見である。