こんにちわ、宅建の試験が終わり、灰となっている僕です。。。すべての試験は、本気モードで勉強しないともったいないですね

さて、それはさておき、昨日、僕の人生にすばらしい1ページが加わりました!!超個人的なことですが、

叔父になりました

まさに、ハッピーバースデイを体感した日になったのです。

まだ、甥っ子には会いにいってないのですが、生まれたというメールや写真を見ただけで、
笑みが出てきて、さらには泣いてしまいました(笑)
可愛いし、はやく抱っこして、赤ちゃんの声を聴いて、手足をツンツンしたいっす

やはり、子供というのは、愛されるべき存在だと僕はずっと考えております。
どこの国でもどの時代でもどんな状況下におかれても、決して憎まれてはいけないし、
ましてや、人殺しの道具になってはいけないのです。

子供は大人を見ています。大人が思っている以上に。だからピースフルな環境を作るには、
大人が子供にとって憧れの存在にならなくてはならないのです。
かといって、「すべての倫理に反するようなこと」をして憧れを抱くような存在は決して許されません。

こういうことを書くと、「価値観が違うから」とかいちゃもんをつけてくる人が多数いますが、
人を殺すこと、人を意味なく傷つけること、などが価値観云々に含まれるでしょうか。
それは人間として生まれたからには誰もが持っていなくてはならない定義だと思ってます。

もちろん人間だから人を怨むこともあるでしょうし傷つけることもあるでしょう。しかし、決して「意味なく」
や「短絡的」になると、地球上のどの生物よりも劣った発想になってしまいます。

昨日の新しい命の誕生により、自分の甥だけでなく、無垢な心でいる子供たちが本当に怯えないで生活できる場を提供してあげたいと考えてます。世界中にまだ人種差別、紛争を続けている地域では子供が人を殺す、という状況が当たり前のように起こっています。それは正しいことではないですし、紛争自体が起こるということが悲しい状況です。人は言葉を持って、知恵を持って生きていく動物なのに。。。

日本に住んでいるから多民族国家、宗教対立にはほぼ関わらずに生きてきているので、公にされた人種差別や紛争など、なぜ負の連鎖が断ち切れないのか、ということに疎いのかもしれません。
でも、人を殺さなくてはいけないという考えを持つことが許されるのでしょうか。感情はどこに行くのでしょうか。

やはりこのPVにすべてが集約されていると思います。



痛々しい姿を見ているよりも、やっぱり笑って楽しい顔をしている子供の姿を見ているほうが、幸せですよね。