皆さんこんにちは、NIKAですヒマワリ

 

この度、3月24日に大学を卒業いたしました。

 

思えばこの4年間、本当にあっという間で

 

レポートを5つ仕上げた地獄のような学期と頭を抱えていたプレゼンの授業ですら恋しいです。

 

4年次は給付型の奨学金をいただいていましたが、2年ほど自分で学費を払っていた大学生活は決して楽なものではありませんでした。

 

私の父は持病があり、私が中学3年生の頃から普通の仕事ができなくなりました。

 

高校2年生の頃に高校の許可を得てアルバイトをしながらコツコツと貯金をし、大学生活もそれなりの覚悟をもって始めました。

 

貸与型の給付金は将来的に返済できないかもしれない可能性を見込んで借りなかったので、

 

最初の2年間はパンパンの授業の合間にアルバイトをする生活が続き、正直何も楽しみを見出せなかったです。

 

友達たちが海外旅行に行ってる長期休みの間もアルバイトに勤しみ、私は何してるんだろうってやるせなさを感じたこともありました。

 

ただ、そんな時は常に「社会人になった時、みんなが奨学金でマイナスからのスタートだったら、私は最低でも0からのスタートなんだ」って自分に言い聞かせていました。

 

両親が頑張って仕事をしてくれたおかげで極貧生活とまではいかなかったし、

 

お金の重みを身をもって体験できた良い経験になったと思います。

 

交通費を浮かせるために自宅から片道40分かけて自転車で大学に通った時期もありましたが、全然苦ではなかったです。

 

むしろ、桜吹雪が舞う中春を感じたり、首をもたげて見事に黄金色に実っている田んぼをみてライオンのたてがみみたいと感動したり、

 

街灯がない帰り道に満点の星空をながめながら帰ったりと、かなり感性が刺激されることが多かったです。

 

総じて良い経験になりました。

 

 

3年次は行きたかった上海留学に行きました。

 

母親が上海出身で私自身も幼少期に上海で生活を送っていましたが、アイデンティティの問題で昔は自分が他人と違うことがとても嫌でした。

 

中国人は日本ではすごく見下されることも幼いなりに感じていたので、なるべく同化しようと中国のことは忘れるようにしていました。

 

それもあって、中国語を話せなくなりました。

 

今でこそギラつくようなネオンの大都市になっていますが、上海って昔は本当に何もなかったんですよ。

 

なので、幼少期に帰っても特に何も楽しいことがなく、祖父母につれない態度をとっていたのは今思うと本当に申し訳なかったです。

 

大学生になって、色んな地方から色んなバックグランドを持つ人たちと接していく中で、私の中で色々と考えが変化していきました。

 

元々留学は考えていたけど、アメリカやオーストラリアに行きたいと思っていました。

 

しかし、私はあまりにも自分のことを知らなすぎると気づいてから、私のバックグランドがある上海に、ちゃんと物心ついた今いけば何か変われるかもと思うようになりました。

 

それが私が上海留学を選んだきっかけです。

 

実際上海での生活は刺激しかありませんでした。

 

大人になって感じる上海は全く違うものだったし、アグレッシブに授業を受けるクラスメイトたちの姿に衝撃を受けたり、

 

恋愛観の違いに驚いたり戸惑ったり、たわいもないことで爆笑したと思えば激論をかわしたり。

 

本当に人に恵まれた留学生活で、私はすごく変われた。

 

そう胸をはって言えます。

 

留学生活でお世話になった日本人の方とは今でもたまに連絡を取り合っているのですが、

 

この2年でお二人とも1児の母になりましたほっこり

 

知らせを聞いたときはボロボロ泣くくらい本当に嬉しかったです。

 

また上海で再会できる日を楽しみにしてます!

 

 

実は大学に入ってから、日本の祖父・従姉・祖母を亡くしました。

 

従姉は一回り年上であまり話す機会はありませんでしたが、私の名前をつけてくれた人でもありました。

 

私の中での彼女は、彼女が26歳の時のハッとするような、まさに「絵にかいたような美しさ」のまま止まっています。

 

そんな彼女の夢も「客室乗務員」でした。

 

親戚同士何か通ずるものがあるのかもねって伯母さんは言っていましたが、彼女から託された夢を私が一緒に叶えていこうと思います。

 

絵美ちゃん、一緒に夢叶えようね。

 

昨年祖母を亡くしましたが、また今年も会えるものだと思っていたので、本当に衝撃と死を目前にした虚無感を感じました。

 

そして何よりも、「人前で泣くな、弱さを見せるな」と言っていた父親が亡骸を前に泣き崩れている姿を目の当たりにするのがつらかった。

 

あぁ、大切な人を失うってこういうことなんだ。


将来そんな時が来たら私は耐えられるのかな。

 

そんなことを感じていたのを今でも覚えています。

 

足元もおぼつかないのに電車に乗って半年に1回私の家を訪ねてきて、私の顔をみて「元気そうね、よかったよかった」と満足そうに帰っていったおばあちゃん。

 

近いからこそまたいつでも会えると思って会いに行かなかったことを今でも後悔しているけど、

 

葬式の前後、確かにおばあちゃんの存在を感じました。

 

おばあちゃんありがとう、これからもずっと見守ってね。

 

 

留学から帰ってきてからの1年半、ひたすら自分の気持ちにまっすぐに生きてきました。

 

寄り道したり、崖から落ちかけたり、立ち止まったりもしたけど、4年間夢を追い続けました。

 

この4年間で客室乗務員が夢になり、日系から外資になったりもしたけど、

 

きっかけになった恵莉さんと直接お話した時は震えるくらい感動しました。

 

本気で夢を追いかけてるとちゃんと色々叶うんだなと実感しました。

 

どの合説に行こうがどんな会社の人と話そうが、何か夢とかあるんですか?って聞かれると

 

「私、外資系の客室乗務員になりたいです」って言ってたのはいかがなものかと今は思いますが(笑)、

 

「いいねいいね、世界に出たいってそのくらいの心意気じゃないと!」ってたくさんの方に励ましてもらえたこともすごく嬉しかったです。

 

でもこうして、私が夢を語り夢を追いかけられているのはそういう環境が周りにあったおかげだと思います。

 

大学の友人を含め私の周りの人は、なぜなりたいかと聞いてくることはあっても否定をしてくる人は一人もいませんでした。

 

むしろ「NIKAだったら絶対なれるよ!NIKAのフライトに乗りたい!!」って後押ししてくれる人しかいなかった。

 

みんなの支えと応援があったからこそ、今こうして私は立てています。

 

本当にありがとう。

 

今はこのような状況下ですが、私は絶対夢を叶えます

 

この大学に入ってみんなと友だちになれたこと、


たくさんの人に出会い愛をいただいたこと、

 

そして留学に送りだしてくれて、何だかんだ言いながらも航空会社のニュースをチェックしたり、知り合いの人から話を聞いたりして、私の夢を一緒に応援してくれている両親。

 

もう少し迷惑をかけてしまうけど、いつか広い広い世界を見せてあげたい。

 

まだまだ泣き虫で不器用な私ですが、丘の上の大樹のようにみんなを温かく愛情で包み込めるような人になりたいです。

 

これからも猪のように突っ走っていくので、見守ってください🐗💨

 

私はまだまだ止まりません。

 

 

 

-END-

 

 

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