手の中にある幸せの意味を知らないで、例えば残された誰かの中にいる自分を消す事はしないで欲しい。
オレは死を軽んじ、生き急いで、堕落し、自分を傷つけ、誰かを傷つけて来た。
今、オレは誰かの記憶に生きてあるだろうか?
小さかったオレを知る人や友人、何かの縁で知り合った全ての人の中に。
死にたがっていたオレは、オレを知る誰かをオレの死で傷つけしまう事になるとは思わなかった。
誰も傷つけずに、あっさりと死を望むが、その「あっさり」はほんの少しだけ誰かを傷つける行為になるのかも知れない。
死んで喜ぶ奴もいるかも知れないし、このまま生きて寿命をまっとうするかも知れない。
生きて風を感じ、人の温もりを感じ、愛を感じ。
実際、オレは愛ってなんなのかピンとこない。
両親は他界しオレの死に涙を流す人はいないと思う。
オレの中ではそう思っている。
昔は昔で、今より大切な事は過去でしかない。
生きてる実感を感じるからコレを打っている。
親よりも先に行くのは自分の意思の外で弾かれたし、それより生きて苦しむ方が良いとオレの意思とは別に判断された可能性はあり得る。
現実を、自分の目の前からは一瞬で消せる。
どこかのビルから飛び降りるとか、車の行き交う道に飛び出すとか。
方法はいくらでもあるし、可能性は生きてれば全人類にやってくる可能性の死。
何もかもに嫌気がさし、生きる望みも失い、誰にも頼れずに。
まず、今までの人生をリセットしたいって誰でも考えた事はあると思う。
でも、その先は自分に戻って来れるとは限らない。
よくある「死んだら異世界転生」とか、夢みがちなお子様の思考。
あの世は天国も地獄もあると思ってるのはある程度の教養と経験を積む人のちっぽけな考えの中にしかないモノ。
と、オレは思っている。
あの世を見たとか言う人、信じられる人間じゃないし。
実際、三途の川なんて見なかったし。
だから、生きてるって事なんだが。
人生のほとんどは「雑用」の中、自分の意思で決めた事なんて意外と少ない、それに寝てる時間の方がまだ長い。
僅かな自分の意思の中で決めて生きる事の重要性をオレは感じる。
誰の性にも出来ない、自分で決めたなら。
他人に人生決めて生きるのはゴメンだ、ゴメンどこか死んでも従う気はない。
不幸は人間全て、生きとし生けるものすべてにやってくる。
それも人生の1部分として。
人生に何コマあるのかは知らない、知ってても説明できないし、それを気にして生きてる人がどれだけいるか?
無数の選択肢を無数に選択するのが人間で、不幸も選ばなくてもやってくる。
「運命」とか感じる人は幸せか不幸かはわからない。
幸せだったとしても必ず真逆は存在する。
死を選択しそれを弾く力は神か?
神はいてもいなくてもどっちでも良い、その存在を肯定する気もない。
否定しても現実、生かされてる。
苦行は選択してないけど、生きる意味を知るには良い時間なのかも知れない。
どれだけ殴られても蹴られても、拷問されてもね。
それ以外のイメージは想像し難いが。
死に急ぐか、生き続けるか、より生きて行く道のりをどんなふうに構築していき記憶に残し全うするかが重要、ただその中身は誰にも知る事はない話しにはなるが。
あの世が「無」なのか、「続く」何かに進むのかは知らんし、知っても記憶に残るかどうか?
自分の死を自分だけの考えだけに留まる事などない、親がいて生まれてくる命だから。
誰かが痛み、誰かが悲しむ。
今がどんな状況かは皆んな違う、最低最悪でも、幸せ絶頂でも、他人の話しで今のオレには関係ない。
知っているのはいつだって自分、一人称であり複数ならなる事なんてあり得ない。
ネットの世界じゃないから。
それが「現実」。
何かの代わりは沢山有っても、自分の代わりは誰にもなれない。
自分はいつだって自分だけ、人生は自分の力と意思で構築する。
誰かが代わりになってくれるなんて無い。
昔を懐かしく感じても、それはもう終わり、1秒先の自分を見つける視界があるなら、死より先に意識し動き出せ。