──ふらりと出て行った晃を追いかけて、気がついたら雫は〝クリスタルベル〟という店の前に立っていた。しかし、クローズされていた。雫は首をかしげた。
「何で私、ここにいるんだろう?」
疑問をすっと自然に口にした時、一人の老爺が優しい声で笑い、雫に声をかけてきた。
「雫、私がお前を呼んだのじゃよ」
雫は驚きのあまり飛び上がった。
「お祖父ちゃん!?」
老爺は、「ほっほっほ」と再び笑った。
それから、すぐに真剣な表情で雫の祖父、夜(よる)は言った。
「雫…お前には、随分と辛い思いをさせたなぁ。あの頃…わしはまだ若かった。許しておくれ」
「そんなことないよ。お祖父ちゃんの絵本…今でも私の大切な記憶なの──」
夜は優しく微笑んで、「おいで」と言うと、雫を抱きしめた。
雫の胸に熱い気持ちがあふれ出した。──暖かい。
「中にお前の大切な人が捕らわれておる。ちょいと娘がヘマをしてな」
「そんな! 私、誰だろうと許さない。あきに何かあったら…!」
夜は優しい瞳を雫に向けた。
「きっと、孫娘が救うから。あれを責めないでおくれ。…あれはここしばらく眠っておらんのじゃ」
雫はしゅんとうなだれた。
どうしよう、どうしよう…あきに何かあったら…私……
本当にひとりぼっちになってしまう。
オイテイカナイデ──
再び胸の締め付けが雫を襲う。
走馬灯の様に、笑っている晃の笑顔が雫の頭を駆け巡った。
それはとてつもなく苦しいものだった。
──ちりんちりん
バンっと激しくドアが開いた。
「いらっしゃい」
ウエーブのかかった金色の輝く髪がふわりと揺れる。片目だけ色素の薄いオリーブ色の瞳を持った、美しい女性が色のある声で言った。
「雫!」
その声の後、少しずれてから懐かしい声がした。その懐かしさに安堵した。夢ではないと確かめたくて、雫は晃に駆け寄った。
「心配したんだからね…」
晃は申し訳なさそうに、頷いた。
「ありがとう…」
その言葉は予想外だった。雫は晃なら「ごめん」と言うと思っていたからだ──全て自分が悪いんだと、そう思っていると思っていた。でも、もう違うんだ。雫は泣いた。
──よかった。
優しい手が雫を包み込む。震えていたのが嘘の様に、全身の力がすっと抜けて心地よい。
「出来るじゃないか…」
晃が雫の涙を拭ってくれたけれども、涙は止まらなかった。
「本当に、ありがとう…」
そこへ、すっとあの女性が鏡を持って進み出てくる。きっと〝魔女の鏡〟だ──そう、雫は思った。
「最後のお願い、してみる?」
晃はしばらく考えていたが、突然言った。
「最後は雫に…雫に選んで貰いたい」
とても嬉しかった。
選択するという素晴らしい力を、私も貰えるのだと──
そうしてそこまで浮かれて、一瞬不安になる。
本当に、私の様な者が受け取っていいの?
自然と「いいの…?」と、雫は晃に尋ねてしまう。
晃は何もものを言わず、こくんと頷いてくれた。
ああ、この人は本当に今の私の全てを受け入れてくれているんだ…。
自然と顔がほころんだ。
「鏡さん…許されるなら、私に選択させてください。この世界に住むか、それともあの世界へ帰るのか──」
聞き入れた
そう低い声が聞こえた気がした。
「私、あきのこと…好きなんです。だからここに居たい」
自然と言葉が溢れた。伝えずにはいられない。
晃は照れた様子で赤面しつつ、何時もの癖で頭をぽりぽりと
掻いた。
「これから、あきのこと……もっと、愛したい…」
雫には自分の頬が火照っていくのが分かった。
──ありがとう。
皆がにっこりと優しく微笑んでいた。
──風が、不思議な店を通り抜けた。まだある筈もない新緑の葉が、部屋の中を駆け抜ける。
晃と雫は空き地の前に立っていた。
「何も、ない…」
あれは、幻だったのだろうか。
「さむ…」
晃は雫の肩を抱き寄せ、ジャンパーのポケットに手を突っ込んだ。不思議そうな顔でポケットから取り出したのは、一枚の小さなカードだった。そのカードを恐る恐る晃が開いてみると、そこには
こう書いてあった。
あなたの「ありがとう」頂きました。
何時でもあなたを待っています。
無償の愛の店
クリスタルベル
確かにそこにあった店かどうかは今もよくわからない。
これから一体幾つの困難が待ち受けているのだろう…? それは二人には分からないことだ。…それでも二人は誓った。幾つあるかわからない困難に、二人手を取り合って立ち向かっていこうと。
雫は、この胸に芽生えた小さな愛を守りきることを誓った。
晃は、やっと一つになった自分自身を守りきることを誓った。
二人の行く道は重なった。だから一緒に歩いていくんだ。
何時か分かれるその日まで…二人はパートナーなのだから──
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