ジャーナリストの葛城奈美さんによる、「日本人らしさとは何か」「日本のあるべき姿」を追求したドキュメンタリー風の一冊です。

 

日本人が大切にしてきた「和の心」と武士道に代表される「強さ」の一見相反する特質が、著者の体験を通して、説得力を持って語られています。国際社会における日本文化の特異性を浮き出たせ、その特異性を生かしながら、どのようにその中で振る舞っていけばよいのかを示唆する一冊でもあります。

 

日本政治の問題点を痛感しつつ、改めて、日本的精神の良さを感じることができました。こうしたテーマの良書は数多く出版されていますが、葛城さんの本の違うところは、ご自身の経験を踏まえて、ご自身がどのように感じられたか、また、実際にどのような人がその現場で、どのような思いを持って活動されているかを実感を持って伝えているところだと思います。

 

政治家はもちろんのこと、教員や公務員など様々な立場の方に読んでいただきたい一冊です。

 


 

要約

 

はじめに

コロナ禍でさらに加速する社会分断。「自分さえよければいい」のか?今一度、建国の理念である「八紘一宇(天の下にひとつの家のような世界をつくろう)」の精神の見直しを。

 

第一章 尖閣諸島を守る

尖閣諸島で漁を営む漁師に伴われ、尖閣諸島へ。

著者はその本土からの遠さ、自然の恵みの豊かさに驚く。

中国公船が悠々と航行する傍ら、日本漁船を排斥する海保の姿勢に憤りを覚える。

尖閣諸島でのゴミ拾いや野生化ヤギの駆逐などの自然活動で所有国としての立場を堅持することを提案。

 

第二章 拉致被害者奪還

拉致問題が一向に進展しない中での拉致被害者家族の哀しみ・無念の想いを伝える。

他国であれば、武力を持って救出に向かうことが当然である。

「日本に男はいないのか」著者は悲痛な思いで呼びかける。

 

第三章 先人たちの慰霊・顕彰、そして思いの継承

米軍が2~3日で落とせると考えた広さ13平方キロメートルのペリリュー島を71日間死守した中川州男大佐。

日本軍の軍事訓練を受け、郷土防衛義勇軍の大隊長として独立戦争をタラ会、初代国軍司令官となったインドネシアの英雄、スディルマン将軍。

命を賭して「世界人類の和平」のために戦った特攻隊の生みの親とされる大西瀧次郎。

心優しくありながら、愛する者を守るためにいざとなれば戦う勇気を持つのが本来の日本人の姿ではないだろうか。

 

第四章 皇統を守る

天皇は特別階級の貴族ではない。

無私無欲の心で祈り、国民の安寧を守らんとする宗教的な存在である。

第五章の「同じ命令で死ぬのであれば、私利私欲にまみれた政治家ではなく、無私の存在の天皇の命令で死にたい」と願う死地に赴く青年たちの心情が心に迫る。

「女系天皇・女性宮家」反対は、「女性差別」ではなく、万世一系の正統な皇統を守るために必要なこと。

カトリック教やイスラムの聖職者は男性のみだが、これは性差別ではないのか。

この種の干渉は、日本固有の文化・古来の信仰への侵害であると言える。

 

第五章 自衛隊のあるべき姿とは

自衛官は命を賭して戦うからこそ尊いのである。

被災地での献身的な姿を目の当たりにして、国民のイメージも変わってきている。

自己規制の呪縛から解き放たれ、真に尊敬され、誇りを持てるようにするべき。

 

第六章 一木一草にも神が宿るという自然観の継承

著者の米作り体験、日本建築について、「海の鎮守の森」プロジェクトへの参加などについて。

 

第七章 麻あって日本あり — 大麻の真実

日本原産の大麻は「麻薬」ではない。

繊維として多種多様な方法で用いられ、宗教行事にも関係していた。

誤解から規制され、国内生産量は激減した。

「有用な農産物」であり、「日本人のアイデンティティとも深いかかわりを持つ植物」としての「大麻」の復権を。

 

第八章 古事記の時代から続く日本の捕鯨

「一頭捕れれば、七浦潤う」という言葉に代表されるように、クジラは古来より日本の貴重なたんぱく源だった。

鯨身だけではなく、その油やヒゲや骨、歯なども慰霊や供養により感謝の想いを捧げながら余すところなく使用してきた。

「現代はいろいろなものをいろいろなところから入手できるが、もしそれが入ってこなくなったらどうするのか。日本で古来食べられてきたものの価値を感じてほしい」クジラ料理店の女将は語る。

 


 

感想

 

改めて読み返し、著者が自身の経験を踏まえながら、時事問題へ鋭く切り込んでいることや、尖閣諸島へ荒れる海を超えて上陸したり、「自分で体験しないことには説得力がないから」と、予備自衛官補への訓練にも参加するバイタリティーには驚かされます。

本書から、日本の政治家の理想像というものを感じ取ることができるのではないでしょうか。

「大和の精神」を体現したような、清々しい政治家の出現が切に願われます。