大槻ケンヂ「のほほん人間革命」より | Vitamin K

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晦ケイ子による気まぐれブログ。
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(since 2012/03/22)

大槻ケンヂ「のほほん人間革命」より

   一般的には、アリスちゃんたちのようないきかたは「刹那主義」と呼ばれ、反道徳的な生き方とされている。若者特有の、一過性の病気みたいなものとさえ言われてきた。少年少女は、社会の一員になることがひとつの「権利」であると大人たちから教えこまれると同時に、その権利とひきかえに「刹那の快楽」に生きる日々を捨て去ることを逆に強要される。「大人になる」ということはつまりそういうことなのだ。
   言うまでもなく「刹那主義」とは、後先のことをひとまず置いて、今この瞬間を楽しく過ごしさえすればそれでよしという生き方のことである。一方、「大人になる」ということは、つねに明日のことを頭の隅に置きながら今日を生きるということ(それが建て前であっても)。一見まるで正反対のこのふたつだが、実はある部分では共通した点を持っている。どちらも、来たるべき未来を暗黒の日々だと想定している点においてだ。「明日のことなんか考えずに」も、「明るい明日にために」も、結局のところ明日への不安感と恐怖感がもたらした危機感からの回避願望の現れなのではないかとボクは思う。そして、同じ危機回避願望でありながら、刹那主義の方が一段低い、まるで若者に猛威をふるう疫病のように人々からとらえられているのは、単に生産性がないことが原因なのだろう。
   本当のところはどっちが正しいかなんて誰にも断言できやしないのだ。
   と、二十七歳という中途半端な年のボクは思っている。
「キャー!⚪︎⚪︎さん酔っぱらっちゃって大丈夫?えっ⁉︎あの人?常連さんなの。さっきアタシが飲ませすぎちゃったのよ……。⚪︎⚪︎さ~ん、平気?お仕事戻れるう?」
   隣でサラリーマン風の男が酔いつぶれていた。
「明るい未来のために」生きることを選択した、あるいは、選択せざるを得なかった「大人」たちーー彼らは、たとえ一見社会に上手く順応できた成功者ではあっても、実は、「明日のことは考えない」刹那主義者に対し蔑みの感情以上に、憧れの想いを抱いているのかもしれない。それは、「もしかしたらこういう生き方もありだったのかもしれない」という仮定の人生に対する羨望だ。彼らにとってたぶんここは、刹那主義者としての人生をちょっとだけ仮体験することのできる簡易刹那主義者体験所みたいなものなのだーーパウロほどではないにしても、束の間の刹那主義者ぐらいには、誰でも人間革命できるのだ。
   ずいぶん切ない人間革命ではあるけれど…。