このブログもめでたく第11回を迎えることができた。
今回は、水上勉氏による『働くことと生きること』(集英社文庫)をご紹介していきたい。
この著者の小説を、私は一作も拝読したことがないのだが、この文庫の題名を見て
購入し、読み始めたら止まらなくなってしまった。
氏は、9歳のときに奉公に出され、世にある数多くの職業を経験された苦労人であった。
2004年に既に永眠されていることが、個人的には悲しい。
著者の父の仕事ぶりが、読み手に感動を持って迫ってくる場面がある。貧しい生活の
中、決して父君ご本人にとっては面白くも何とも思われない仕事を、一生懸命に行なっ
ていた様子がひしひしと伝わってくる場面である。
木製の棺桶を造る仕事をされていたお父様は、その棺の「外面」には無頓着である
にも関わらず、亡骸が収まる棺の「内面」は、ツルツルになるまでその表面を磨き上
げたという。
また、遺体に釘が当たっては痛いだろうということで、棺の中に出てきた釘の先端を、
必ず金槌でたたいて棺の板に沿って90度に曲げることで、お亡くなりになった方に
決して痛い思いをさせないよう、また亡骸を傷つけないよう、細やかな心配りをされて
いたことにも、私は胸を打たれた。
ところで、水上氏ご自身が、実際にその業務に励んだり、見聞したりした職業のうち、
日本海側に近い豪雪地帯で働く「保線工」と呼ばれる職業人について触れている。
発電所から始まって、鉄塔から鉄塔へと延々と流れる電流にとって、なくてはならない
「送電線」が、もし仮に故障でもしたならば、まさに命懸けで補修しなければならない
ことに言及している。
本書は、1982年に刊行された書籍の文庫版である。少なくとも当時、この仕事を命
懸けで行なってくださる方々がいなければ、都会に住む一般の人々は夜間の活動が
一切出来なかったはずなのである。仕事を通して人様のお役に立つということが、
根源的にどういうことであるのかに思い至らせてくれる。
さて、次に掲げる文章が、私の中ではとても印象に残っているので引用してみたい。
ただ、1982年当時における価値観のもとでの文章なので、不況期ともいえる今現在の
若者に絶対的に当てはまるとは言い切れないが、お読みくださればと思う。相当に長く
なるが、ご容赦いただきたい。{※ なお、文庫本巻末には「本作品には、現代では使
われていない差別的な呼称が出てまいります。それらの呼称の使い方は、著者が生き
てきた時代を映し出す言葉であり、見聞きしてきた差別と向き合うために必要な言葉で
あると考え、原文通りといたしました。(集英社文庫編集部)」とあるのを、お読みになる
前にご承知いただきたい。}
若狭地方から東京、京都、大阪の四年制大学に入って、経済や商学を専攻した
卒業生たちの未就職風景をそこらじゅうに見るのだ。私の親類にも、ことし卒業した
私大出のルンペンがふたりいる。親たちは、農業をやっていて、頭打ちの収入の
中で、アルバイト労働に行って金を稼いで、四年間、都会に出た息子の下宿代と
月謝にかけたのだが……やっとこすっとこ卒業させた結果が、失業である。いま
その子らは、故郷へ帰って、農業の手つだいにも身が入らず、都会の就職戦線
からもおちこぼれて、どっちつかずのルンペンとなって、眼つきもわるい、利だけに
敏感な、いやしい人間になって、小理屈ばかりいって、第二のスネかじりの人生を
歩いている。読書をする根気もなく、アルバイトに出ても長つづきせず、結局は手も
汚さずに祖先の田畑にたよって生きようとしている。
(中略)
ホワイトカラー族に入りたくて、つまり、むかしの丁稚奉公をやるくらいなら、と、労働
を見くびっているのだが、こんなことをいう青年もいた。 「いくら外交員やらされても、
大会社ならええけんど、中小企業ばっかりやで、将来性がないでなあ」
馬鹿をいうなといいたかった。そのような考えだから、大会社からも求められなかっ
たのである。私は知っている。出版界では、東大出身でも、一ヶ年は、本屋へ出向
して、販売員をやらされる。編集部を希望しても、いつ、なれるかわかったものでは
ない。五年間、販売にいて、小売店小僧をやって、ようやく、書店に無料配布の小冊子
編集にまわされた東大出身の青年を知っている。(中略)小売店で何が客から求められ、
どういう本が、草にかくれてゆくかを知らずに、編集など出来るものではあるまい。
(中略)
先ず足もとを見ることだ。手を汚すことだ。汚せば天職は地にあふれている。心得一つ
である。
”きちんと仕事に取り組む、一生懸命に働くって、そもそもどういうことなんだろう?”、
”生きることって、つまるところ一体何なのであろう?”という(ある意味で哲学的な)問い
をお持ちにの方には、本書が何かしらのヒントになるのではないかと私は思う。