こんにちは。
日々、ノートを通して自分の声を細かく聞いていくと、
当然ながら、自身の気持ちや行動への理解度が深まります。
解像度が上がるわけですね。
その大きな効用は、
「間(ま)」ができることです。
例えば、子どものときに
「親から『宿題しなさい』と言われると、とたんにヤル気がなくなる」
そんな状況ってありませんでしたか?笑
大人になってからも、こうした気持ちや行動の「パターン」ってあると思うのです。
・⚪︎⚪︎⚪︎な状況になると、(ほんとうは、したくないけれど)▫︎▫︎▫︎な行動パターンを取ってしまう。
・⚪︎⚪︎⚪︎のことを言われると、(イヤなんだけど)▫︎▫︎▫︎な気持ちになりがち。
で、「宿題しなさい」から「ヤル気がなくなる」までって、
0.何秒の反応ですよね。
即座に、選びようもなく、ヤル気がなくなる。気分が萎えてしまう。
この「0コンマ何秒」「即座に」の瞬間がグンと伸びて、
「間(ま)」ができるとしたら。
選びようがなかったところに
「選びよう」が出てきます。
「あ、いつもだったら、このあと自動的に、気持ちが萎えるわ」と気づく隙間ができる。
そうすると「今回もいつもと同じパターンを選ぶ? それとも違う捉え方をしてみる?」と
自分に問い合わせるスペースができるんです。
これってすごいことだと思いませんか?
わたしが最近、経験した例で言うと、
とある場で友人から紹介された人に苦手意識を感じました。
その人の印象に「なんとなく、ちょっと苦手〜」と感じたし、
その人の仲間(=ちょっと苦手なタイプ)が大勢いるなかで
ざっと紹介されて、気後れしてしまいました。
その時にわたしのなかで生まれたのは
「あ、わたし、こういう人には嫌われそう、少なくとも仲良くなれなそう」
という思い。
これが、脳が過去データから生成している自動的なパターンでした。
でもね、このときに、
以前だったら「瞬時に起こっていた流れ」が
少しスローになって、
パターンに辿り着くまでに「間」が生まれたのです。
そうしたらね、
「あ、わたしの方が先に『アナタみたいな方、苦手です〜』って気持ちを相手に放ってるわ」って
ほんとうの流れが見えたんです。
*あくまで、わたしサイドで起こっているほんとうの流れ、です。
まるで映画「マトリックス」で、主人公が覚醒して
弾丸の動きがスローで見えるみたいに。
小さなことかもしれない。
でも「こういうタイプの人に自分は嫌われる」という思いって、
やっぱり少し、生きにくさを増やしている。
ヘルシーさが少し削られる思いがします。
ところが、
わたしから先に「アナタみたいな方は苦手です」って気持ちを投げかけていると気付いたら、
それを止めてみてもいいわけです。
止められる猶予=間があるのですから。
そうすると、好みの行動を選ぶことができる。
例えば「ただただ、知らない人、新しい人として接する」という選択肢とかね。
わたしだったらこのニュートラルな出会いが心地良いと感じる。
それに一歩近づけるわけです。
その時はその選択を採れなくても、
また同じようなシチュエーションが来たら、
「次はできそう」でも十分OK。
なんだかワクワクしませんか? うふふ。
自動的なパターンの解像度が上がる。
流れがスローになって「間」ができる。
そこから、主体的な選択ができる。
日々の些細な気持ちや行動の積み重ねで
わたしたちの日々はつくられている。
だからこそ、些細なこと、地味なこと、地道なこと。
決して華やかではないそれらを
もっともっと慈しんで、丁寧に選びたいもの。
ノートを使って自分の声を聞くのは、そのためのひとつの手段です。
今日はここまでにしますね。
読んでくださってありがとうございます♡