910冊目『それをお金で買いますか』(マイケル・サンデル 訳鬼澤忍 早川書房) | 図書礼賛!

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マイケル・サンデル『それをお金で買いますか』は、しばしばこのブログでも取り上げてきたし、てっきりどこかで記事にしているのだろうと思っていたが、まだ本格的に取り上げていなかったようだ。この本はたしか私が図書館スタッフとして働いていた27歳の頃に読んだ本で、当時まだこのブログはやっていなかったから、どうやら書きそびれていたらしい。マイケル・サンデルといえば、『これからの正義の話をしよう』が有名で、私もかつて英語を勉強していたときに原著で読んだことがある(233冊 JUSTICE (Michael Sandel PENGUIN BOOKS))。サンデル教授は、自身の授業風景を録画放送したNHK『ハーバード大学白熱教室』という番組が人気を博したことから、サンデル教授の知名度も一気に上がった。その際、授業の中でサンデル教授が取り上げたトロッコ問題は、倫理的な思考実験として脚光を浴び、今でもしばしば話題に出る程である。

 

マイケル・サンデルの本が面白いのは、日常に潜む倫理的な問題について豊富なエピソードを紹介していることだ。この本では、タイトルにもあるように、現在お金で売買されている多くの事例を取り上げている。独房の格上げ、米国への移住権利、主治医の電話番号、二酸化炭素の排出権、名門大学への入学等。これらは実際にお金で売買されているし、あるいは今にもお金で売買されようとしている商品である。資本主義の権化である米国では、まるでお金で買えないものはないと言わんばかりの風潮が広まっているようだ。しかし、何でも金銭に換算してしまうことは、果たしていいことなのだろうか。経済学者は、市場に良いも悪いもない、あるいは価値が宙づりにされることにこそ市場の大きな特色がある、という。しかし、本当にそうだろうか。

 

本書が大きく主張するのは、市場は決して価値中立的ではない、ということである。むしろ、ある種の規範を作り出したり、もしくは規範を破壊したりもする。たとえば、サンデルが取り上げるイスラエルの保育園の例は象徴的だ。子供の迎えに遅れる保護者が多数いることを問題視した保育園は、事態を改善しようと遅刻する保護者から延滞保育料を徴収することに決めた。しかし、その結果は、遅刻する保護者が減ったのはではなく、むしろ遅刻する保護者が増えたのであった。なぜ、そうなるのか。それは保育園側が延滞保育料を設定したことにとって、保護者側が「お金を払えば遅刻してもいい」と割り切るようになったからである。それまで遅刻に後ろめたさを感じていた保護者は、今度は延滞料金を片手に堂々と遅刻するようになった。金銭的解決の安易な導入は、人々の道徳心や責任感を蝕む恐れがある。さらには、このイスラエルの保育園はその後、延滞保育料を廃止したのだが、遅刻する保護者は減らなかった。どうやら、一旦、腐敗した道徳心は、回復することは非常に難しいようだ。

 

サンデルの大きな主張は、二つだ。市場の拡大は、①人々の間の不平等を促進すること、②人々の道徳心を腐敗させること、である。たしかに野球スタジアムで豪華に設えられたVIPルームは、一般観客席と明確に隔たれ、ゲーティッドのスポーツ版を思わせる(252頁)。市場主義による道徳の腐敗化については、前段落で見た通りだ。おそらく、資本主義が差異の運動に基づく以上(1)、今後も市場は拡大し続けるだろう。たしかに経済学者が言うように、市場は価値中立的である。しかし、あらゆる価値から宙づりでいられるからこそ、道徳や規範の領域にも容易に浸透してくる。米国では、市民が消防サービスの年間使用料75ドルの支払いをうっかり忘れたばかりに、燃えさかる家を消防隊が傍観していたという信じられない話がある(2)。人の生命に関わる事案ですら、有料サービスという市場の論理に飲み込まれているのだ。私が今思うのは、差異の運動システムである資本主義の次なる新たなフロンティアは、身体ではないかということだ。電車の広告を見れば、美容整形の広告だらけである(後は、英会話と副業で儲ける本)。一昔前までは、こうした美容整形の対象は女性だけだったが、昨今では、男性もまた自身の身体管理を迫られている(ハゲ治療、脱毛)。むろん、こうした広告を一切禁止しろとは思わないが、キャプションでも設けて「資本主義の次のフロンティアは身体です」くらいの説明書きはあってしかるべきだろうと思っている。

 

(1)2010年センター試験国語第1問・岩井克人「資本主義と『人間』」を読め。

(2)えっ!? 消防隊が火を消してくれない! アメリカの信じられない消防制度 - ライブドアニュース (livedoor.com)