752冊目『寺内貫太郎一家』(向田邦子 新潮文庫) | 図書礼賛!

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『寺内貫太郎一家』は、東京の下町で暮らす、人情深い庶民たちの生活を描いている。主人公は、タイトルにもなっている寺内貫太郎である。寺内石材店を営む貫太郎は、職人気質で豪快な男である。しかし、コミュニケーション力は最低レベルで、自分の思い通りにならないと、ちゃぶ台返しは当たり前。妻でも子供でもおかまいなしに投げ飛ばしたり、げんこつを加えたりする。娘ミヨコの結婚相手に対しては、会いもせずにダメだと決めつけたり、まさに自己中心的でわがままこの上ない。今の言葉でいえば、貫太郎は間違いなく「老害」と言われてしまうだろう。しかし、貫太郎が生きた1974年代(1)の日本において、貫太郎の振舞いが老害と認識されなかったのはなぜなのか。実は、小説『寺内貫太郎一家』は、老害を考える上で格好のテキストなのだ。

 

「老害」とは現象である。昭和と平成で、老人の振舞いが大きく変わってきたわけではない。むしろ、社会の側が、老人を視る眼差しを変えたのだ。「老害」とは、社会の力学から発生してくる現象として理解すべきである。昭和と平成と決定的な違いは、大きな物語の有無であろう。敗戦の焼け野原からスタートした戦後日本は、神武景気、岩戸景気、いざなき景気と高度成長の波に乗り、東京タワーを完成させ(1958年)、東京オリンピックを開催し(1964年)、GNPが西ドイツを抜いて、世界第二位に躍り出た(1968年)。高度成長という大きな物語が、実感をともなって国民の心に根を下ろしていた時代だ。しかし、バブル崩壊を出だしとした平成は、そのまま「失われた三〇年」と呼ばれる低成長の時代である。国民を結束する大きな物語が効力を失ったのだ。

 

日本映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)も、下町の人情を描いた作品だが、自動車修理工も作家も医者も酒飲みも老人も子供も、皆が一様に東京タワーを見つめるクライマックスシーンは実に象徴的である。東京タワーこそ、豊かさに邁進する日本の成長物語の象徴であろう。大きな物語は、多様な属性をもつ人々を包摂し、結束させる。昭和期の入社式で、個性溢れる衣服を着飾っている新入社員の姿を見ることがあるが、これもまた高度成長という大きな物語が共有できる時代においては、個性の発露などほとんど問題にされなかったことを物語っている。確固とした共通の価値観があるからこそ、多様性も包摂されるのだ。逆に、低成長を生きる現代の私たちは、多様性を束ねる大きな物語が効力を失い、それぞれの噴出した価値観の衝突を回避するために異様に他者の目線を気にする時代を生きるようになった。

 

わたしたちは、もはや他者の目線から自由になることはできない。頼るべき価値観を喪失したからこそ、その空白を埋めるために他者の視線を取り込まざるを得ない。華やかな衣服が目立った新入社員の入社式は、今では全員一式のリクルートスーツ姿になった。こうした社会で生きていくためには、価値観の衝突を避けながら、他者との関係を築いていく柔軟なコミュニケーション力を身に付けなければならない。近年の漫才に顕著に見られるツッコまない漫才は、こうした他者と利害調整をしながら生きていかなければならない現代社会の世相を表している(594冊目『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』)。「老害」とは、意思疎通を図るために、今ほどコミュニケーション力を必要としなかった昭和時代の老人が、価値が多元化する社会に対応できずに発生する事故みたいなものである。もちろん、自己中心的で手を出すことをためらわない老人を尊敬する必要はない。それでも、彼らのコミュ力時代を生きる息苦しさは、しっかり理解しておくべきだと考える。

 

(1)貫太郎の母きんが明治三十七年(1904年)生まれで、七〇歳だとあるから、小説世界の時代設定は、1974年になる。