621冊目『ボクの韓国現代史 1959-2014』(ユ・シミン 訳萩原恵美 三一書房) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

韓国の現代史は激動の時代だ。帝国日本が敗戦したあと、植民地から解放された朝鮮半島だったが、それはすぐさま独立を意味しなかった。帝国日本が出て行った朝鮮半島は米国・ソ連によって分割管理されたからである。そんな中、南朝鮮での大統領単独選挙が実施され、初代大統領・李承晩が誕生した。しかし、これは朝鮮半島の分断の固定化を意味するものでもあった。李承晩政権の特徴は反共だ。反共とはアンチ共産主義のことである。共産国家北朝鮮を敵視することは、国内の引き締めになるのと同時に、裏切り者の内通者の存在にも神経を尖らせなければならないこともである。スパイ容疑にかけられたからもう終わりで、韓国人はパルゲンイ(共産野郎)と言われないように怯えて過ごさなければいけなかった。この反共主義は、その後の朴正煕、全斗煥政権によっても堅持されてきた。

 

著者のユ・シミンは1959年生まれだから、386世代に属する。386世代とは、1990年代に30代で80年代に学生民主運動に参加した60年代生まれの人たちを指す総称だ。李承晩政権の時代から始まった軍部独裁体制に怯えて暮らすことに韓国国民は疲れ切っていた。独裁体制のもとで韓国国民は、投獄や拷問の恐れがありながらも自由な生活を求めて民主化を求めて闘ってきた。民主化運動を扱った韓国映画はたくさんあるが、中でも必見なのが『1987 ある闘いの真実』(2018)であろう。ハ・ジョンウ、キム・ユンソク、ソル・ギョング、キム・テリなどの壮々たるメンバーを集めたこの映画は、韓国警察がソウル大学の民主運動家の学生を取り調べの過程で拷問死させたことで、民衆の体制への不満が一気に頂点に達し、民主化を勝ち取るまでの民衆の粘り強い闘いを実によく描いている。韓国人のアイデンティティが分かる映画だ。

 

1987年の民主化の成果は明らかにあった。全斗煥の後を継いだ盧泰愚は軍人出身だったが、かつてのような強権発動はもう出来なかった。大統領就任時に「私は普通の人です」と言ったのは印象的だ。その後、金泳三、金大中といった文民政権が誕生したことで、民主国家としての韓国もいよいよ成熟を迎えていく。軍部独裁などもう昔の話だ。しかし話はそう簡単ではない。1997年のIMF危機は韓国に新たな国難を呼び込んだ。その年の失業者は130万人を超え、財閥グループは解体し、非正規雇用は増加した。整理解雇は金大中政権の時に一層進められた。金大中の流れを組む盧武鉉もまた法人減税法案に拒否権を行使せず、体制側の論理に飲み込まれていった。韓国の現代史を振り返ってみると、こうした革新政権のときに労働者の立場が不安定化していることが特徴だ。かつての民衆の味方は権力を持つと庶民の痛いが分からない人間になってしまうのだろうか。

 

韓国映画を大きく駆動する二つの軸は、朝鮮戦争と民主化運動である。前者は『ブルザーフッド』、『シルミド』、『JSA』であるし、後者は『タクシー運転手』、『1987 ある闘いの真実』、『偽りの隣人』だ。ここでふと思うことは、1987年以降、韓国人は今度は一体、何と闘ったのだろうということである。もちろん、民主化を達成した1987年以降、何も闘うものはなくなったといえるかもしれない。たしかに民主化以降の政権は、かつてのように国民を強圧的に支配することはできなくなった。それは間違いなく民主化の成果だ。しかし、文民政権以降も民衆は必ずしも救済されたわけではない。そこにもまた別の不条理がある。この不条理は韓国映画の主題として扱われることはない。せいぜいIMF危機を扱った『国家が破産する日』(2019)くらいであろう。私見ではこの不条理は韓国警察の表象に深く関わっている。詳しくはこちらを読んでもらいたいが、韓国映画でやや誇張気味に演出される韓国警察の無能さは、実は民主化以降の国民のどこにも行き場所がない不条理のはけ口なのである。