106冊目『「記紀」はいかにして成立したか』(倉西裕子 講談社選書メチエ) | 図書礼賛!

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『古事記』と『日本書記』は、我が国の神話だが、天皇の万世一系を正当化するものとして国家事業として編纂されたことは間違いない。それにしても『古事記』は712年、『日本書記』は720年の成立であり、比較的に時間差もないのに、なぜに二つもの歴史的神話の書物が著されたのか、全くもって謎である。専門家の間では、いろいろと説があるらしいが、決定打というものはどうもないらしい。

本書は、「記紀」(『古事記』と『日本書記』の別称)の成立を明らかにして、そうした問題に解決を試みたものである。著者によれば、どうも『古事記』と『日本書記』では、「天皇」の定義が違うらしい。『古事記』に出てくる天皇は、「治天下の権」をもった天皇で、政治的実力差を示すが、『日本書記』の天皇の即位は、ほぼ「あまつひつぎしろしめす」となり、継承の部分に重きがおかれており、著者曰く、これは「皇祖の祖霊の継承を意味する」(107頁)のだそうである。つまり、『日本書記』の天皇像は、祭司的な性格に根拠を置いている。

これに付随して、面白かったのは、こうした「権力」(政治、軍事)と「権威」(祭祀)の棲み分けは、実は天皇と皇太子という地位にもあてはまるらしく、これは興味深く読んだ。つまり、天皇は、祭祀的な性格を持つものであって、よく戦後日本の天皇を象徴天皇というが、古代においてもそれは似たようなものだった。一方で、皇太子は、「治天下の権」を有する。実はこの視点は、古代史にいくつかの疑問点を解決する。たとえば、大化の改新で有名な中大兄皇子だが、彼は、蘇我入鹿を殺した後、皇極天皇から譲位の話があるも、辞退した。これは、天皇になれば、立太子のときに持っていた「治天下の権」を手放すことになるからだ。著者は、中大兄皇子に続いて、草壁皇子にも同じような指摘をする。

大変興味深い指摘だったが、文献資料が少ない古代史において、これを「証明」するのは至難の技だろう。ただ、『記紀』の読み方には大きな示唆を受けた。