優れた音楽家であり人間として楽団員に接するハートがある人。

 

 

 言うはやすし言い続けるのが大変。難しいことは何もない。 楽しいから続けるだけ

それが人をつくる。

 毎日食べるものと、話す言葉があなたの体と心を創っている。それがアンタだ、と斎藤ひとり サン。

 

 はや六月、2月の写真を見直す。ああ、

 

 2月は寒かった、宵の明星でていたな。 ギターも買った時計も買った。有難うごさいます。

便利だ。小さいギターも厭きたいえいえ、すごい学ぶことあって使ってよかった。、、、です。

 

 それにしても、スマホの外付けマイク無能であったとは、、、接触してショートしていたのかも、

それにしても、誰も教えてくれないのだ、、、賢くなければ。。。 楽しく生きられないと、、、感じる。

 そして、情報やアドバイスはあふれている。。。あふれている。 、、、こそ、そこで賢くなければ

楽しく生きられない。 

 

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 時代の主役  著者 小説作家になろう (アレな名前ですが使用許可いただきました)

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 サリバン先生の婚約者はヘレンケラーの伝記を編集していた。一ヶ月ほど前に彼は編集社の42

内輪の会合でヘレンに新しい介助者をつけることを提案していた。それも男性でいいのでは?

 、と意見をつけて控えめな提案をしてさらにはヘレンに政治家になるみちを開けるとうちあけて

みな参加者から驚きや賛同、そして反対の意見が出たがパーティのような会合は和やかに終わった。

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 サリバン先生、サリバンの婚約者は、柔らかな手をつかんで引き寄せた。

 棒立ちになって回りを探すように手を振る。

 ヘレンを見ながらサリバンは手を引かれ近づいた。

  まってね、ちょっとまってねまってってね。

 その声はきこえない。  、、、ヘレンが椅子に落ち着くとサリバン先生は言った。

「その話しは前に聞きました」

「僕は何度でも言います。ヘレンケラーには素晴らしい可能性がある。あの純粋な要求、

 行動力、そして判断する力、何もできないどころじゃない。全世界の良心になる。なれるんだ」

「それは素晴らしいことです。確かにそういうこともあるかとは思う」

「それじゃ、新しい介助者をつけてなれるように努力してくれ」

「わかっています。でも離れるのは無理です」

「そんなことはない。人は自立して一人一人生きるものだ誰もほかの人の人生を生きることはできない」

「だからとして、協力して共に楽しい人生を生きることはできます。三人で暮らしましょう」

「それはそのとおり、ぼくはヘレンに自立することがもっといい人生になるといってるんだ」

「それじゃ同じことを言っています。楽しくやりましょうよ」

 

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  ウィキペディアから、サリバン先生の婚約者のことを、、、

1905年5月2日 - 11歳年下のジョン・アルバート・メイシー

(ハーバード大学講師で、ヘレンの自叙伝のエディター)とサリバン先生は結婚

(1914年頃には別居状態となるものの、32年のメイシーの死まで正式な離婚はしなかった)。

サリバン先生は、1936年10月20日 - ニューヨークのフォレストヒルズで死去。70歳。

 みなそれぞれ時代の主役だった。

 

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 どうだろう? おもしろいかなぁ?

キメセリフは、「楽しくやりましょうよ」  って、もっとかけそうだが、、、

 

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読んでくださって感謝しています。 たのしいうれしい。幸せ有難う 許します。豊かだなぁついてる。愛してる