にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

本日の一冊はこちら指差し

 

うちは精肉店

 

 

 

本書は、大阪にある「北出精肉店」で行われる、

牛の屠畜から食材としての肉にするまでの作業を、

リアルな写真とともに知ることのできる本です。

 

作業の流れは以下のとおり。

まず、自分たちで育てた牛を、近くの屠場まで歩いて連れていきます。

牛を気絶させるために、特殊なハンマーで牛の眉間を思い切り叩いた後、

頸動脈を切って体内の全ての血液を放血します。

頭を切り離し皮を剝いだ後、天井から吊るしてお腹を割り

150キロ以上もの内臓を取り出します。

その後電動のこぎりで体を縦半分に割り、手作業で肉やモツなどに切り分けていきます。

 

北出さんはこう言います。

「牛にしてみれば、自分の肉に等級をつけてほしいと思って生きてたわけじゃないからね。」

「人は、いのちをいただくことで生かされている。」

「生きるということは、いのちをつなぐということ。」

「牛に感謝し、誇りをもってこの仕事をしてきたんだ。」

 

そして最後に、いのちを頂いたことへの感謝と敬意をこめて、

北出さんはその「皮」を、太鼓の「革」に生まれ変わらせるのだそうです。

 

 

テレビをつければやれ新作グルメだの、大食いだの、

うんざりするほど毎日朝から晩まで、食べ物の話題が垂れ流されています。

必要以上に大きな塊肉を、これまた下品に調理して、満腹を押してまで食べる。

戦時中や戦後、あれほど飢えに苦しみ、食べ物をありがたさを知っていたはずなのに、

いつから日本人はこんなことになってしまったのでしょう不安不安

 

また一方で、我が家の子供たちの通う小学校では、

毎日給食の残食チェックが行われています。

とにかく残食していない記録を作りたいのでしょう、

食べたくないおかずは事前に減らす、無理やり完食させる、などの指導がされていますちょっと不満

 

これらは一見対照的とも思えますが、いずれも、

食事とはいのちをいただくことという思想が根底にない

ことに帰結するように思います。

 

その塊肉は元は何であったのか。

フードロスを失くすのは、何のためなのか。

 

あらゆる食べ物が工場で生産される現代社会では、

生き物の死というものが、全く見えなくない場所に追いやられてしまいました。

でも、動物を殺すことは「可哀想」なのではありません。

必要なものを必要な分だけ、感謝の気持ちをもって頂くことで、それは許されることなのです。

 

その他にも本当にいろいろなことを考えさせられる本でした悲しい