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白川静文字学に学ぶ 漢字なりたちブック 1年生~6年生
今回はだいぶ趣向を変えまして、漢字の成り立ちのお勉強です。
本書では小学校で習う漢字全1006字を、学年ごとに1冊ずつに分け、
一文字ずつ、そのもともとの意味と成り立ちが解説されております。
とはいっても何を隠そう本書、ただの恩着せがましい参考書などではございません!!
漢字学者であるこの白川静という方は、
漢字の字源に関する不滅の聖典である、許慎の『説文解字』に示されるそれまでの通説を覆し、
漢字を古代人の生活や意識にまで踏み込んで解釈し、独自の文字学を体系化した人物であります。
その核心となるのが「サイ」という概念の発見です。
これは今使われている漢字の中の「口」の表記の元になっているもので、
私たちがこれまで口を開けている形を表わしている「口(くち)」だと思っていたものは、
実はそうではなく
「見えない神に祈るための道具、祈りの文を書いたものを入れるための蓋つきの箱型の器」
であると世界で初めて確証されたのです。
いやいやいや、なんじゃそりゃww
そんなん聞いたことないし、こじつけでしょ
と思われるかもしれません。
確かにそんな箱が発掘された事実は全くありません。
が、そのように解釈し、「口」が含まれている漢字を集めていくと、
これまで、「なんでここに口が?」と思われていた漢字も、
全ての辻褄が合ってくるというのです
「口(サイ)」は、時には物質の箱として神に供えられ、
時に神の世界とつながる媒体や通路として
多くの漢字に使われました。
たとえば「右」。
人は「右」手を使って食べ物を「口」に運ぶから。
なんていう子供騙しではなく、
人は「左」手には呪具(工)、「右」手には「口(サイ)」を携えて、神の加護を求めたというわけです
「可」という字は、神への祈りが聴き届けられない時、
神前に供えた「口サイ」を木の枝で叩いて訴えた行為を示しており、
その結果神が「可能」であると判断すれば「許可」が与えられることになります。
それでもなお「許可」がくらだない時は、さらにもう一つの「口(サイ)」を重ねて、大きな声で威嚇する。
するとそれが「歌」となります。歌(うた)は神への訴え(うったえ)を意味したということです
君、史、事、告、兄、名、言、欲、音、吉、古、舎、害、習・・・・・・・・
このような「口(サイ)」であると解釈できる字が数えきれないほどあるということです。
漢字はおよそ3300年前に生まれました。
科学も何もなかった時代、人間の力など到底及ばない大自然の営みに、
神の存在を想像することは、ごく自然であったことでしょう。
そして、どうすることもできない自然に相対峙した時、
神の力を借りるべく、祈り、願い、訴える必要があったのです
かつての中国にも、このような信仰があったのですね。
白川博士は「口(サイ)」だけでなく、全ての漢字に、当時の人々の精神性を重ね合わせ
新たな解釈をています。
一見奇想天外なように思えて、しかし言われてみればむしろ腑に落ち、
確かにそのように思わされます
漢字は一文字ずつに意味がある唯一といってよい言語です。
ただただ書き取りして、正しい形を覚えるだけでなく、
古代中国人が一つ一つの文字に込めた思いと、
それを受け入れてきた日本人の思いとを知る必要があるのではないでしょうか。