今日はこちら指差し指差し

 

エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語

 

 

 

トルコという国をご存じですか?

どこにあるかというと、

 

トルコ 位置 地図 に対する画像結果

この辺、アジアの西端ですね。

 

トルコといえば親日なのは有名。

でもなぜこんな遠く離れた国が、親日国家なのかを知っている日本人は多くありません。

かくいう私も、全く知りませんでした不安不安

 

遡ること150余年。

本書は、当時オスマン帝国の首都イスタンブールで造られた帆船である「エルトゥールル号」の目線で、

出航、航海、そして遭難、沈没までの一部始終が語られるというお話です。

 

エルトゥールル号は、1863年に当時の新しい技術を備えて造られた木造の美しい軍艦でしたが、

不十分な整備のまま、明治天皇への答礼とアジア各国にオスマン帝国の威力を誇示するために、

およそ600名の乗組員を乗せて日本、当時の大日本帝国への長い航海の旅へと駆り出されました。

 

長年放置されていたため、船体が非常に傷んでいたにも関わらず、

十分な整備がなされなかったため、

旅路の途中で幾度となく壊れ、修理を余儀なくされます。

1889年7月14日にイスタンブールを出航してから、日本に到着するまでに要した期間はなんと11か月

翌年の6月7日のことでした。

その後コレラの発生で多数の犠牲者が出た上、

帰国の途につくのがちょうど台風の季節と重なるという不運に次ぐ不運!不安不安

不安は的中し大嵐に遭遇、紀伊半島の先端に位置する紀伊大島沖でついに沈没してしまうのですガーンガーン

 

命からがら上陸することができた幸運な船員はわずか63名。

現地の日本人たちが、すばやい手当てをしたことは言うまでもなく、

海での生存者を捜索してさらに6名を救出しかも自ら裸になり人肌で温めたとか!)、

療養場所を手配して手厚い看護を施したうえ、

当時村民でさえ飢えに苦しんでいた中、蓄えていた芋や飼っていたニワトリなど

非常用の食料まで差し出したというのです!

しかもわざわざ洋食風に調理して出すという心遣い!!

衣服が足りなければ子供の着物まで差し出す始末!!!

この呆れるほどの親切心に、乗組員たちは涙を流して喜んだということです悲しい悲しい悲しい

 

さらにその後、海で亡くなった乗組員たちの捜索を続け、

230体もの腐敗した亡骸を運び、埋葬しました。

浜辺に打ち上げられた遺品もすべて集めてオスマン帝国へ返還するという丁重さ!キラキラ

敬意をもって、船の木片でさえきれいに積み上げて保管するという礼儀正しさ!!キラキラキラキラ

 

このことに感謝したトルコはイランイラク戦争時、

イランに取り残された日本人のために、即座に救援機を派遣し、

215名の日本人を救出してくれたということです。

そしてこのことに感謝した日本は、1999年のトルコ大地震時、

いち早く義援金をトルコに送りました。

 

喜びと感謝は連鎖する!!!

 

最後にエルトーゥルル号の魂はこう言います。

人間が人間として人間に向き合った無償の行為がすべてを動かしたのだと。

 

つくづく、こういう話ってなぜ広く語られないのでしょう。

自虐史観ばかりが語られるのはなぜなのでしょう。

パラオ然り、台湾然り、その他世界中に親日国は数多くありますが、

どうして彼らが日本人を好意的に思ってくれるのか、

われわれ日本人自身が知らなすぎるように思います。

こういうことこそ、学校で子供たちにじっくり教えるべきと思うのです。

このような魂を持った日本人の子孫であることを誇りに思うべきなのですびっくりマーク

 

ただ、作中にも少しありましたが、殊に国対国のような構図になると、

親切心の形って、島の人々のような純粋で素朴で献身的なそれとは、

少し変わってくるんですよね。

行為自体は同じでも、どうもそこには何か別の目的のようなものが紛れ込んでしまうようです。

親切心、多様性、環境保護、LGBTQ。。。

考えさせられます真顔