ピアノが好きなアラフィフ独身、心屋認定カウンセラーのともこです。
今日は自分のことについて紹介がてら書いていこうと思う。
私は大阪生まれの岡山育ちです。
私は長女で、弟がいます。
弟は愛嬌があって優秀。弟の方が可愛がられるし、私は勉強もできなくて、それが負い目だった。
小さい頃は勉強が苦手な分、遊ぶことがとても好きだった🎵外で男の子とも混ざってよく遊んだ。
幼稚園の頃から音感があって、音楽だけは得意だった。友だちが弾いてる曲を聴いてそれを真似して弾いていた。周りの親の勧めで、小2の時にピアノを買ってもらい、習い始める。
人間関係が不器用で、要領も悪く、親は弟をひいきしてるように感じていて、周りにも愛されてないと感じ、死にたいと思っていた。
近所に引っ越ししてきた友だちに誘われ、小学5年生から教会に行くようになる。
神さまという存在が私にとっての救いとなり、中学3年のときに洗礼を受ける。
中学生の頃から勉強は人並みにできるようになった。
大学は音楽を専門にやっていきたいと思っていた。音大に行くお金がないので、教育学部の音楽で受験する。地元の大学が不合格で、県外の大学に電車で通う。
ピアノの練習とバイト、サークル活動(聖書研究会)に力を入れ、真面目な大学生活を送る。
教会では日曜学校を数人で担当。聖書の話だけでなく、いろんな遊びやゲームも取り入れていて、キャンプなどのイベントも行い、充実していた。
就職には悩んでいた。ピアノの先生がいいかなあと思いつつも具体的に決まらず、幼稚園と中学校の採用試験を受けるが受からなかった。
学校の講師の話が来て、支援学校という新しいジャンルに飛び込むことになる。子どもがめちゃくちゃ可愛いかったので、支援学校にずっと勤めたいと思った。
当時、支援学校の採用試験がなかったので中学校枠で3度目に合格。岡山の県北の中学校に3年間勤める。
支援学校に希望を出して県南に戻り、部活から解放されて、アフターファイブにゆとりができる。スポーツジムに通う。父の知り合いに秋田犬のブリーダーがいて、会って一目惚れ♡秋田犬を家の中で飼うことになる。
県北にいる間、部活で忙しくてできていなかった日曜学校の先生を、県南に戻ってからまた担当するようになる。
20代後半から首の痛み頭痛、嘔吐に悩まされる。元は小学6年の自転車自損事故で強く頭を打ったことが原因?(と言うドクターもいた)。病院に通うも痛みが改善せず、民間療法にいろいろ通うようになる。
30代は、仕事がとても充実していて楽しかった。教会がいろいろあったけど、学校は子どもも先生も優しくて救いだった。
このころは学校の制約も厳しくなくて、支援学校は授業内容を生徒の実態に合わせて考えるので、楽しいことを自由にさせてもらっていた。
結婚願望が昔から強かったが、教会の制約が厳しく、職場で付き合ってる人がいても、相手がクリスチャンでないからダメというところで(相手がクリスチャンでないとその教会から除名)、泣く泣く別れることに。
いつも付き合う人は職場の人だったが、結局そのことがネックになって上手くいかなかった。
役に立たないと価値がないと思ってたので、学校でも教会でも役に立ちたくていろんな仕事、奉仕を精力的にやっていたが、牧師夫人ともう一人の女性から嫌がらせを受けていて、それは自分が至らないからだと自分を責め続けていた。それが体調に表れ始める。
30代前半に風邪をこじらせ、ろっ骨2回骨折。胃は穴が開く一歩手前。熱が下がらなくなり、それから約10年の微熱持ち。
仕事もやっと行ってる状態だったので、日曜学校の担当を外してもらい、礼拝だけ集うことにした。嫌がらせのターゲットが別の人に変わり、かなり高齢の方にまで及んだので、本当にこの教会にずっと集うべきか真剣に考えるようになる。
この頃、教会牧師のカウンセリングに出会い、自己犠牲の世界から自己受容の世界に入っていく。
36歳の時、26年通った教会を去る決意をする。
後半に続く