人は基本的に、自分の非を認めることは無い。
これは、D・カーネギーの『人を動かす』の冒頭にに出てくる言葉です。
人の事を批判ばかりして、自分のことは棚の上にあげたままということは無いでしょうか?
人を批判したところで、その人が変わるわけではなく、逆に反感や恨みを買ってしまうのが関の山。
『人を動かす』の中でD・カーネギーはこんなエピソードを紹介しています。
かつて、全米を恐怖に陥れた、凶悪犯罪者、アル・カポネやその他の死刑囚でさえ、死ぬ間際になっても自分の非は一切認めず、それどころか、間違っているのは自分ではなく、世間の方なのだ、と言い放ちました。
この様な、凶悪犯罪でも自分の非を認めないということは、普通に暮らす私たちの場合はどうなのでしょうか?
他人の欠点を探すことは簡単です。
それを指摘することは、指摘する方にとってはおそらく気持ちがいいものでしょう。
多くの人は、長所を見つけるよりも短所を見つける方が得意な気がします。
しかし、
『人を動かす』
為には、やっぱり人の長所を褒める方が、人は快く動いてくれます。
あのリンカーンはこの様な言葉を残しています。
『人を裁くな 人の裁きを受けるのが嫌なら』
リンカーンは”悪意を捨てて愛をとれ”と常日頃、自分に言い聞かせていたそうです。
また、若い時は人づきあいが苦手でしたが、後年、外交的な技術を身に着け、ついには駐仏アメリカ大使に任命されたベンジャミン・フランクリンは、
『人の悪口は決して言わず、長所をほめること』
だと、語りました。
また、悪口や批評は巡り巡って、本人に返って来るものです。
本の中では、人の悪口や批判をするのは天に向かって唾を吐くようなものだと、揶揄しています。
僕もやっぱり、日々の生活の中で意見が食い違ったりすると、思わず感情的になりがちですが、やっぱりいい結果にはなりませんね。
その人にはその人の事情があるわけで、人の意見は変わらないし、正に盗人にも五分の理がある、だと思います。
人は基本的に自分が正しいと思ってるんですよね。
それを正面から批判したり意見すると、どんな人でも良い気分にはならないものです。
たとえその場では意見を引っ込めたとしても。
『人を動かす』の人を動かす原則1ではこの言葉で締めくくられます。
批判も非難もしない。苦情も言わない。
イギリスの偉大な文学者ドクター・ジョンソンは言いました。
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」
神様でもそうだとしたら、自分達には人を裁く権利があるのか甚だ疑問です。
人を非難する代わりに、相手を理解し、相手の身になって考えてみませんか?
最後までお読み頂きありがとうございました。
kohei
■ライティングサポート始めました■

