カッカッカッカッカッ…………!!
カッコッカッコッカッコッ……
現在、午後9時20分。
LME事務所内。
社員も所属芸能人もまばらになった事務所内で、2つの足音が響き渡る。
必死に足を前後させているのだろう、甲高い音を響かせる靴音と。
優雅に歩む靴音。
むろん、急ぐ足音は前を歩み。ゆっくりと響く足音は後を歩む。
追われる者は栗色の髪をした少女で。追う側は黒髪の成人男だ。
二人ともに走ってはいない。歩いている。だが、前を歩む少女は競歩の選手もびっくりなスピードを出して歩いているだろう。
だが、追う側は逃すつもりはないので、ゆっくり優雅に歩いていると見せかけて、コンパスの差を活かして確実に追い詰めている。
さて、今日はどこで追い詰めてやろうかな?
そう思って追いかけていると、前を急ぐ少女は卑怯にも乙女の聖地たる場所へ逃げ込もうとしているではないか。
そこに逃げ込まれては、時間がかかる。
なぜなら俺は絶対に入ることはできないし、もし、別の誰かが使用目的で訪れた場合の視線が痛いために、長くそこにとどまることができない。
だからこそ、彼女が扉に手をかけた瞬間に追いついて……
バァ~~~~ン………
開きかけた扉を、閉じてやった。
「…やぁ、最上さん。昨日ぶり。」
「……………………。」
壁ドンではなく扉ドンをして、乙女の聖地への扉をふさぐ。
そして、プルプルと震えている小動物のような少女の耳元で、あえて低めの…しかし、優しく聞こえる声音で語りかけた。
「バッチリ目が合ったのに、あいさつも無しとはひどいな。」
「…ふあ…………っ」
そういえば、前回の聖地への逃亡を阻止したのもそんなどうでもいい理由だった。あの時も、彼女は死に物狂いで俺から逃げ出そうとしていた。
……まぁ、中指立てた後だったし。逃げるのは当然だっただろうけれど。
「こ、こんばんは!!敦賀さん!!いい夜ですね!!」
「あれあれ?最上さん。俺、君の背後にいるんだけれどな?どうして顔を見せてくれないんだろう?」
「~~~~~~~~~…っ!!!!」
あの当時であれば、すぐさま背後に立つ俺の方を向き、頭を下げていた最上さん。
しかし、今回、彼女は俺に背を向けたままだ。
それも当然。これは決して『あいさつ指導』が目的ではないのだから。
「……何?背後から襲われたいのかな?」
「ひっひぇえ…………!!!???」
「昨日、言ったよね?今度会った時には、2倍するからって。」
そう言った翌日…つまり今日に彼女に会えたのは僥倖。
もう少し先になるかもしれないと思っていた瞬間が、こうもたやすく手に入ることになるとは。
そう思うと待ちきれず、最上さんのうなじに唇を寄せると、チュッと音をたてて吸い付く。
ビクリ、と身体をはねさせる少女を宥めるように、口づけた場所を撫でた。
「大丈夫。後は残さないよ……怒られてしまうからね。」
「つ、敦賀さん……!!」
名前を呼ぶ少女の声に、非難の色がうかがえる。
一月前から始まった、俺と最上さんの攻防。
『呪い』を解いて俺に幸せになってほしい最上さんと。
『魔法』を強化して、最上さんに堕ちてきてほしい俺と。
2月10日以降から始まった、ゴールは同じはずなのに、ひたすら道がそれ続ける想いを重ねるための二人の戦い。
最上さん側は、どうやらその謎の人脈と凝り性の性格を活かした『キョーコちゃん一覧(写真つき)』を作成しているらしい。…しかも、恐ろしいことに、調べ上げた『キョーコちゃん』の住所・職業・年齢・身長・体重・3サイズ(年齢以下は俺には教えない予定らしい)まで完璧に情報を掴んでいるというのだ……。この個人情報がうるさい社会でどうやって調査できているのかが謎だ。というより、彼女に協力をしている人脈がものすごく気になる。隠れた大物が絶対にいる……。
そして、俺の方は。
「さぁ、最上さん。キスをしよう?」
「つ、敦賀さん……!!」
「愛しているよ。」
「ふぇ!!!???」
こうして彼女を見つけては、キスを迫り、愛を囁く毎日だ。
「今日もやっぱり、俺の一番愛しいキョーコちゃんは最上さんだった。……ね?もう、君しかいないんだから、いい加減に俺の方をちゃんと見てよ。」
「あ、あわわわわ、あわわわわわわわわ…………。」
俺の愛のささやき(ちょっと強引バージョン)に、涙目になりながら口をハクハクと動かしている少女は、今日も色よい返事をくれないつもりなのかもしれない。
でも、これでもかなり前に進んでいるのだ。
攻防1週間目は、「からかわないでください!!」とか、「勘違いしないでください!!」とか、とにかく俺の言動に対する否定のオンパレードだった。それら全ての拒絶をかいくぐり、無理やりにでもキスをした。紳士の敦賀連としてはあってはならない行動だったが、恋する男の暴走は止められたものではなかった。
逃げまくる女性や威嚇してくる女性というのも新鮮だったし、キスのひとつで全身を真っ赤にする彼女が楽しかったしね。
それが、その翌週には「やめてください」や「もう許してください」と、否定は同じであっても、彼女の勢いはなくなり、ただひたすら許しを請われるようになってしまった。
…その反応が、どういう変化だったのかは俺にはわからなかったけれど、今更やめることもできず、会うたびに触れるだけのキスをして、「愛しているよ」と囁いた。
そして、その次の週には、俺と目が合うだけでホロホロと涙を流すようになった。
事務所ではないところでは、涙目になる程度だったけれど、事務所で会った時には声もなく泣き続ける姿が痛すぎて、元凶であるにも関わらず、抱きしめたい衝動にかられた。
結果として、俺は「ごめん」と謝りながらも、それでもキスと愛の言葉を彼女に贈ることをやめなかった。
……ここまできたら、どちらが呪っているのかは明白というものだ。
どれだけ拒絶をされようが。どれだけ許しを請われようが。どれだけ傷つけようが。
それでも彼女を開放してあげることができない俺は、どこまでも貪欲にたった一人の『キョーコちゃん』を求めている。
そして、今週に入って彼女は……。
「蓮く~~~ん。ちょっとよろしいですか?」
「……なんです?社さん。」
「うんうん、捕食しているとこ…あ、違うか。……あ~~~~…ラブラブ?なところを邪魔してごめんな?でもさ、さすがにお前、そこで口説くの、どうかと思うなぁ、俺。」
「………………。」
そうですよね、この場所、あまりよくないですよね。
「敦賀連としてというより、人として、その場所での口説きはちょっと…ない、かな?」
「………そうですね。よし、じゃあ最上さん。行こう。」
「ふぇあぅえぇい!?」
もはや最上さんのことしか意識できていなかったけれど、女子トイレ前で女性を口説くというのはいただけない。
別に俺はどこだろうが構わないけれど、白馬の王子様を待つメルヘン乙女な最上さんと今後振り返り愛の軌跡に、『女子トイレ前で迫られて口づけされた』という記録が残るのは、彼女の王子様を目指す者として避けるべきところだろう。
指摘してくれた公私ともに充実させてくれる敏腕マネージャーに感謝しつつ、俺は最上さんを横抱きにする。