バシャン!
無数の水の飛沫が宙を舞う。彼女を見た途端、息つく暇もなく走り出したトキ。
何の躊躇いもなく彼女の元へと走った、ただひたすらに。
足の痛みなど微塵も感じない。
服の裾から滴る水が一筋の線を引き、彼女の許へと続いていく。
そして、それが線から円に変わる。
息を切らしながら、焦るようにトキは言葉を放った。
「リザさん!あなたに、教えて欲しいことがあっ……」
言葉を最後まで紡ぐことができぬまま、トキの視界は歪んだ。
「トキ!!」
ゆっくりとその場に崩れ落ちていくトキの後ろ姿を見てキラが叫ぶ。
バサッ
間一髪のところでリザがトキを抱きとめ、ゆっくりとその場に横たわらせた。
「そこの青い髪の少年、ちょっと手伝って」
クラウドの方を向き、手招きしている。
「お、俺?」
「そう、君よ」
そう言った彼女は、まだ10代後半くらいの容姿をしている。
明らかに彼女の方が若くに見えるのに、
ましてや少年などと呼ばれれば一瞬自分かどうかを疑ってみたくもなる。
しかし、そんなことよりもトキの容態の方が心配だった。
急いで駆け寄り顔を覗き込んで見てみると、少し青褪めている。
彼女に会えたことで緊張の糸が切れ、溜まっていた疲れが溢れ出たようだ。
「とにかく向こうの部屋にベッドがあるからそこまで運んでもらえるかしら」
「あぁ」
クラウドはトキを抱き上げた。そうするのは二度目だった。
そして、前に抱えた時よりも軽くなっていることに気付き、
少しだけ複雑な顔をした。
指示された部屋まで運び、トキをベッドに寝かせると、リザはクラウドだけを連れて部屋を出た。
一人残されたキラは枕元にちょこんと座り、トキを見つめながら少し哀しげな声音で囁く。
「トキ、ごめんね。こんなに疲れてたのに気付いてあげられなくて。
お願いだから、もっと自分を大切にしてちょうだい。じゃないと…」
――――――――――――――――――――
「その棚の右から3番目の鉢の赤い花の花びらを2枚取って、
あと左側の棚の、上から2段目に植えてある葉を1枚、それと―――」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そんなにたくさん言われちゃわかんねぇっての」
テキパキと指示していくリザに付いて行けなくなったクラウドが弱音を吐く。
クラウドが連れてこられたのは、トキが寝ている部屋の2つ隣のまたしても白い扉の部屋だった。
そこには、あまり見たことのない草花がたくさんの植えられている。
この太陽の当たらない場所で、なぜ植物が育っているのかはわからない。
しかし、彼女がトキの言うように魔女だったのだとしたらできないこともないだろう。
それにしても、本当に不可思議な現象ばかりを目の当たりにし、
自分で付いてきたとはいえ半ば厄介に巻き込まれたと思いながら、
それが苦ではないことに、クラウドは一人自嘲した。
「あ、あのさ、アンタ魔女なの?」
とにかく今わからないことの一つ一つを片付けていこうと、彼女の正体について問い掛けた。
「アンタじゃないわ。リザよ」
机の上に年代物であろう分厚い本を数冊開き、薬研(*1)を使い
先ほどクラウドが集めたばかりの数種類の草や葉を潰しながら、素っ気なくそう答えた。
「あぁ、ごめん。えっとリザちゃん?で、君は一体何者?」
「察しの通り魔女よ」
「マジで・・・」
ハハと少し顔を引き攣らせて笑い、リザの方を凝視していた。
「何?」
その視線に気づき彼女が問う。
「いや、俺が聞いた砂漠に住んでる魔女の話だともう100年以上も前の言い伝えらしいから、
なんつーか皺くちゃのおばあちゃんみたいなの想像してたんだけど、
随分子どもだったから変な感じがしてさ」
「子どもとはまた随分失礼なこと言うのね、これでもあなたの5,6倍は生きているのよ」
「え!5、6倍って一体今いくつ…」
もしもそれが本当ならば、彼女はとうに100を越えている事になる。
「女性に年を聞くのは失礼だと教わらなかったの」
「あ、つい、ごめん・・・」
「いえ、私も少し意地悪だったわ。普通の人間からすればこんなのおかしいものね。
魔女っていうのは人間の10倍以上寿命があるのよ」
「10倍も!」
呆けたままのクラウドに見向きもせずリザは黙々と手を動かしていた。
2、30分くらいすると、彼女の動きは止まった。
そして、棚の中から小さな瓶を取り出し完成した物をそこに流し込んだ。
「はい、これでいいわ」
出来上がったのは、茶色の液体だった。
臭いは特にしないが見るからに妖しい代物だ。
「えっと、それは一体・・・?」
「薬に決まってるでしょう。何も知らないのね」
薬だということはなんとなくはわかってはいたが、なぜ魔女が薬を作っているのかが謎だった。
「あのさ、魔法とかでポンッって出したりするんじゃねぇんだ」
確か宿屋のおばさんから聞いた話では、たくさんの食べ物や薬を魔法で出していた、と言っていた気がする。
それなのに、普通の医者と変わらず薬を調合している姿は違和感を覚えるものでしかなかった。
そう問われ、彼女の顔が一瞬曇ったような気がした。
「・・・できないことはないけれど、魔法はあまり使わないようにしているの」
そう言った彼女の表情は少し笑っているようにも見えたが、
とても哀しげでクラウドはそれ以上何も聞けなくなってしまった。
by 沙粋
*1:漢方医などが生薬を粉末にするのに用いる金属製の器具。
細長い舟形で、中央がV字形にくぼんでいるもの。中に生薬を入れ、
円板形の車に通した軸を両手でつかみ、前後に回転させて押し砕く。くすりおろし。