どうも、こんにちは。
個性を尊重しましょう だとか 多様性の時代だからね とか…
より幅広く受容することが是とされている最近の世の中で、何が個性の範疇で何が咎められるのだろうか。
良いというのにも悪いというのにも理由がいる。そう思うことばかり、非常に面倒くさい。
周囲にとって良いとされてきたものに倣って生きてしまったから、あまりに基準が漠然としている。周りの「当たり前」を疑わず「当たり前」に甘えてきた阿呆。なんて空っぽな奴。
もうよく分からないのだ。
自分は自分を反省させられる人間だ。だからこそ、気づき、直し、肯定してきた。
人が法を守るのとは違って、自分を観ることが当たり前ではないことは分かっている(まーた当たり前って言葉を使ってるね便利な言葉)。しかしまぁ…あまりにも…と思うことがあるわけですよ。
例えば、あまりにも…と思うことが原因で大切な人が傷ついていたらどうしたものか。
私は貴方を否定したい。否定して我が身を省みて欲しいのだ。そもそも相対するのさえ憚られるが、言えたとてそれこそ法や秩序を犯すに相当な根拠が必須になる。さぁどうだ、阿保なお前、甘々はお前には決してできないことだろう。
ムカつく。
傷ついている人がいて正しいわけがない。正しいとしたくないが本音か、何かにとっては正しいのだろうし。
話は逸れるが、それらを吐露すると「大層上からの物言いだね」と諭された。「傷つけられている本人であるまいし」確かにそうだな。外野から悩めるのは本当に贅沢なことだ。他人の不幸は蜜の味…、他人の不幸を自分の糧にしようとする卑怯者。それが分かっているからこそ 脱☆卑怯者でありたくて何か何かと考えるのだろうけど。
とにかく今はたとえ誰が見ても間違っていることを間違っていると言えない。
なぜなら言うにはどうしてかだ必要だからだ。そして、どうしてを言えればいいのだが、それが常識だからとか迷惑だからとかあまりに他人にとって納得感のないことしか並べられない。
まだまだ幼いようで、今の段階では自分の正しいを相手に納得してもらうこと、まるで勝負をしているかのようにしか捉えられないところが未熟で青い。ただこのフェーズを超えないと、勝ち負けじゃないんだと心の底から思えない気がする。
ただこの数年で人は変えられないことをヒシヒシと実感している。
変えようとして変わったのは結局自分だった。渦中では間違っているのは貴方なのにどうして自他ともに正しい自分が変わることで解決の方向に向かわせないといけない?と意固地になっていたが、ひと時過ぎて少しの余白ができた頃に、なぜだか動いていたのは自分だったね。
なので、人を否定したいと言っておきながら人を変えることはできないので、
真には一人称の被害者が自分を責めることから守ってあげる術が欲しいと思うのである。
貴方は間違っていない、悪くない、可笑しくない、弱くもないと。外野の私がどれだけ素晴らしいかを夜が明けるまで語ってあげたい。
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今日はなんだか書きたいことがうまく言語化できた気がする。
私もついにあの大人というものの仲間入りをしている訳だが、見てきたあいつやそいつのように絶対に腐らない。
何回でも変えて修正してやる。振り返らない方が楽で笑顔でいられる時間も多いかもしれないが、それは自分にとっての幸せではないことを心に刻んで。 それでは、また。