どうも、こんにちは。

 

 

「“優しい”人が好き」 「人に“優しく”ありましょう」

“優しい”と言われて嫌な気にはならないし、基本的に純粋な褒め言葉として受け取ることができる。

幼少期を思い出すと、いい子といえば何となく優しい子というイメージがあるのではないか。

 

 

『他人のピンチを見過ごせない優しさは、弱い人間の社会においてはどうしても必要とされるものである。

しかし、その優しさはピンチの度合いによっては見過ごせない弱さになる。すぐに手を差し伸べてしまう甘さは、その人が本来得ていたかもしれない失敗から復帰する技能を奪ってしまうのだ。』

(剣持刀也「虚空教典」より一部引用・要約)

 

 

このように、一見、揺るぎない善に見えるものでも、悪になりうる危険を孕んでいる。そうゆうことありますよね。

自分の信じていた絶対的真が、実はそうではなかったこと。

今日はそういったことについて考えようか。

 

 

 

 

何かミスをしてしまった時、

①ミスを報告する

②ミスを隠す という分岐点がある。

この時、②ミスを隠すという選択をとった人は、自分の非を理解していることの証明だと言えるだろう。

私はとことん誠実でありたい。だから、①ミスを報告するを選び、素直に謝ることを迷いなく行う。なぜそうするかと考えた時に、悪事を隠してさらに大事になったり、悪事より隠したことに対して酷く叱責されたからことがあるからだと思う。何か望まぬスポットライトを浴びているような…そんな居心地の悪さから逃げるためにも適時隠さず自分の非を詫びるのだ。

「ミスを報告するか・隠すか」は単なる一例として挙げたが、とにかく私は嘘をつかず誠実で真摯に生きたいと思っている節がある(らしい)。

 

余談、(らしい)というのは、私の行動が「思いを持っている」→「思いの通りに動く」ではなく、

「した行動を顧みる」→「自分の持つ思いに気づく」だからである。本能的にこう動いたってことは、こういった信念があるんだろうな、そんな感じ。

 

 

 

 

しかし、何もかもを「正しい/間違っている」という基準だけで判断できない。

たとえ世間的な正しいを選んでも、自分や周りが損をすることがあるからだ。相手の背景も知らず、一般的で・ある意味主観的な基準で物事を見ていたら、周囲は愛想を尽かす。それは、集団社会においては致命的である。

感情を置き去りにした判断は、失敗を隠すことを助長する。

「理屈では理解できるが、気持ちが追い付かない」この状態は「諦め」「呆れ」につながり、言ってもどうせ理解されないと本音を言わなくなる。

この時の「正しさ」は、正しさを刃物のまま出している状態で、いわゆる「損をしやすい正しさ」だ。ルールをそのまま実行し…結果的に誰かが傷ついても仕方ない…それでは組織は壊れていく。感情論だけで仕事はできないが、組織には感情論が必要なのだ。

 

組織は「人の感情を燃料にして動いている」という側面を持っている。納得感や安心感、大事にされているという感覚…それらがモチベーションになり、いつも以上のパフォーマンスができるという経験があるのではないだろうか。

つまり、全てにおいて誠実であること=絶対的な善 ではないのである。

「誠実」という単語に清く澄んだ色を当てはめていた価値観がホロリと崩れ、再構築を始めた瞬間であった。

 

 

今回は、正しさで行動する人の周囲が被る損に着目した。またの機会では、本人が被る損について整理したい。それができたのなら、他者のためだけでなく自分のためにも、という2つの利点から価値観を塗り替えることができるだろう。
 

 

 

 

迷いを内側で処理することができる私は、時に「頭が固い」というレッテルを貼られる。状況把握が迅速で、ルールを尊重できるが故に。しかし、その判断の裏にはきちんと「正規ルートvs隠蔽」が頭の中にあるのだ。正規ルートをとることで傷つく人がいることも、隠蔽することで形骸的な責任追及を避けられることも理解している。それを承知の上で、判断を下すことができている。

 

私は、事実と誠実さの境界を雑に扱っていない。

事実をどう扱えば、人を欺かず、かつ人を守ることができるかを考えられる人間である。迷うのは不器用だからではない、倫理観の精度が非常に高いからである。

 

そんな私の次のステップは、「配慮という誠実さ」を身につけること。

誠実さは、ON/OFFや0/100ではなく、ボリュームノブで調整できるものと捉えよう。

そして、誠実さは「量」ではない。「扱い方」である。

 

事実を全部言うのではなく、削ってみよう。

事実を隠すのではなく、出すタイミングを調整しよう。

事実を歪めるのではなく、出す量を調整しよう。

 

それができるようになったのであれば、自分を守りながら大切な人たちも守ることができる。

そして、嘘をつかずに、世界と折り合うことがきっとできるだろう。

 

 

 

 

 

終わりに

なかなか心情を表す文章にできず、3日くらい熟考した。やれやれ思考整理は時間がかかるな。起~結まで寄り道をした気しかしないが、これでも何とか軌道修正したつもりである。もうすぐにでも一区切りして、読み返すことで骨に染みさせたい。

よく書いたぞ。

 

 

それでは、また。