オーダーメイドの支援チームを作る⑩~長期目標を共有する | 発達障害と診断されても大丈夫です!!

おはようございます。




ご訪問、ありがとうございます。




今日は、「長期目標を共有する」ことについてです。




うちの子は、個別指導学級在籍ではないので、


小学校で正式な「個別指導計画」というような形のものは、


作っていただいてはいませんが、




それでも、概ね、長期目標にあたるようなものを


学校と保護者と


ソーシャルスキルトレーニングをしてくれている相談機関とで


同じ目標を共有できた感覚は持っております。




無理に合わせたというよりも、情報交換する中で、


自然に今の時期育んでおきたい力…ということで、


共有できた感じです。




同じ一人の子を見た場合、その子の現状と、


本人の抱えている不安や生き辛さと、


どうであれば、乗り越えて成長していけるか考えた時、




お子さまに関わる各活動場面で、


自然と似たような目標を考えやすいのかな?とも思います。




各活動場面での目標のズレを少なくしておくと


何故いいかというと、同時期に同じことに対して、


別のことや、逆のことを言われた場合の


子どもの混乱を防ぐことが出来るからいい…ということでしょうか。




この子たちは、字義通り、場面別の応用を思いつかず、


忠実に実行しなければならない…的な捉え方をしやすい


特性があるじゃないですか。




例えば、理科実験で、先生が


「顕微鏡を見ながら描こうね」と指示したら、


本当に片目を顕微鏡につけたまま、スケッチブックは見ずに


「先生、…見ながらでは描けません」とか…




(本人は、いたって真面目に困っており、


別に喧嘩売ってる訳じゃないですよ。


これは、うちの子の実話です。)




だから、学校の先生と、ソーシャルの先生の言うことが


違っていた場合の混乱度合いは、


一般のお子さまよりも、遙かに大きいと思います。




例えば、この部分は実話ではなく想像で作った話ですが、


療育センターと家庭では、


「分からないことがあったら、何でも聞いていいんだよ」と


本人に話していて、




一方で学校では、当たり前のことを、いちいち、


「これして、いいですか」「あれして、いいですか」等


しつこく聞いてくる指示待ちの子に見えてしまった場合




(こういうことは、お子さまの診断名や特性を伏せて、


学校には知らせていない場合なんかに生じうる誤解だと


想像しますが…)




学校の先生には、


「いちいち聞かなくていいから、自分で判断しなさい」みたいに


言われてしまったとするでしょう。




この場合の先生の意図は、この子が


この学年の一般的な発達段階と比べると遅れているから、


もう少し、自立した子になって欲しいという個別の配慮だったり


する訳です。




「お母さんは、先生と、言うことが違う」なんて言えるのは、


多分、中学年以降だと思います。




子どもの立場では、困っている時に、聞いていいものか、


いけないものかも混乱しますし、


双方の大人の言うことに対する不信感を、


言葉に出来ないモヤモヤのまま抱え、苦しむと思います。




何か聞きたいと思ったとき、


聞いてはいけないんじゃないかと不安になり、


聞かずに何とか頑張ったとしても、それで良かったのか、


聞くべきだったのではないかと不安になり…




不安は、子どもの中で、やる気や自信や、


自分を好きだと思える気持ちを


ジワジワ食い尽くして行きますから…




沢山不安を抱えたお子さまは、


どことなく、覇気がなく、自信がなさそうに、


暗い表情で登校していくことになるかもしれません。




一方で、「困った時には、SOSを求められるようになる」という


目標を共有出来ていれば、


シンプルに、何か一つ質問できただけで、


「自分は進歩している」と自信につながったりするのです。




自信がつけば、自分の判断力を信じられるようになり、


自分の判断力を超えた場合だけ、質問に行くようになるので、


結果的には、自立に早く向かうような気がしています。




では、例えば、どういった目標が長期目標になるのか…


というところで、思いついたことを書きますね。


(長期目標なのか、短期目標なのか、


今ひとつ分からないところではあるのですが…)




うちの子の場合、




就学前は、「困った時には、SOSを出そう」ということで


やっていたと思います。




0歳からお世話になっていた保育園では、


ある意味、本人の自覚している分からないことは


ちゃんと聞けていたし、




先生の教え方も、具体的で、スモールステップで、


とてもご指導がお上手だったので、


「寧ろ、理解が早い方」なんて言われていました。


確かに、視覚的理解は、得意なタイプの子なんです。




3才児健診で発達相談を申し込み、


療育相談に繋がったのが4才でしたが、


「既に沢山、分からないことを誤魔化す術を


本人が身に付けてしまっている」と言われました。




もっと早くに動けば良かった…と、後悔しました。


「発達障害児は、早期診断がお好き…」等


言われていますが、みもざも、そう、思います。




就学直前の小学校との相談で、


療育センターで練習してきたhelpを出すスキルを思い出せる


カードを、筆箱に入れて持たせることになりましたが、


そのカードが実際に使われることは、ありませんでした。




1年の担任の先生の目にも、


初めから、それなりの判断力があり、


これはどうかな?ということだけを、的確に質問に来るように


見えていたみたいです。




只、このSOSを出せるようになる…という目標の共有効果は、


本人が、自分が困っていることを自覚しだした、


1年生の後半以降に、発揮されたと考えています。




この子が、「1年の時、学校で皆が何話しているのか、


全然分からなかったけれど、


この頃、分かるようになってきた」…と言ったのは、


2年生になった時でしたから。




まあ、お友だちとの会話は噛み合ってないし、


多分、言語的には理解できていないんだろうけど、


見て、合わせてるんだな…とは思ってましたから、


やっぱり、そうだったのか…と思いましたが。




生まれて此の方、分からない状態できたものって、


分かっていないこと自体、それが普通で当たり前だから、


殊更、「分からない」とは自覚されないですよね。




自覚されるのは、分かってきた時だったりする訳です。




次の長期目標だったかな?と思われるものです。


1年後半から2年の初め位まで時期は、


「自分から、宿題に取り組むめるようになる」でしょうか。




学校の宿題は、同じパターンで取り組みやすいように、


音読+漢字か算数か…が毎日出ました。




学習支援の相談室の方でも、「宿題は先生との約束だよ」と。


やってこなかったとしても、叱られることはありませんが、


理由は聞かれ、自分なりに答えられれば、それでよし…


という感じでした。




家でも、「宿題は?」という声かけは行い、


「出して」と言われれば、目の前に出してやりました。


(自分で出すのは、当時、大変でした。)




2年生では、「間違えたっていい」でした。




学校では、「教室は、沢山間違えて、間違えただけ


成長できる場所です」と教えられました。




学習支援の先生にも、「自分なりに読んできて、


出来たらいいし、分からなければ、そのまま、


空欄で持っておいで」と言われました。




学校も学習支援の場も、


「間違えこそ大事だから、間違えた答えは、


絶対消すな」という方針も、たまたま、一緒でした。




お陰さまで、思考を停止して、あれかこれか聞きながら、


親の顔色から判断しようとする壊滅的状況からは抜け出し、


分からない問題があっても、そのまま先生の前で


それを見せられるようになりました。




(結構大事なポイントで、


間違えてはいけない、間違えたら恥ずかしい…と思って、


間違えたら、全部消してしまう癖のついているお子さまも、


結構居るような気がしています。)




これは、失敗を恐れずチャレンジできる心の基盤を作るのに


役立ったかもしれません。




上記は、「一度失敗した事柄には、非常に傷ついて、


その領域から全面撤退する恐れもあるので、


スモールステップとリハーサルで、絶対失敗させない」という


配慮が、基本大事なことを踏まえた上でのお話です。




この、順番の共有も、大事といえば大事です。




(試行錯誤して、失敗しながら、その体験を糧に、逞しく


育つことが出来るのは、定型発達のお子さまに多いタイプ


だと思われます。)




3年生からは、


「与えられたことに最低限取り組むだけでなく、自分なりに


目当てを持って、納得行くまで取り組む」であったり、




「自分の意見や考えを自分から皆にシェアし、


皆からの反応を受け取る」みたいなことにシフトしてきている


感じがしています。




さて、では、どうやって、こういった目標を共有していったら


いいのかについて、思っていることを書きます。




まず、各関係者と立ち話でもいいので、


ちょっと話せる状況を作りましょう。




それぞれの関係者の専門活動領域でのお子さまの様子を


聞いてみましょう。


端的に、どうなっていったらいいと感じておられるかも、


その後に聞いてみるといいと思います。




お子さまの発達段階については、


専門家の意見を聞いてみると参考になると思います。




例えば、うちの子の場合、


自分から宿題に取り組むは取り組むけれども、


床に寝転がってやっている、これは、先に机に座らせる


べきかどうか…?




学習支援の先生は、その時に、床に転がっていてもいいと


言われました。


学習量が増えれば、机でやりたくなるだろうから…と。




これには、体幹部の筋緊張が自動で保たれず、


筋力で姿勢を正している故に、家では、疲れきっている…


という問題も絡んでいました。




自然に筋緊張が保たれるようになってからでないと、


しんどい課題です。




それ以前に、学習支援の場で、立ち膝になり、


お行儀が悪い、失礼、しつけがなっていないという見方を


されたこともありましたが、




家では、それが当たり前で、それ以外は出来ないこと。


学校では、まだ、いい子にしているけれど、


学習支援の場では、寧ろ本人が安心して、


地のままの自分を見せたとおもわれること。




その辺りをお話して、


ご理解を頂いたことも、ありました。




問題は沢山ありますが、


今、何を優先するのか、順番はどうするのか、


その辺の話を、その都度、していくことになると思います。




ゆくゆくは、どう育って欲しいから、その為に、今、


何に目をつぶり許容するか…、


これは、長期目標の共有があって、


初めて出来る話だと思います。




(長期目標の共有がないと、


「今は特別扱い出来るが、いつまでも、それでいいのか」


と、お決まりの、支援拒否を招きかねないポイントかとも


思います。)




目標の共有を巡る話し合いは、


信頼関係を作っていく過程と同じですし、


本当の所を隠していては、信頼関係も出来ないだろうと…


そんな風に感じています。




もし、お子さまのことで、「これはどうなんだろう?」と


ご心配なことがあったら、家ではどんな状態なのか、


自分や他の家族は、どう捕らえ、どう関わっているのか、


その結果、お子さまの反応はどう変わるのか…




振り返ってみて、今度、先生にお会いした時に


投げかけてみてはいかがでしょうか?




学校ではどうなのか、先生は、どうお考えなのか、


聞いて受け取ることも忘れずに。




特に自分の考えがなくても、


先生はどう思われるのか、助言を求めるだけでも、


考える糸口が見つかるかもしれません。




一回では終わらず、次の時に、その点の変化はどうなのか、


変化がないならないで、それも大事なプロセスなので、


成果が上げられなければ行けない等は考えず、


お気軽に情報交換を重ねていくことをお勧めいたします。




お気づきのこと、お困りのことがございましたら、


コメントして頂けると、助かります。




最後まで、お付き合いくださって、


ありがとうございました。