ぬーてっくで在るが為 -3ページ目

ぬーてっくで在るが為

なんとなく、思いついたことを思いついたままに書き出してみてます。

大体、小説風に書いてしまう癖があるので読み辛いこともあるかと思います。

イタリアの郊外でバスに揺られていた。
うつらうつらとしていると目的地に着いており、焦り気味にバスを飛び降りて町外れを歩いている。
ふと、背中がやけに軽いことに気づいた。

バックパックがない--。

不意に絶望に襲われる。全身が粟立ち、足に、腰に力が入らない。文字通り膝から崩れ落ちた。
持ち物はすべてその中に詰めていた。もちろん、携帯端末もだ。

言葉の通じない異国。そして、辺りは山道で何もない。勿論知り合いなど居るはずもない--。
どれくらい経ったであろうか。途方に暮れながら道を歩いていると、海の見下ろせる町へと辿り着いた。
するとなにやら黄色いシャツを着た陽気な男が声をかけてきた。しきりに話しかけてくるが何を言っているのか解らない。
とりあえず、身振り手振りと片言の英語でイタリア語は話せないこと、手荷物をすべて無くし途方に暮れている事を伝えるべく努めた。
どうにか伝わり、その男も片言の英語で話をするようになった。
人との関わりがどれほど救われることか。何処か心に余裕が産まれ、どうするべきかを考えるに適った。
電話を借りれそうなところはないかと男に尋ねる。すると男は先の道を大きく廻った先に小さなレストランが在るという。どうやら其処は日本人が経営をしているという。九死に一生とは、まさにこの事であろう。逸る気持ちを抑え、男に礼を言う。
男は終始陽気な調子で送り出してくれた。

車が疎らで無駄に広い道路の脇を歩いていると、道の先に一軒の小さなレストランが確かにあった。喉の奥で陽気な男に感謝を述べる。と、そう言えば名前を聴いていなかったことに気が付いた。ここに来てもコミュ力の無さが露呈してしまう。しまった。と、苦虫を潰し歯痒い己を嘆いた。
そんな事を考えることができるのも心にゆとりが出来たからであろう。情けなくも口許が弛んでしまった。

店の前に立つ。
そこは表一面のガラスで明るく中を見渡すことができた。1人忙しなく動く店員の姿が見て取れた。客でない急な訪問となってしまうので中に入るのが躊躇われる。暫く外で様子を観ていようと思い。辺りを見渡すが、昼時だったらしく店に入る客と目があってしまい、何とも居たたまれなくなり惰性で店に入ってしまった。
当然、店員は客だと思い接客をする。心の準備が出来ていない状態でこれまた惰性で促された席へと座ってしまった。
--。気まずい事この上ない。
明るい店内で客でもない者が拳を握りしめ膝に置いて身体を硬くして座っている。なんとも滑稽だと思った。
そして、ふと。何故ここに居るのだろうかと思い出すと、明るい店内はカーテンに光を遮られた天井に姿を変えたのだった。



***

はい。ただの夢オチです。
特に書くネタもなく。
前に書き留めていた夢を文章にしてみました。はい。。

タイトルは
「刹那に似てせつなく-新装版-(唯川恵)光文社文庫」から引用してみました。
とは、いっても全く掠りもしていません。
すみません。

少し、本の話をさせてください。
この本は、新装版とあるように1997年に書き下ろされた作品です。
ネタバレするといけませんので内容には触れないでおこうと思いますが、此度、新装版として現代に加筆修正され、当時にはなかったスマホやセレブママ、リーマンショックなどの言葉などが登場してきます。
この新装版と当時に発行された本とを読み比べて時代の変化を楽しめるかと考えます。また、逆も然りで時代を追いかけながら読むのも一興でしょう。



なんともまとまりのない文章で疲弊していますが、この辺りで締めたいと思います。


でわ。
珈琲を煎れようと思い、キッチンに立つと在るはずの豆がなかった。
--あれ?確かに買っておいた筈なのに。
仕方なく、買い置きのドリップパックを取り出して珈琲を淹れた。

テーブルにつき、記憶を辿ってみる--。


曇天に霞む灰色の街。今にも雨が降りそうなそんな天気だった。
珈琲豆を2袋購入している。この包装はKALDIか。
その後、通りかかった公園で警察官が4人の男と揉めている。
どうやら許可の必要なところで無許可の撮影をしていたらしい。

近くの和菓子屋で珈琲の充てにお菓子を買おう思い寄ってみるが、人が渋滞を起こして直ぐに買うことは叶わなそうなので諦めることにした。
それから先ほどの公園に戻ると誰もいない茶色の土が広がっている。
しかし、こんな所でなんの撮影をしてたんだろうなんて耽っていたら、唐突に雨が降り出した。
段々と強くなりびしょ濡れになる。
パーカーのフードを深く被り込んで急いで移動する。

--ふと、ここはどこだっけ。
家への道が解らなくなっていることに思いあたる。
そして、記憶も唐突の雨の様に突然途切れていることに気が付いた。

ここ最近、ゲームをプレイし過ぎたからであろうか。もしくは、寝る前に夢現の状態で小説『パプリカ(筒井康隆 箸)』を読んでいたからであろうか。

パプリカはアニメーション映画で観られた方も居ることだろう。夢を映像化するとあの様になるのだろうか。兎に角、不思議な世界(夢)が現実を呑み込んでいく。


夢探偵「パプリカ」--。
美しくも知性的な精神医学のセラピスト。
彼女の治療は他人の夢とシンクロし無意識下に侵入することで治療を施す。
その際に使用する機器。最新のサイコセラピー機器による争奪戦が白熱し、夢と現実が極限までに交錯したその瞬間、世界は誰も到達し得ない処へと誘われていく--。


どちらにせよ、自身で夢現を乖離できていない状態が非常にマズい。
下手をすると統合失調症の症状ではないか。
と、なると。ここは夢探偵パプリカの出番となるところだ。
などとノンフィクションにフィクションが交わることは決して無い。
“現実的”に考えて不可能なので、今回は手記という形で対処して置くこととする。
と、まあ。奇しくも、この記事を書くことによって夢現を乖離する作業をしていたことになるとは--。

最後に--。
もし、現実と夢の区別が付かなくなったとき、何かに書き付けて線引きをしてみると良いのかも知れません。
もしくは、パプリカに相談することをお薦め致します。


でわ。
「二度あることは仏様」

二度起きたことは、三度まで期待しない。
結果、三度目が起きたとしても、それは仏様でもどうしようもない。
それならば一層のこと潔く諦めてしまおう。と、いう意。

『二度あることは三度ある』、『仏の顔も三度まで』が語源。

この間の・・・って、だいぶ前になるけど、台風18号の発生に九州北部にも警戒が必要だと云々--。
そんなときに福岡では今期三回目か。
などと耽っていたらこの言葉が出てきました。

--。えぇ。
ネタに困ったらちょいちょい挿みますけど。・・・何か?


はぁ・・・。
週末に熱だして寝込むとは・・・😭

でわ。