今日は、大好きだったわたしの祖母のお誕生日
母方の祖母で、母が小さい頃に「お母さま」というのを舌足らずに「おかあちゃま」って呼んでいたまま
大人になっても「おかあちゃま」のままで
結局、孫の私たちまで「おかあちゃま」と最後まで呼んでいました
明治生まれの気丈な祖母は、岡山の代議士だった夫(犬養毅さんの直近でした)を戦時中に肺炎で亡くしてから
女手一つで母を育て上げました
まだ祖父が元気な頃には裕福で、子供の母にも専属の運転手さんがいたほどだったが
祖父が急逝してからは、人が良くて世間知らずの祖母は騙されて財産を失ない、大変な苦労をしたそうだけど
そんなこと見せないくらい、気高くて凛としていて優しい女性でした
父方の祖母は身体が弱くて私が1歳の時に亡くなり
父方の祖父・伊志井寛は私が3歳の時に亡くなりましたので
物心ついてから接してくれたのは、おかあちゃまだけ
なので、おかあちゃまはいつも
「おとうちゃま(母方の祖父)とパパパパ(父方の祖父をこう呼んでいた)とバアバアが、あなたたちを見守るために自分たちの寿命を私に残してくれたのよ。だから、元気でいなくちゃね」
と私たち孫3人を心から愛してくれましたし
生活が安定した晩年も贅沢はせずに粗食を心がけ、慎ましく暮らしていたのを覚えています
私の母は染色家ですが、当時は仕事が猛烈に忙しくてほとんど家にいる時間がなかった父から子育てなどの協力は皆無だったため
祖母の協力なしでは、染色家の仕事も続けられなかったと母はよく話しています
ただ、自分の生活は独立させておきたかったようで、どんなに大変でも同居はしたがらなかったようで
私の住んでるところから電車で1時間くらいの所に、マルチーズのタロウちゃんと一緒に暮らしていました
なので、毎週末おかあちゃまの家に妹と一緒に泊まりに行ってました
今思えば、その間に母は創作活動をしていたのでしょう
私たちにとっても、おかあちゃまの家に行くのは本当に楽しみで
金曜日に学校が終わると、電車に乗り、駅で大好きなおかあちゃまが待っていてくれると嬉しくて嬉しくて駆け出していたのを今でも忘れません
おかあちゃまの家の周りには大きな公園もたくさんあって、自然もまだたくさん残っていたので
ザリガニ捕りをしたり、セミの抜け殻を集めたり、ヨモギを採ってヨモギ餅を作ってくれたりしたのもおかあちゃまの家でした
捕ったザリガニを大きなバケツにいれておいたら、翌日なぜか二匹になっていて大騒ぎになりましたが、なんてことはない、脱皮しただけだったことがわかってあとで大笑いしたこと
私たちが公園で遊んでいるのを、文句も言わずに何時間もベンチに座って待っていてくれたこと
アサガオの花を集めて色水を作って、ハンカチを染めたこと
おかあちゃまの家の窓に飛び込んできた黄色いセキセイインコにロミオちゃんって名前をつけて飼い始めたこと
思い出はいっぱいありますが
溢れてくるのは感謝の気持ちばかり
「ほんとは年末に産まれたらしいけど、年明けの誕生日で役所には申請したのよ」
って言ってたおかあちゃま、お誕生日おめでとう!
そして、いっぱいいろんなこと、本当にありがとう


麗子
iPhoneからの投稿
母方の祖母で、母が小さい頃に「お母さま」というのを舌足らずに「おかあちゃま」って呼んでいたまま
大人になっても「おかあちゃま」のままで
結局、孫の私たちまで「おかあちゃま」と最後まで呼んでいました
明治生まれの気丈な祖母は、岡山の代議士だった夫(犬養毅さんの直近でした)を戦時中に肺炎で亡くしてから
女手一つで母を育て上げました
まだ祖父が元気な頃には裕福で、子供の母にも専属の運転手さんがいたほどだったが
祖父が急逝してからは、人が良くて世間知らずの祖母は騙されて財産を失ない、大変な苦労をしたそうだけど
そんなこと見せないくらい、気高くて凛としていて優しい女性でした
父方の祖母は身体が弱くて私が1歳の時に亡くなり
父方の祖父・伊志井寛は私が3歳の時に亡くなりましたので
物心ついてから接してくれたのは、おかあちゃまだけ
なので、おかあちゃまはいつも
「おとうちゃま(母方の祖父)とパパパパ(父方の祖父をこう呼んでいた)とバアバアが、あなたたちを見守るために自分たちの寿命を私に残してくれたのよ。だから、元気でいなくちゃね」
と私たち孫3人を心から愛してくれましたし
生活が安定した晩年も贅沢はせずに粗食を心がけ、慎ましく暮らしていたのを覚えています
私の母は染色家ですが、当時は仕事が猛烈に忙しくてほとんど家にいる時間がなかった父から子育てなどの協力は皆無だったため
祖母の協力なしでは、染色家の仕事も続けられなかったと母はよく話しています
ただ、自分の生活は独立させておきたかったようで、どんなに大変でも同居はしたがらなかったようで
私の住んでるところから電車で1時間くらいの所に、マルチーズのタロウちゃんと一緒に暮らしていました
なので、毎週末おかあちゃまの家に妹と一緒に泊まりに行ってました
今思えば、その間に母は創作活動をしていたのでしょう
私たちにとっても、おかあちゃまの家に行くのは本当に楽しみで
金曜日に学校が終わると、電車に乗り、駅で大好きなおかあちゃまが待っていてくれると嬉しくて嬉しくて駆け出していたのを今でも忘れません
おかあちゃまの家の周りには大きな公園もたくさんあって、自然もまだたくさん残っていたので
ザリガニ捕りをしたり、セミの抜け殻を集めたり、ヨモギを採ってヨモギ餅を作ってくれたりしたのもおかあちゃまの家でした
捕ったザリガニを大きなバケツにいれておいたら、翌日なぜか二匹になっていて大騒ぎになりましたが、なんてことはない、脱皮しただけだったことがわかってあとで大笑いしたこと
私たちが公園で遊んでいるのを、文句も言わずに何時間もベンチに座って待っていてくれたこと
アサガオの花を集めて色水を作って、ハンカチを染めたこと
おかあちゃまの家の窓に飛び込んできた黄色いセキセイインコにロミオちゃんって名前をつけて飼い始めたこと
思い出はいっぱいありますが
溢れてくるのは感謝の気持ちばかり
「ほんとは年末に産まれたらしいけど、年明けの誕生日で役所には申請したのよ」
って言ってたおかあちゃま、お誕生日おめでとう!
そして、いっぱいいろんなこと、本当にありがとう



麗子
iPhoneからの投稿