始めに、ここに記載していることはチベット仏教のテキストを参考にして、般若心経の理解を深め、自分なりの勝手な経験に基づいて解釈をした事を綴っていますので、ご了承くださいませ。
般若波羅心経の1番最初
照見五蘊皆空 というところ
五蘊(ごうん)というのは何か。
これは、物質的存在・感受作用、識別作用、形成力、認識作用 (色・受・想・行・識)の事。
人間が持ってるものですね。
これらは自分が感じてるもので、それについて何かしらの名前をつけて、そういう存在がある(実体)と信じている状態です。
しかし、名前をつけていかにも実体があるようにしているけど、本当は実体というものはない。あるのは空という実体のないものである。
という事を説明しています。
色(物質的存在)は飛沫のような感じで
受(感受作用)は水泡のような感じで
想(識別作用)は陽炎のような感じで
行(形成力)は樹の幹の空洞のような感じで
識(認識作用)は幻のような感じ
という現れ方をしているだけ。
自分自身が名前をつけてしまうことで実体が無いはずなのに実体があるようにしてしまう。
人によって、この五蘊の感じ方や実体を作ってしまった規模が違ったりするので、差が出てくるわけです。
真実をあるがままに観ずることは、自分の今の五蘊の働きは実体がない空なのだということを前提に、現実を見極めること。
ネガティブにせよ、ポジティブにせよ、今まであったものや満たされてたものが無くなった、無かったものがやって来たという変化が、五蘊を刺激して新しい現実として感じてしまうのです。
規模の差によって天国と地獄の両極端な現実を感じてしまいます。
しかし、空を理解していると、今感じてる現状から、五蘊の働きで過剰に感じてる現状を無くした現状、つまり真実を観ずることができるのです。
ちなみにネガティブな人もポジティブな人も空を理解してない場合、ネガティブな人は現状にとらわれてどうすればよいか整理整頓ができない、現状把握ができない状態になります。
迷える子羊みたいな感じでしょうか。
ポジティブな人はネガティブなとらわれは一瞬で終わりますが、自分にとって都合の良い現状を新たに創っていく事でとらわれから脱出しているので、その時解決しなければならない真実の現状に目を背けて放置(先延ばし)している状態なのです。
人によっては誰かに解決してもらっているでしょうし、人に指摘されていて自分でも気になっているけど取り組まない場合もあるでしょう。
これら先延ばしをする人の場合は、着々と自分で取り組んで行かねばならない事が溜まり、どこかで取り組みを突きつけられるできごとが起こります。
空というのは言葉で説明することができないものなので、身をもって実践して理解していかねばならないのです。
ちなみに空の理解をするには、釈迦が最初に伝えた教えを知る必要があります。
今の時代では引き寄せの法則とか、宇宙の法則とか因果の法則とか法則という名前で使われたりしてます。
それで成功者になってる人もいますが、そのほとんどが空を知らないで前述したポジティブ人間のあり方が幸せや豊かさや成功を達成できる条件としてすすめているのです。
僕はこの真実の現状を観ずる事ができた時に、非常に危機感を覚えました。
なので、特定の宗教に所属せよとは絶対言いません。
僕も特定の宗教に所属してません。
仏教が1番自分の人生の役に立ってる内容だっただけで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も学んだりしていたりもします。
宗教の教えはどれも表現が違うだけで、何のためにできたのかという本質は同じ目的の上に置かれているのです。
さて、続きはまた次に。