人を信じること自体が、怖い場合もある。
だけど
信じられる人だからこそ、お別れが怖くて
好意を抑圧することがある。
前者の場合は、苦しみは少ないけど
(これはこれで、宇宙に1人の相当な苦しみだ。)
後者の場合は、自覚がある分、苦しい。
(前者の状況の中で、唯一と感じると尚更)
相手の親切に対し、私の脳内ではいちいち
「勘違いするな。私の為ではなく、その人の性質だ」と言い聞かせる。
相手を否定するというより、
私が私を「自意識過剰」「勘違い女」と仕立てて、
常に監視して戒めている感じだ。
その時の、脳内自己否定の言葉は、
ここに出せないほど、かなり辛辣だ。
というか、実際に過去に人から言われた言葉のコレクションだ。
相手からしてみれば
折角おこなった親切に対し
喜びの表情や、リアクションの乏しい相手なんて
相当しんどいかもしれない。
私の頭の中の否定が忙しくて、その場で相手を慮る事が難しくなる場合がある。
頑張っても
「私は付き纏いの恐怖が無い分、安全ですよ!」
という自虐のようなことくらいしか、
アピールできない。
……あ、アピールになっていませんね。
※ストーキングは犯罪です。
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好きな人、
大切な人には、
素直に好意が伝えられたらいい。
勘違いや自意識過剰だと思われても
それでも、
自分が嬉しいと感じたことを
そのまま素直に表現できたらいいのにと思う。
自分否定に躍起になって、後で気づく。
肝心の、相手の聴きたい言葉
話したかった内容に対し
私は全く見当違いの話をしたかもしれないな。
そこじゃなかった。馬鹿だな私。