小学校低学年の頃、

 

ひと月のお小遣い500円。

 

それで雑誌を買って、残りの百いくらを、おやつを買わずにとっておいた。

 

お金を握りしめ、近所の花屋さんへ行った。

 

 

 

 

 

カーネーションが欲しかったけど、足りなかった。

 

一輪なら、ギリギリで買える。

 

「これ下さい。」そう言って、手を拡げ、握りしめていた百数十円を見せた。

 

「あら、お母さん喜ぶわよ~。」お花屋さんは笑顔で渡してくれた。

 

 

 

 

 

家に帰った。

 

夕食の前だった。

 

照れくさいけど、台所にいた母にカーネーションを渡そうとした。

 

 

 

 

「はい、母の日。」

 

母は鍋の方を向いたまま、視線だけで私を一瞥すると

 

「あっちおいといて。」とだけ冷たく言われた。

 

私は、料理を作っているからだなと思い、カーネーションを居間のちゃぶ台の端に置いた。

 

 

 

 

その後、夕食の支度が整った。

 

次女はなにやら小さな紙袋にプレゼント入れて渡したようだ。

 

母は「あら、ありがとう」と言って、喜んで受け取った。

 

 

 

 

 

食事が終わって、食器が片付いた。

 

そして、居間の電気が消され、各々部屋に戻っていった。

 

 



私は一旦2階の自室へ戻った。

 

暫くして居間を覗いたら、

 

私のあげたカーネーションだけは、


暗い部屋のちゃぶ台の上に、私が置いた状態のままで残っていた。

 

 

 

 

 




悲しかった。

 

涙がこぼれた。









 

カーネーションが枯れたら可哀相だから、

 

自分で引き取って、自分の机に飾った。 




 

「……もう、いいや。」

 

 



 

その後も、その翌日も、


カーネーションについて、母は一言もいってこなかった。

 

気に入らなかったのだろうか?

 

もう、母にカーネーションは渡さないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつだったか、母の日に


祖母にカーネーションの絵を描いて渡した。

 

それから何年もたって、祖母が亡くなった。


遺品の中から、私の描いたカーネーションの絵が出てきた。

 

綺麗に広げて、大切に保管してあった。

 

 

 



 

どうして母は、

 

私のカーネーションを受け取りもせず、


放置したのかな。

 

 

 

 

 

 

あぁ、台所といえば……

 

母の料理は大雑把。好き嫌いをしたり、食べ残すと、とても怒る。

 

次女三女は、注意をされても全く意に介さない。食べろと言われても食べない。

 

私は我慢して食べる。

 

 

 

 

台所に食べ終わった食器を持って行くと、

 

「なんでお前らは、

せっかく作ってやっても食べないんだ!」と

 

母は食器ごと振りかぶって、


ゴミ箱に叩きつけるように……残飯を捨てていた。

 

 

 

私は、母が私の前だけで当てつけのように見せる


態度の豹変や脅しが、毎回、とても嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 

母もいなくなり、

 

母にもなれず、




 

私は「母の日」とも、「カーネーションの花」とも


生涯縁が無くなってしまった……。

 

 




淋しいな。