とある場所で知り合った方。
話を聞いていくうちに
過去に苦しんだ
「私の天敵」と同タイプでは?と感じてきた。
私は、目の前のその人に対しては、
敵対心も恐れも無い。
というか、
正確に言えば、その時までは無かった。
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ある時
その人は私に対し、
明らかに、怒りというか反論の態度を示した。
直観で
私の中に「別の人を見ている」と気づいた。
おそらく
「その人が認めたくない、別の人の部分」を
私が体現していたんだと思う。
だから、怒りとなって
私に向かったんだろうと思う。
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問題は、この先で
その人に対して、
私は今後どう関わり続けていくか?だ。
まず、私自身は
「その人」と
過去に出会った「私の天敵」は
全く別の人・別の問題だと理解している。
実際、別の人間だし、
私の中では、過去の「天敵」との問題は
自分の中で消化済みと考えていた。
※正確には、最近になって
「現実を思い知って、受け入れて、絶望しつくした」
といった方が正しい。
ところが
その人から感情を表出されると
私自身が
その人の中に、目の前のその人ではなく、
過去に出会った「私の天敵」の姿を見る。
相手の中に
「私の天敵」を見ることによって
私自身は
「過去の私は、これで良かったんだ。
その時は正しい判断をしたんだ。」と、
感じたのだけど……
今、目の前の関係の無いその人から
怒りを向けられることに対しては
私はどうしても我慢がならなかった。
私はもう、
●不条理なこと
●見返りを求めていなかったとしても、
親切心を利用され都合よく扱われること
●罪悪感をゆさぶられ、感情を搾取されること
ここに対しては、まっぴらで
これまでのように、
「事なかれ主義」や「安易な迎合」は出来ないし
したくない。
だから、今の私はどうしても
「その人自身の過去の行い」ではなく
「今現在」
私に怒りを表出したということに対して
「怒りの矛先が違うでしょ。
その問題はあなたの問題でしょ。」と
反論したくなってしまうんだ。
だけど、これが落とし穴かもしれないとも考えた。
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なぜなら、目の前のその人が
もし本当に
過去の「私の天敵」と
「同じ性質」をもっているなら
残念ながら、
その人自身の「心の問題」というよりも
「理解ができない可能性」が高い
……という考えが頭をよぎったからだ。
だとしたら、
対応を誤ったら何となく、
怒りを噴出され続けそうな予感がしているのだ。
※予感というだけで確証はないです。
だから、私自身が
今後どういう態度で接していったらいいのか
そこがわからず、悩んでいる。
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私の中で、はっきりしているのは
●その人は、私の「天敵」ではない。
●私はその人から、なんら実害を被ってない。
●そしてこれからも関わっていく。
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過去の「私の天敵」に対しては
もう、恨みはない。
というか、
もともと恨みも何もなかった。
ただ、ただ、悲しみだけだった。
むしろ、
私がその当時
正しく怒れていたら
正しく恨めていたら
私の回復は早かっただろうし
手遅れになる前に
別の人生があったかもしれない。
どちらにしても、
過去のことをとやかくいっても
二度と生き直しはできない。
どんな状態でも
まだ生き続けなければならない。
これが現実。
あぁ、ここまで考えたら
うん。
「その人」に怒りを向けられても別問題だよな。
ふんふんと
自分の感情とは切り離して
聞いていけばいいのかな。
だって、
目の前のその人に対しては
責める気なんてないんだから。
……わからない。