こんにちは。
リバース・フロウの清原です。
西日本の豪雨による被害に遭われた方々に
心よりお見舞いを申し上げます。
私たちひとりひとりに「地球にやさしい生き
方」が真剣に問われています。
手遅れになる前に、そして
私たち世代で地球を終わらせないために、
今日一日をどう過ごすかを、考えていこう
と思います。
さて、今回のテーマは「組織の同質化」に
ついてです。
先日、ある企業の中間管理職向けに、人材
育成についての研修をさせていただきました。
私の研修は、「いつでも質問・中断OK」と
しています。
疑問が生じた際は、その場ですぐに解決して
進めてほしいとお伝えしているので、研修中
は質問がどんどん出てきます。
そこで、ある新任管理職のの方から質問を受
けました。
年代的には、私とだいたい同じ40代の方です。
「私たちは学生の頃から、体育会系で育て
られてきました。
部活のサッカーでは、水は飲ませてもらえな
いのはあたりまえ。
トイレすら行かせてもらえず、倒れたフリを
して、グラウンドの土を掘り、わずかな水を
すすっていました(皆どよめく)。
ところが、今の若い世代は、とにかくナイー
ブです。
叱るどころか、少し注意しても大げさに傷つ
き、身動きが取れなくなる。
そのくせ、やらない理由は一人前(皆笑う)。
私たち世代とあまりにも違うのです。
やっぱり、どうしようもないヤツって、いま
すよね?
そういうヤツは、もうあきらめても良いんで
しょうか?」
こんな質問でした。
「やつは優秀な大学卒業したのに、使えない」
このたぐいの辛辣なコメントは、多くの企
業において、昔から変わることなくささか
やかれていますね。
時代がいくら変わろうが、私が新社会人と
なった20数年前から、少なくとも変わって
いないような気がします。
少子化、IT革命、情報革命、AIの時代…
そして、「平成」の終焉…
これだけのことが猛スピードで変化していく
のをよそに、なぜいっこうにこの問題は解決
しないのでしょうか?
先の、質問された方には、私はこのように回
答しました。
「気持ちは、よくわかります。
どうしようもないヤツはどうしようもない。
ある意味正しいと思います。
ただ、それは、私たち上司が判断した瞬間、
本当に彼は”どうしようもない人間”と決まっ
てしまいます。
そして御社の中で、この瞬間から、ずっと
”どうしようもない人間”というレッテルが
貼られたまま、会社にいることになるわけ
です。
上司が最初に部下に貼るレッテルとは、
本当に恐ろしいものです。
そして…
私たちが若手に文句を言いたくなるとき、
だいたいの場合が”昭和へのノスタルジー”
にすがっている、ということはハッキリ
言っておきます。
私も”団塊ジュニア世代”。
昭和への郷愁を感じる気持ちはわかります。
でも、ですよ。
そんなに、昭和の時代って、
私たちがされてきた教育って、
正しかったでしょうか?
その教え通りに、ニュータイプの彼らを
導いたとして、彼らは成功しますかね??」
質問をしてくれたそのマネージャーだけ
でなく、その他40名の受講者の皆様は
一様に、
「うーん…」とうなりました。
若手に感じる、ヒエラルキーのカベ。
時代が求める価値に、忠実にしたがって
きた人ほど、そのカベは高く感じるもので
しょう。
あの無意味で、ナンセンスな「部活文化」
は、私にとっても、「社会」を思わせる
初めての世界でした。
先の、サッカー部員の話でなくとも、
バスケ部だった私も、毎日コーチに顔を
殴られたり、体を蹴られたりしていました。
そういう状況で、
「社会って、こういうものなんだ」
と無意識に、社会というものを部下に投影
し、刻み込んでいたと思います。
こうやって、昭和という時代は、まだ従順
な子供の脳みそに、
「社会=目上の命令に絶対服従」
という公式を強烈に刻み込んでいきました。
これを私は、人材育成における「昭和ノス
タルジー」と呼んでいます。
昭和ノスタルジーとは、
部活文化から受け継がれてきた「同質化」。
その「同質化」に感じる郷愁です。
生まれ落ちてから社会に出るまで、やたら
と人口が多かった私たち世代は、
学校や部活で、かなり「雑」な扱いを受け
て来たと思います。
育てる側からすれば、一人ひとりの「個性」
など二の次。
そんなものにイチイチかまっていたら、この
大勢いる生徒や部員たちをまとめられません。
なので、やむなくこう言うわけです。
「皆に合わせろ。右にならうんだ。
皆と同じであるかぎりは、問題ない」
と。
「同質化」とは、こういうことです。
私たちはつまり、
「同質化」が普通だという価値観を無意識
のうちに、刷り込まれてきた世代と言えます。
そして悲しいことに、人は、自分がされて
きたことを、そのまま人に対しておこなう
習性をもちます。
犯罪者の子供に犯罪率が多いように…
貧困家庭で育った子供がやはり貧困になるように…
そして当然、私も、私たち世代も、「同質
化」が悪いことだとは思わず、無意識に、
「私と同じことをやっておけば問題ない」
と、下の世代に迫ることになるわけです。
たしかに必要だとは思いながらも、
「個性の活かし方」など、知る由もありません。
もはや日本企業のお家芸である「パワハラ」
問題が後を絶たないのも、本質的には部活文
化があるせいだと、私は解釈しています。
昭和のノスタルジーにすがる構図は、
こうやって社内に根強く残っていきます。
しかし、昭和も終わり30年が経ち、平成も
終わろうとしている今、
いい加減私たちは、目を覚まさないといけ
ません。
「異質こそ、創造のタネ」
である事実を受け入れなければいけません。
純粋培養の土壌に混入した「異物」。
異物はそのまま土壌に同化されていくか、
あるいはまったく異なる異質の土壌に
作り変えてしまいます。
しかし、もう「同質化」で成功できた
時代は終わっています。
ビジネスの成功原則そのものが、
「同質化」から「多様化」に変わって
いるのです。
「価値観が合わない」
「考えていることがわからない」
「私のやり方とは違う」
というのは、「同質化」時代では毛嫌い
される理由となりました。
でも、「多様化」時代では、歓迎される
べき理由になるのです。
異物が混入してくれば、最初は当然、混乱
が生じます。
でも、その異物は、
それまでの「あたり前の異常性」を指摘
してくれる存在になります。
存在価値自体が疑われるほどに、つらい
混乱になるかもしれません。
しかし、その異物によって突きつけられる
摩擦の、一つ一つを冷静に検証することは、
それまで見過ごされてきた特殊な異常性に
決着をつけ、さらに一つ上のステップに
上がることができるチャンスでもあります。
若手のひとつひとつの行動はたしかに、
未熟で礼儀知らずな部分もあるのは事実。
しかし、それにいちいち腹を立てることが
あれば、その瞬間に、
「なんでこんなにいら立つのだろう?」
と自問してみてください。
そこには、我々の立ち位置から、
根本的にやり方を見直す機会もあるのです。
異物は、刺激をくれます。
刺激を「なかったこと」にするのではなく、
今のわが社に何が必要とされているのか?
を考え、必要があれば根本から作り直す機会
にしてほしいと、私は思います。
そんなときに効果を発揮するのは、この
たったひとつの問いかけです。
「なんで、そう思うの?」
そう問いかけてあげてください。
その答えを、下手でも、意味不明でも、
まずは聴くのです。
「だから、ダメなんだ」
「私の若い頃は、黙って従ったもんだ」
なんて、ナンセンスなセリフは、間違って
も口にしていはいけません。
二度と、その人は「異物」として機能して
くれなくなります。
もちろん、マナーなど、普遍的なルールに
ついてはその対象ではなく、厳しく教える
必要はあります。
でも、そうでないかぎり、
異物を受け入れるのです。
そのためには、昭和へのノスタルジーを
捨てる、つらい努力が必要だと思います。
ただ、これは飛躍的な創造の一歩でもある
のです。
貴社の、これからの飛躍的な創造性が発揮
されることを願っています。

ほんとうの騙され方とは、
自分がほかの誰よりも一枚上手だと
思い込むことである。
引用元:若手を育てる人の「昭和ノスタルジー」
リバース・フロウの清原です。
西日本の豪雨による被害に遭われた方々に
心よりお見舞いを申し上げます。
悪天候、そして暑い日が続きますね。
温暖化の影響であることは、どうやら間違い
ないようです。
温暖化の影響であることは、どうやら間違い
ないようです。
私たちひとりひとりに「地球にやさしい生き
方」が真剣に問われています。
手遅れになる前に、そして
私たち世代で地球を終わらせないために、
今日一日をどう過ごすかを、考えていこう
と思います。
さて、今回のテーマは「組織の同質化」に
ついてです。
先日、ある企業の中間管理職向けに、人材
育成についての研修をさせていただきました。
私の研修は、「いつでも質問・中断OK」と
しています。
疑問が生じた際は、その場ですぐに解決して
進めてほしいとお伝えしているので、研修中
は質問がどんどん出てきます。
そこで、ある新任管理職のの方から質問を受
けました。
年代的には、私とだいたい同じ40代の方です。
「私たちは学生の頃から、体育会系で育て
られてきました。
部活のサッカーでは、水は飲ませてもらえな
いのはあたりまえ。
トイレすら行かせてもらえず、倒れたフリを
して、グラウンドの土を掘り、わずかな水を
すすっていました(皆どよめく)。
ところが、今の若い世代は、とにかくナイー
ブです。
叱るどころか、少し注意しても大げさに傷つ
き、身動きが取れなくなる。
そのくせ、やらない理由は一人前(皆笑う)。
私たち世代とあまりにも違うのです。
やっぱり、どうしようもないヤツって、いま
すよね?
そういうヤツは、もうあきらめても良いんで
しょうか?」
こんな質問でした。
「やつは優秀な大学卒業したのに、使えない」
このたぐいの辛辣なコメントは、多くの企
業において、昔から変わることなくささか
やかれていますね。
時代がいくら変わろうが、私が新社会人と
なった20数年前から、少なくとも変わって
いないような気がします。
少子化、IT革命、情報革命、AIの時代…
そして、「平成」の終焉…
これだけのことが猛スピードで変化していく
のをよそに、なぜいっこうにこの問題は解決
しないのでしょうか?
先の、質問された方には、私はこのように回
答しました。
「気持ちは、よくわかります。
どうしようもないヤツはどうしようもない。
ある意味正しいと思います。
ただ、それは、私たち上司が判断した瞬間、
本当に彼は”どうしようもない人間”と決まっ
てしまいます。
そして御社の中で、この瞬間から、ずっと
”どうしようもない人間”というレッテルが
貼られたまま、会社にいることになるわけ
です。
上司が最初に部下に貼るレッテルとは、
本当に恐ろしいものです。
そして…
私たちが若手に文句を言いたくなるとき、
だいたいの場合が”昭和へのノスタルジー”
にすがっている、ということはハッキリ
言っておきます。
私も”団塊ジュニア世代”。
昭和への郷愁を感じる気持ちはわかります。
でも、ですよ。
そんなに、昭和の時代って、
私たちがされてきた教育って、
正しかったでしょうか?
その教え通りに、ニュータイプの彼らを
導いたとして、彼らは成功しますかね??」
質問をしてくれたそのマネージャーだけ
でなく、その他40名の受講者の皆様は
一様に、
「うーん…」とうなりました。
若手に感じる、ヒエラルキーのカベ。
時代が求める価値に、忠実にしたがって
きた人ほど、そのカベは高く感じるもので
しょう。
あの無意味で、ナンセンスな「部活文化」
は、私にとっても、「社会」を思わせる
初めての世界でした。
先の、サッカー部員の話でなくとも、
バスケ部だった私も、毎日コーチに顔を
殴られたり、体を蹴られたりしていました。
そういう状況で、
「社会って、こういうものなんだ」
と無意識に、社会というものを部下に投影
し、刻み込んでいたと思います。
こうやって、昭和という時代は、まだ従順
な子供の脳みそに、
「社会=目上の命令に絶対服従」
という公式を強烈に刻み込んでいきました。
これを私は、人材育成における「昭和ノス
タルジー」と呼んでいます。
昭和ノスタルジーとは、
部活文化から受け継がれてきた「同質化」。
その「同質化」に感じる郷愁です。
生まれ落ちてから社会に出るまで、やたら
と人口が多かった私たち世代は、
学校や部活で、かなり「雑」な扱いを受け
て来たと思います。
育てる側からすれば、一人ひとりの「個性」
など二の次。
そんなものにイチイチかまっていたら、この
大勢いる生徒や部員たちをまとめられません。
なので、やむなくこう言うわけです。
「皆に合わせろ。右にならうんだ。
皆と同じであるかぎりは、問題ない」
と。
「同質化」とは、こういうことです。
私たちはつまり、
「同質化」が普通だという価値観を無意識
のうちに、刷り込まれてきた世代と言えます。
そして悲しいことに、人は、自分がされて
きたことを、そのまま人に対しておこなう
習性をもちます。
犯罪者の子供に犯罪率が多いように…
貧困家庭で育った子供がやはり貧困になるように…
そして当然、私も、私たち世代も、「同質
化」が悪いことだとは思わず、無意識に、
「私と同じことをやっておけば問題ない」
と、下の世代に迫ることになるわけです。
たしかに必要だとは思いながらも、
「個性の活かし方」など、知る由もありません。
もはや日本企業のお家芸である「パワハラ」
問題が後を絶たないのも、本質的には部活文
化があるせいだと、私は解釈しています。
昭和のノスタルジーにすがる構図は、
こうやって社内に根強く残っていきます。
しかし、昭和も終わり30年が経ち、平成も
終わろうとしている今、
いい加減私たちは、目を覚まさないといけ
ません。
「異質こそ、創造のタネ」
である事実を受け入れなければいけません。
純粋培養の土壌に混入した「異物」。
異物はそのまま土壌に同化されていくか、
あるいはまったく異なる異質の土壌に
作り変えてしまいます。
しかし、もう「同質化」で成功できた
時代は終わっています。
ビジネスの成功原則そのものが、
「同質化」から「多様化」に変わって
いるのです。
「価値観が合わない」
「考えていることがわからない」
「私のやり方とは違う」
というのは、「同質化」時代では毛嫌い
される理由となりました。
でも、「多様化」時代では、歓迎される
べき理由になるのです。
異物が混入してくれば、最初は当然、混乱
が生じます。
でも、その異物は、
それまでの「あたり前の異常性」を指摘
してくれる存在になります。
存在価値自体が疑われるほどに、つらい
混乱になるかもしれません。
しかし、その異物によって突きつけられる
摩擦の、一つ一つを冷静に検証することは、
それまで見過ごされてきた特殊な異常性に
決着をつけ、さらに一つ上のステップに
上がることができるチャンスでもあります。
若手のひとつひとつの行動はたしかに、
未熟で礼儀知らずな部分もあるのは事実。
しかし、それにいちいち腹を立てることが
あれば、その瞬間に、
「なんでこんなにいら立つのだろう?」
と自問してみてください。
そこには、我々の立ち位置から、
根本的にやり方を見直す機会もあるのです。
異物は、刺激をくれます。
刺激を「なかったこと」にするのではなく、
今のわが社に何が必要とされているのか?
を考え、必要があれば根本から作り直す機会
にしてほしいと、私は思います。
そんなときに効果を発揮するのは、この
たったひとつの問いかけです。
「なんで、そう思うの?」
そう問いかけてあげてください。
その答えを、下手でも、意味不明でも、
まずは聴くのです。
「だから、ダメなんだ」
「私の若い頃は、黙って従ったもんだ」
なんて、ナンセンスなセリフは、間違って
も口にしていはいけません。
二度と、その人は「異物」として機能して
くれなくなります。
もちろん、マナーなど、普遍的なルールに
ついてはその対象ではなく、厳しく教える
必要はあります。
でも、そうでないかぎり、
異物を受け入れるのです。
そのためには、昭和へのノスタルジーを
捨てる、つらい努力が必要だと思います。
ただ、これは飛躍的な創造の一歩でもある
のです。
貴社の、これからの飛躍的な創造性が発揮
されることを願っています。

~人生とビジネスをフローにするために★☆
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
ほんとうの騙され方とは、
自分がほかの誰よりも一枚上手だと
思い込むことである。
引用元:若手を育てる人の「昭和ノスタルジー」
