こんにちは。
リバース・フロウの清原です。

 

5月というのに、昼間はまるで真夏の暑さですね。

まだしつこく花粉症を引きずる私ですが、先の

大型連休が始まる前の週。

私は生まれ故郷の飛騨高山で、初めて講演をさせ

ていただきました。

 

参加者は、今年から地元で働き始めた新社会人

の皆さん。

私とは親子ほど年が離れつつある若者たちです。

 

そんな若者たちに何を話したらよいのか?

 

全面的にテーマを任された結果、私が選んだの

は、「天職」についてでした。

 

 

今回のコラムは、若者たちを預かる社長に向け

ての応援メッセージのつもりで書いています。

 

若者たちに、ぜひこの話を聞かせてあげてくだ

さい。

 

 

私は、独立を含めて転職回数が6回。

(ちなみに引っ越しの回数は15回)

 

思い返すと、二十数年前に新社会人となり、

3年前に独立するまでずっと、転職を重ねながら

「天職」を探していた気がします。

 

そんな私だからこそ、気づいていることが

あります。

 

あの頃、こんな話をだれかから聞いていたら、

自分はもしかしたら、

もっと早く仕事の面白さに気づいていたかも

しれないな、と。

 

 

それは一言

 

「おまえ。天職なんて探したってないんだよ」

 

という言葉を聞けていたら、と。

 

 

 

 

「こんな仕事がしたかったんじゃない」

 

社会人になりたての私は、与えられた仕事に

対して、不満だらけでした。

 

そのうえ、上司にすぐに盾突くわ、社長からの

食事の誘いを断るわ…

 

とにかく、不平、不満だらけの社会人でした。

 

その根っこには、

「こんな仕事がしたかったんじゃない」という

思い込みがあったからです。

 

そして、よくあるパターンとして3年ほどで、

会社を辞めました。

「この会社ではやりたいことできない」という

理由で。

 

しかし、その後いったん独立して仕事が軌道

に乗ると、また例の不満がたまってきたわけ

です。

 

「これも、やりたかったことじゃない…」

という思いに、またしてもかられ始めました。

 

4年後、事業を辞めて就職しました。

 

この後のことは、想像に難くないでしょう。

5~6年したら転職。この繰り返しです。

 

そんな私はいつも思っていました。

「これは自分の天職じゃない。

次の環境にこそ、それがある」と。

 

 

ただ、面白いことに、自分にとってはポジ

ティブなことも起きていました。

 

年を重ねるにしたがい、

 

仕事に文句を言っている自分がイヤになる

 

ということです。

 

 

いわゆる「仕事観」というものが変わったの

は、33歳のときでした。

 

銀行員として再就職した時代です。

 

当時、私は起業家から一転銀行員となって

いました。

 

その当時のことは、とても新鮮でした。

 

自分が営業で使うモノが、何もかも、会社の

資産として、与えられるのです。

 

パソコンも、ケータイも、ノートも、ペンも。

そして、銀行というカンバンまで「タダ」で

使える…

 

会社にいる社員たちにとっては当たり前の

ことかもしれません。

 

しかし、消しゴムひとつ買うのに、自腹を

切ってきた私にとって、

そこはまるで異世界でした。

 

世間に名の通ったカンバン。

営業のしくみも、モノも、カネ、知名度も

あるわけです。

 

これで、仕事ができないわけがない。

 

しかし、さらに驚いたのは、そんな恵まれ

た状況にあって、多くの銀行員は仕事や

上司のグチばかりこぼしていたことです。

 

これには心底、驚きました。

 

20代のころの私が、そこにたくさんいたのです。

 

文字通り、毎日が衝撃でした。

カネをもらって、知名度をもらって、ツールを

与えられて文句を言っている人種…

 

これが、サラリーマンという人種でした。

 

 

そんな私はいつの間にか、「青い鳥」スパイラル

から脱していたようです。

 

いつの間にか、ではありません。

 

いったん社会から起業という形でドロップ

アウトし、会社に再就職したという、激しい

振れ幅が、私の目を覚ましてくれたのでしょう。

 

銀行時代は入社の瞬間から、スタートダッシュ。

気がつけば4年後には、幹部職の一歩手前まで

来ていました。

 

その4年間、なにを感じていたか。

 

「天職はなかった」

 

という、とてもすがすがしいあきらめ感です。

 

 

「ここにはないどこかに天職が待ってる」

という、妄想から解き放たれ、とにかく

無我夢中で誰よりも成績を挙げることに

集中していました。

 

楽しいとか、楽しくないとか、あまり感じま

せんでした。

 

「やるしかない」というあきらめです。

 

そして、次の独立のときが来ました。

 

それは「やりたいことが見つかった」では

ありませんでした。

 

「今の仕事の中に、天職があった。

そして、そろそろそれだけに集中したかった」

 

という、これまでとは別の理由です。

 

社会に出て、15年目にして、ようやく腑に

落ちた自分なりの「天職」という感覚です。

 

まさに、

あきらめて、目の前の仕事に向き合ったときに、

はじめてそれが天職だったと知ったのです。

 

私の場合、それは「人材開発」でした。

そして、それをやるなら、もうあとは独立する

くらいかな、という具合です。

とても、力が抜けた、まさにフローな状態で

今の私にいたったのです。

 

 

リーマンショックが来ようが、パワハラ上司

と言われようが、

 

目の前の仕事を、最高のカタチに仕上げること

を優先した結果、私はいろんなことを学んで

いたようです。

 

苦節15年、という感じです。

 

 

 

そして、私は先日、若者に伝えました。

 

「天職なんて、探したってないんだよ」

 

と。

 

 

つまり、こういうことです。

 

「天職」というのは、探すものではないのです。

 

 

今の、目の前の、与えられた仕事。

 

それを「天職」だと自分に思い込ませること。

 

 

すると、不思議です。

 

自然と、「感謝」の念が湧きます。

 

自然と、「今まで見えなかったもの」が見えて

きます。

 

自然と、「工夫」をしたくなります。

 

自然と、なんだか「幸せ」な気分になります。

 

結果、自分にしかできない仕事の成果に

つながっていくのです。

 

 

例えば、病院のトイレの清掃のお仕事をして

いるとしましょう。

 

ある清掃スタッフは、

「これが食いブチだから、仕方ない」と思う。

 

すると、その仕事ぶりは、

だらだら、いやいや、いい加減になります。

 

 

でも、また別の清掃スタッフは、

「これは、院内感染を防ぐための、重要な

仕事」と思う。

 

すると、その仕事ぶりは、

気迫あふれ、生き生きと、抜かりなくなります。

 

同じトイレ清掃でも、「見方」をたった一つ

変えるだけで、その成果がまるで違ったものに

なるわけです。

 

 

 

私が生まれ故郷の若者たちに伝えたのは、

 

天職は目の前にあるその仕事なんだよ

 

ということでした。

 

私は、新社会人になったころ、この話がいちば

ん聞きたかったのです。

 

果たして、どこまで本人たちに伝わったかは、

わかりません。

 

 

しかし、仕事で行き詰まったときに、

 

「ああ、あのとき、やたら熱いオッサンが

そんなこと言ってたっけ。

もうちょっと、がんばってみるか」

 

くらいに思ってくれる人が一人でもいたら、

私はうれしいです。

 

 

社長。

 

若い社員たちに、どんな仕事観を持たせたい

ですか?

 

私なら間違いなく、今の仕事の見方を変える

ことから始めます。

 

「その仕事は、誰を幸せにしているのか?」

 

そんなことばかりを考えさせるかな、と。

 

 

彼らが末永く、御社にとびっきりの貢献をして

くれることを願っています。

 

 

 

<まとめ>
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・天職など探しても、ない。

 

・今の、目の前の仕事を天職だと思うと、

取り組み方がまるで違ってくる

 

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~人生とビジネスをフローにするために★☆

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

「自分のうちに安らぎを見出せない者が、

 

それを外に求めても無駄である」

 

 

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引用元:若者をあずかる社長へ。"天職"はあるのか?