こんにちは。

リバース・フロウの清原です。

 

花粉の季節がピークを迎えようとしていますね。

 

私は花粉症を自覚し始めてかれこれ30年余年。

色々対策は試してみているものの、効果はいま

一つ。

毎年この時期は外に出るのが、非常に億劫になり

ます。

できれば、室内とか車内に閉じこもっていたい。

花見など狂気の沙汰(笑)

 

そんな日々を過ごしています。

 

皆さんは、どんな対策をうたれているのでしょ

うか。

 

 

さて、今回のコラムテーマは、

「ネガティブ感情とのつき合い方」について

です。

 

私はクライアントを始め、よく会う方たちから、

「清原さんて、怒ることあるんですか?」

と聞かれます。

 

また、私のコラムを読んでくださってる方からは、

「清原さんが、そんな過去を持ってたなんて

想像できないです」

(詳しくばバックナンバーをお読みください)

とよくコメントいただきます。

 

 

正直に申し上げます。

私はじつは、穏健で理性的どころか、その反対

の面をむしろ多く持っている人間です。

 

 

あるときは、たいへん感情的です。

だから、喜怒哀楽がわかりやすく出ます。

良い面が出れば良いのですが、怒りの感情も

激しく出るときがあります。

 

あるときは、たいへん直感的です。

ふだんは理屈っぽく話を組み立てるくせに、

まったく説明ができないほど直感に動かされ

るときが、よくあります。

後で理屈をつけるのに苦労します。

 

あるときは、たいへん好き嫌いが激しいです。

好きなタイプの人は、私よりも優れている人。

尊敬できない人には、興味が持てなくなります。

でも、尊敬できるまで良いところを見つける

才能はあると思ってます。

 

 

そんな部分を持ち合わせている自分ですが、

「人材開発」「組織開発」の専門家である自覚

も、同時に持っています。

 

したがって、自分の内面にある「よろしくない

自分」をうまくコントロールすることが、とう

ぜん求められます。

 

そんなわけで、自分で言うのもヘンですが、自

分なりに自分のクセを冷静に把握しているつも

りではあるのです。

 

 

今回のこのテーマは、タイトルからすると、

「はいはい。アンガーマネジメントの類いね」

と思われるかもしれません。

 

まあ、広義でいえばそうかもしれません。

 

でも、そううまくは展開させないつもりです。

 

 

アンガーマネジメント、

怒りのコントロール、

マインドフルネス…などなど。

 

自分の感情をコントロールするやり方が、ここ

数年きわ立ってもてはやされています。

 

ビジネスシーンでも「マインドフルネス」とい

う言葉が、普通に共通言語化しているのは驚き

です。

 

それほどこの現代社会はストレスが蔓延してい

るということでしょう。

 

ところが、それらの概念や手法を実践でき、か

つ効果をあげている人は、どれだけいるのでし

ょうか。

 

 

当社のクライアントでも、

 

「言葉も概念も手法も知っているけど、イマイ

チ効果が実感できない」

 

「座禅をしてるけど、イライラは消えない」

 

と言う経営者が大半です。

 

 

このコラムでは、なにもその概念を否定したり、

ケンカを売ろうとしているわけではありません。

 

むしろ、こうした概念がもてはやされてる時代

背景も理解していますし、そういった考え方は

意義あるものだと思っています。

実際に、それによって救われている人たちも

知っています。

 

でも、私なりに思うことがあって、コラムのテー

マにしたのです。

 

それは、あるきっかけがあったからです。

 

 

コラムとして記事にしようかどうか、正直迷い

ましたが、

「リアルにこそ真実がある」、といつも言って

いる通りにしてみようと思いました。

 

この経験が、なによりクライアントをはじめ

読者の皆さまの役に立てれば、私も報われます。

 

 

そのきっかけとは、この週末にやってしまった、

長男との大バトルでした。

 

経緯については割愛しますが、とにかくやって

しまったのです。

今まで経験したことのないほどの、派手なやつ

でした。

 

このときに爆発した私の怒り。

告白すると、じつはあのとき、理性で止めるこ

とはできませんでした。

あんなのは初めてでした。

 

アンガーマネジメント

マインドフルネス

座禅…

 

それなりに学んだはずの自分が、次々に湧き出

てくる怒りを抑制できないことに、怖さを感じ

ました。ゾッとしたのです。

 

ふだんからセルフコントロールについての重要性

をクライアントに説いている私が、これではシャ

レになりません。

 

 

思春期で反抗期の長男も、たしかに口は立ちます。

父親のいちばんの急所も知っています。

 

挑発に乗り、しばし猛烈な勢いでその長男とやり

あった後でした。

ふと我に返り、周りに散乱したモノが目に入り、

腰をかがめてそれらを拾いながら、「これはいっ

たい何だ」と自問していました。

 

「俺はいったいどうなったんだ?」と。

 

理想の家族のイメージ。

理想の父親のイメージ。

それらが私にはあったはずです。

 

「今の自分はどうだ?」と。

誰が見ても、そんな理想の父親とは、真反対の

姿を、しかも息子の前でさらしている、と。

 

片付けが終わり。

「ちょっと話をしよう」と長男にあらためて

声をかけました。

 

私は恐らく初めて、長男に手をついて頭を

下げました。

つまり、自分が父親失格同然であることを、

自覚せざるを得なかったから。

思春期の、敏感なこの年頃の長男に、そんな

父親の姿を見せて、申し訳ないことをしたと

心から後悔したからでした。

 

恐らく私が彼なら、こんな父親は尊敬できない

だろうな、と思います。

 

理想を大切にするあまり、つまるところ
目の前の長男に八つ当たりになったと、
思われても仕方ありません。

非を認め、謝るしかありませんでした。

 

落ちるところまで落ちたついでに、せっかく

だったのでこの際、お互い時間をとって、

人と人としての対話をしてみました。

 

私はあらためて家族への思いとか、なんで

長男の挑発に乗って、自分が今こんなに怒っ

てしまったのかを、じっくり振り返って伝え

ました。

 

何を伝えたか、はこの際、コラムの主旨で

はないため割愛させていただくとして、

とにかく私は自分の内側にあった、自分で

も気づいていなかった「ドス黒い部分」と

向き合わざるをえませんでした。

 

 

そして話しながら気づいたことがあります。

 

怒りのコントロールをするために、必要だ

とあらためて思い知った、2つのことです。

 

 

1つ。

怒りの根っこをハッキリつかんでおくこと。

 

1つ。

怒りは自体は消せない。

だから、誰もいないところで小出しにすること。

 

 

この2つは、まずは感情のコントロールに

取り組むための、大・大前提だと思います。

 

 

まずひとつめの

「怒りの根っこをハッキリつかんでおくこと」

とは、

「今生じている怒り」についてではありません。

 

 

「自分は、どうなると怒るのか?」

 

「それは、そもそも何が遠因しているのか?」

 

をつかんでおくのです。

 

 

私の場合は、怒りを引き起こすのは

「恐れ」でした。

 

理想の家族像。理想の父親像。

私が勝手に描いていたその理想が、ガラガラと

崩れていく。

父親として機能していない自分を、認めたくな

い。

 

理想を少しでも崩されることが怖かったのです。

 

理想と現実のギャップから目を背けたかった

のでしょう。

こうした「恐れ」。

 

またさらに、体力的にも、先週はハードでした。

たまった疲れが金曜にピークとなり、ふと気を

抜いたタイミングだったこともありました。

 

こうしたことが遠因して、どこかで「怒り」と

なって噴出したようです。

 

これで、私は自分の怒りの遠因とパターンを、

よーく思い知らされました。

 

理想と現実のギャップに生まれる恐れ。

そして、疲れ。

 

つまり、怒りそのものでなく、これらの原因

それぞれをコントロールできれば、怒りも結果

として、自然とコントロールできるのではない

か、と。

 

怒りとして噴出した瞬間、それはもうコントロ

ールが難しい。

これが、私の結論です。

 

ということは、それが出ないように工夫する

ことの方がよほど得策ですし、効果もありそう

です。

 

自分がどんなことが遠因で怒るのか。

その遠因しているものを、あらかじめコントロ

ールする、という考え方です、

 

私の場合、少なくとも「疲れて余裕がなくなっ

てる自分」を自覚しさえすれば、最悪の事態を

防ぐことができたかもしれないです。

 

また、理想にしがみつくことよりも、目の前の

現実に対処することを優先するよう切り替えて

いれば、切り抜けられたかもしれません。

 

 

そしてふたつめ。

「怒りは自体は消せない。小出しにすること」

 

私は心のどこかで「すぐ怒るやつは、マヌケだ」

と思っていたようです。

 

つまり、怒る人間はどこかアホっぽくて、

教養がない、と思っていたため、

 

いざ自分が怒りを覚えても、少々のことはやり

過ごすことができていたようです。

 

 

しかし、気づきました。

 

 

やり過ごせているのではない。

自覚なく、少しずつ怒りを溜め込んでいた

だけだ、と。

 

たしかに私も良い年のオトナですから、昔と

比べれば、ずいぶん「気が長くなったな」と

思います。

予想外のできごとや、考え方も受け入れるよう

にもなりました。

 

たいがいのことには、笑って乗り切るコツも

持っています。

 

 

しかし、だからといって、

「怒り」そのものは死んでいないのです。

 

 

怒りを鎮める、という言葉が世間にはあります。

 

怒りを殺す、とは言いませんよね。

 

なぜなら、怒りというのは、感じなくすること

はできないからです。

 

 

私は勘違いしていました。

 

ヒューマンスキルを磨いていけば、いま感じて

いる怒りも、やがて感じなくなるはずだ、と。

 

でも、怒りは、いくら人間的に成長しても、

消えるものではないのです。

 

 

私はここがわかっただけでも、ずいぶんと

気が楽になりました。

 

なるほど。

ムリに感じなくなろうとする必要はないんだ。

ムリに消そうとする必要はないんだ。

と。

 

 

知り合いから聞いた話です。

 

喜怒哀楽の感情のなにかひとつを感じなくさ

せることは、残りの感情も同じように感じなく

させる、と。

 

怒りを感じなくしようとしていることは、

喜びも哀しみも楽しみも、同じように感じなく

しようとしていること。

 

そのとき気づきました。

 

つまり、このままいけば、怒りも感じない

かわりに、喜び楽しみも哀しみも感じない、

「不感症」になるだけだ、と。

 

 

それなら、どうすれば良いのか。

 

私は、ひとつの有効な方法として、

 

「小出しにすること」

 

つまり、溜め込まない工夫をすることだと

思います。

 

そもそも私たちは、成長してわざわざ「機械」

になろうとしているわけではありません。

 

肝心なときに最高のパフォーマンスをあげて

いれば、あとはすべて感情の動物であって良い、

と思います。

 

 

怒るときは、ちゃんと怒りを感じるのです。

 

そして、その感情をどこか、人の迷惑になら

ないタイミングと場所まで運んでいって、

そして、思いっきり吐き出せば良いのです

 

けっして、怒っている自分を嫌わないで良い

のです。

 

誰もいない部屋に帰って、大声で叫ぶ。

ひとりカラオケで絶叫する。

ボクシングジムに行ってサンドバッグを

どつきまくる。

 

人を傷つけないあらゆる方法を、探すのです。

 

私は今のところ、この「物理的な場所」がなか

ったことに気づきました。

 

そして、昔よりも怒りを抑えられている自分

に、すっかり油断していたのです。

 

怒りは、間違いなくあったのです。

 

そして、まるで容量オーバーになるように、

ほんの少しのきっかけで、爆発することを経験

しました。

 

これでは、それこそハタ迷惑です。

 

 

感情の生き物として、今の自分があることを

素直に受け入れ、

 

うまく自分の「機嫌をとる」ことができれば

 

とてもハッピーな人生になると思いませんか?

 

 

 

<まとめ>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

・アンガーマネジメントやマインドフルネスが

がうまくいかない原因は、自分を深く掘り下げ

ていないから

 

 

・怒りは消せない

 

 

・自分だけの遠因を知り、溜め込まない工夫を

すること

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

~人生とビジネスをフローにするために★☆

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆

 

(ラ・ロシュフコーより)

 

われわれの力が低下すると、

 

好みも低下する。

 

 

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引用元:ネガティブ感情とのつき合い方