今日は野球でもなく、トンネタでもなく、
木・金とうちの会社の労働組合の活動で、宮城県亘理町へボランティア活動へ行ってきました。
防潮林の苗木のお世話なのですが、その活動以外にも、震災語り部の方のお話や亘理町でボランティア活動や町の活性化に尽力されてる方のお話をうかがったりしました。
現地に行かなければわからないことだらけ。
一見、緑か多く見られる田畑も、必ずしも農地として全てが使えるものでなく、雑草がのび放題にのびてる畑もあったり、津波を防ぐために、防波堤の高さを更に高くする工事をする一方、幅も広げるために、立ち退きを迫られてる家もあったり。
そして、津波の傷跡。基礎しか残っていない家。一見、普通に建ってる家も、近づいてみると人は住んでいなかったり、イチゴ栽培が盛んな亘理町ですが、津波で被害にあい、同じ場所にはもうイチゴが作れないということで、もう放置されてしまい、これも雑草がのびまくり。
そんな中、チョウチョやトンボ、バッタがいる。
人間は、津波をさけるため、あるいはもうそこの土地に住めないからと、町を離れてしまったりだけど、虫や植物はいったんは姿を消したけども、また時が過ぎれば、何事もなかったかのようにその場所に育ち、生活をする。
地震・津波も自然のものなら、植物も虫も自然なんだなっと実感した瞬間でした。
復興してきているかもしれないけども、まだ震災が残した爪痕は見えるところや見えないところに残っているのです。
そして、今回訪れた亘理町。
実は、私が育った北海道伊達市と姉妹都市であります。
高校卒業まで住んでいた町。
親が実家に住んでるうちは、休みで帰ったりしていましたが、両親が正式に離婚してからは帰っていません。
父親もいまどこにいるかわからないのですけどね。
そういうこともあって、ふるさとのはずの伊達市、更には北海道に愛着はあまり感じていない私でした。
しかし、今回、亘理町で小学校でお茶を教えたり、カウンセラーなどとボランティア活動されてる70代の女性の方の言葉で、考えが少し変わりました。
私が自己紹介で、伊達市の出身だとお話したところ、その方は「伊達市の皆さんには、震災のとき、ボランティアとしてもとても援助してくださったし、ほんとうに感謝しています」と涙を浮かべながら言ってくださいました。
その時、私はなんとも言えない感情がわいてきて、同じように涙がこぼれて、その後も止まりませんでした。
「良かった」そんな思いが胸に浮かびました。
正直、北海道は他の都府県よりも、東北と関わり合いが深いはずなのに、震災関連の報道も聴かなくなってきてます。
そんな中で、今も姉妹都市関係だからかもしれませんが(というか、伊達市は、幕末亘理藩のお殿様はじめとした多くの人々が北海道にやってきて、開拓してつくった町なんです)、被災地支援を続けているところがあって、それが自分の育った町ってことに驚き、またそこに感謝している方々がいてくれるっていうことに、はっとしたのです。
そうか
ちゃんと忘れていない人たちもいるんだ
それが私が育った、伊達市だったんだ。
こんなに感謝してもらえてるんだ。
なんてありがたいことなんだろ・・
小さな田舎町だけど、自分たちのご先祖様のふるさとを今も大切に思う、その気持ちを持っていることを誇りに思えました。
今回のこときっかけに、少し、心に引っかかっていた思いが、すっとなくなったように思います。
まだ、一度帰ってみようかって・・まだ思えないけど。
そうした絆が今もまだしっかりあることが、くすぐったいけども、嬉しく感じた私でした。
木・金とうちの会社の労働組合の活動で、宮城県亘理町へボランティア活動へ行ってきました。
防潮林の苗木のお世話なのですが、その活動以外にも、震災語り部の方のお話や亘理町でボランティア活動や町の活性化に尽力されてる方のお話をうかがったりしました。
現地に行かなければわからないことだらけ。
一見、緑か多く見られる田畑も、必ずしも農地として全てが使えるものでなく、雑草がのび放題にのびてる畑もあったり、津波を防ぐために、防波堤の高さを更に高くする工事をする一方、幅も広げるために、立ち退きを迫られてる家もあったり。
そして、津波の傷跡。基礎しか残っていない家。一見、普通に建ってる家も、近づいてみると人は住んでいなかったり、イチゴ栽培が盛んな亘理町ですが、津波で被害にあい、同じ場所にはもうイチゴが作れないということで、もう放置されてしまい、これも雑草がのびまくり。
そんな中、チョウチョやトンボ、バッタがいる。
人間は、津波をさけるため、あるいはもうそこの土地に住めないからと、町を離れてしまったりだけど、虫や植物はいったんは姿を消したけども、また時が過ぎれば、何事もなかったかのようにその場所に育ち、生活をする。
地震・津波も自然のものなら、植物も虫も自然なんだなっと実感した瞬間でした。
復興してきているかもしれないけども、まだ震災が残した爪痕は見えるところや見えないところに残っているのです。
そして、今回訪れた亘理町。
実は、私が育った北海道伊達市と姉妹都市であります。
高校卒業まで住んでいた町。
親が実家に住んでるうちは、休みで帰ったりしていましたが、両親が正式に離婚してからは帰っていません。
父親もいまどこにいるかわからないのですけどね。
そういうこともあって、ふるさとのはずの伊達市、更には北海道に愛着はあまり感じていない私でした。
しかし、今回、亘理町で小学校でお茶を教えたり、カウンセラーなどとボランティア活動されてる70代の女性の方の言葉で、考えが少し変わりました。
私が自己紹介で、伊達市の出身だとお話したところ、その方は「伊達市の皆さんには、震災のとき、ボランティアとしてもとても援助してくださったし、ほんとうに感謝しています」と涙を浮かべながら言ってくださいました。
その時、私はなんとも言えない感情がわいてきて、同じように涙がこぼれて、その後も止まりませんでした。
「良かった」そんな思いが胸に浮かびました。
正直、北海道は他の都府県よりも、東北と関わり合いが深いはずなのに、震災関連の報道も聴かなくなってきてます。
そんな中で、今も姉妹都市関係だからかもしれませんが(というか、伊達市は、幕末亘理藩のお殿様はじめとした多くの人々が北海道にやってきて、開拓してつくった町なんです)、被災地支援を続けているところがあって、それが自分の育った町ってことに驚き、またそこに感謝している方々がいてくれるっていうことに、はっとしたのです。
そうか
ちゃんと忘れていない人たちもいるんだ
それが私が育った、伊達市だったんだ。
こんなに感謝してもらえてるんだ。
なんてありがたいことなんだろ・・
小さな田舎町だけど、自分たちのご先祖様のふるさとを今も大切に思う、その気持ちを持っていることを誇りに思えました。
今回のこときっかけに、少し、心に引っかかっていた思いが、すっとなくなったように思います。
まだ、一度帰ってみようかって・・まだ思えないけど。
そうした絆が今もまだしっかりあることが、くすぐったいけども、嬉しく感じた私でした。
