rdoqgo042yのブログ

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昨晩僕は我が家に帰宅後、自分で夕食を作りました。
最近、週に3回位作ります。
理由はその方がおいしいからというのと、家族が喜ぶからです。
全員妻の料理はまあ悪くないという程度で、料理にうるさい僕はそれに対して文句を言わず、ならば自分で作る。
という結なります。
そして皆でコタツを囲い、3人がおいしいと言って食べる姿が最近の僕の幸せの瞬間でもあります。
さて、昨晩僕は料理を作ってコタツに入った後、今日は特別な日だ。
乾杯しよう。
と言い、グラスにビールを注ぎました。
当然、3人ともとなり、妻が何かあったのと聞く。
彼女はニュースなど殆ど見ない事もあり、僕が一体何を言おうとしているか全くぴんと来ない様子。
まあ、こんな事を家族で祝うなんて日本中で僕位でしょうが。
タイトルにもあるのでお分かりの様に、僕は例の1999年に山口県で起きた母子殺害事件の判決により現在30歳になったという元少年の死刑が確実となった事に心底ほっとしています。
嬉しいとかそういう感情では無く、ただただ、ほっとしています。
何故、無関係な僕がこの事件に対してこの様な感情を持っていて、更に加害者の死刑を家族で祝うのか。
ちょっと異常かと自分でも思います。
しかし、妻と幼い子を持つ親としてあの事件が許されてはならない事件である事は誰が何と言おうと、そう思っています。
許すと言う言葉は定義が難しく、逮捕された懲役を受けているだから許されていないという声もあるかと思います。
しかし、僕からすれば彼が生きて、空気を吸って飯を食っている事が許せないのであって、今まで何故こんなに時間がかかったのか、その間、被害者遺族は一体どの様な精随ヤで生きなくてはいけなかったかこれを考えると、大げさな表現では無く本当に胸が苦しくなります。
前回の日記でも同じ様な事を書きましたが、結局人間は自分の事、自分の家庭の事、自分の会社の事など、自分に関わる近い事には過敏に反応し、それ以外の事に関しては、胸を痛めても結局忘れて生活しなくてはならないし、皆、自然にそうしているでしょう。
それで当然だと思います。
僕がこの事件の被害者遺族に胸を痛めるのも、やはりニュースで見た時や、ふとした時に限られ、毎日の生活の中でいつも考えている訳ではありません。
しかし、それでもこの事件の残虐性は許し難く、又、死刑反対を主張する弁護団のあの手この手も犯人に対する怒りを助長するもので、いくら仕事だとは言え、彼らも又許せない存在でした。
被害者遺族にとって彼の一刻も早い死消滅は区切りを付ける為の唯一の手段であって、彼が反省更正謝罪しようとも、遺族にとっては何の慰めにもならないでしょう。
時々考えるんですが、僕がもしも今日帰宅した時に妻が射精された状態の半裸で死んでいて、隣に我が子の遺体があったら。
直ぐにその妄想を止めなければ窒息しそうな、どうしようも無い虚無感と絶望と殺意に苛まれます。
殺意と言っても、殺す事で何かを得るという類の殺意では無く、それより他にどうしようも無いという殺意であって、ある意味必然なものだと思います。
その犯人が死ぬという事は。
本村さんは事件当時、22か23歳だったはずで、今現在は35歳となり、多少考え方は変わったかもしれませんが、それでもやはり適うのであれば自分の手で殺したいでしょう。
もしも僕ならば、彼の様な立派な対応は出来なかったでしょう。
それほどまでに彼の発する言葉や、その態度は同じ男の目線で、驚く程に完璧だと思っていました。
まあ、こんな事言っても慰めにはなりませんが。
昨日の判決を受けて、マスコミでは早くも死刑判決に対する疑問や消極ェ出ており、僕からすれば、本村さん及び被害者遺族の傷をまだほじくるつもりかという怒りが沸きます。
少年だったから精垂ェ未発達だったから反省しているから。
死刑判決への反対ヘ幾らでも作り出す事が出来る。
しかし、実際にその被害を受けた人間は殺しても足りないのに、その判決に疑問を投げるなどと言うのはナンセンスとしか思えない。
18歳は立派な大人です。
精吹u未発達ってなんじゃ誰を基準にする反省しチューリップ賞てると何故分かる反省したら何か戻って来るのか本村さんは恐らく、この判決を一つの区切りとして今後はマスコミと接触したくも無いでしょう。
知らなかったのですが、彼は再婚し支えとなってくれるパートナーと暮らしている様です。
これは本当に良かったと思うし、せめてもの救いになって欲しい。
失ったものは大き過ぎて返って来るはずも無いですが、彼はまだ若いので、今後の人生はいい意味で忘れて生きて欲しいものです。
犯罪は起きた時唐ナ全員が敗者。
彼を含め、3人の十字架を背負って生きたい。
だいたいこういう文言だったと思いますが、本村さんが死刑判決を受けた後の言葉。
あまりにも深く、察する事さえ適わない体験から来る重い言葉だと思います。
最近子供の事を書いてて、何となくその流れで書いた第288回死刑とは何か。
応報lは支持します。
人間には感情がある。
そして、その感情によって生きている。