さて、この正月は、前回の記事でも触れたように、エスパー・小林さんの新刊 『 エスパー・小林のそうだったのか「あの世」の真実 』 を読んで過ごしたわけですが、三が日を過ぎたところを見計らいつつの過日、平成最後の新年に年始めのパワスポ巡りへと行ってきました。


 まだ新年の内なので初詣なフレイバーも加味しつつ、平成最後の年をさらなる開運へと誘うパワースポットとして私が選んだのは、俗に 《 まっちやま 》 様などと呼ばれたり、あるいは、裏の世界の一部では 《 聖天神社 》 などと呼ばれてもいるらしい 《 本龍院 待乳山聖天 》 様であります。



 ここは、諸尊中に天部にしくはなく、天部中において聖天尊にしくはないとまで言われる聖天様を本尊とした天台系の寺院 ( 現宗派としては聖観音宗所属 ) になります。


 ここの特徴は、誰でも自由に本堂に上がらせていただけ、本堂でお勤めする事ができるというところで ( 但し、 『 いちょう 』 H28年4月号 - No.268. - によると、個々のお勤めは 「 黙読で 」 というのが待乳山様のご指導のようです ) 、その為のお経本や経机なども無料でレンタルされています。


 参拝した当日は、年頭の 《 大根まつり 》 が盛大に実施されていたにも関わらず ( 大根は聖天さまの大好物だそうです ) 、本堂では何人かの熱心な信者さんがすでにお勤めに励まれていました。その際に、なかなかファンキーな光景を目撃する事ができましたので、ここでちらっとレポートしちゃいます。



 まずは、堂外で靴を脱いで本堂に上がり、外陣と内陣の際の所に設置されている 《 善行のマイレージ・ボックス 》 に Big Money を叩き込んでから灯明を捧げ ( 大根は省略 ) 、その脇に置いてあるお塗香入れからお塗香 ( 頭に “お” をつけると、それだけでなんか通っぽいでしょ w ) をいただいて身を清め、少し下がって三礼してから空いたスペースを探して堂内を見渡してみました。


 すると、本堂外陣のほぼ中央に陣取ってお勤めされているご婦人の姿が目に入ったのですが、なんとその方がただひたすらに平伏し続けておられるのであります。


 平伏したそのご婦人の前に置かれた経机の上には待乳山さんの在家用の折本が置いてありましたので、お勤めをされているには違いないようなのですが、平伏したまま、一向に起き上がる気配がありません・・・。


 はじめは、「 待乳山さんの在家次第にこんな所作あったっけ? 」 などと訝ったのですが、すぐに 「 コイツ・・・、 もしかして極楽金剛教の信者か? 」 と、ピンときました。


 いきなり 《 極楽金剛教 》 などと言われても、善良な市民の皆様には全然ピンとはこないだろうと思いますが、 《 極楽金剛教 》 というのは、極悪非道を屁とも思わない無頼漢の猛者どもが集うと噂されていた 《 にちゃんねる 》 という ( 今はもしかしたら呼称変更がされているのかもしれませんが定かではありません ) 匿名掲示板の片隅 ( 通称・神仏板 ) で、諸明王尊の真言念誦を中心とした信仰の布教による人助けを自らの使命とする極楽金剛さんという方が説かれる教えの事を言います。


 極楽金剛さんは、自称在家とは言うものの、逆に 《 在家偽装 》 を噂されるほどに博識を極め、にちゃんに出入りするレベルの並みな出家のコスプレ坊主如きではまったく歯が立たないほどの鋭い舌鋒で知られた方であります。


 そんな極楽さんに対して 「 在家のくせに真言を唱えるなぞおこがましいにもほどがある。在家は真言なぞ唱えずに、礼拝行でもしてろ、ヴォケ! 」 的な主張をされて難癖をつけてきたコスプレ坊主 ( 推定 ) がいて、そいつと極楽さんが軽く論戦を交わしたのちに極楽金剛さんがそいつを破邪するという事が以前にあったのですが、その破邪の後に極楽さんが、あれは難癖をつけてきた坊主に論駁する事に主眼があっただけで、礼拝行そのものには一定の効用があるとして礼拝行の勧めを説く、という事がありました。


 その際に、身体能力的に礼拝行の実践が無理だと泣きを入れてくる輩の存在も想定して、礼拝を繰り返すのではなくただ一回礼拝するだけで後はただ平伏しているだけ、という極楽式簡易礼拝行 ( 極楽金剛さんの責に帰すべきではないもののそれは、あるジャーナリスト崩れの勘違いで発生してしまったインチキ礼拝行でしかないのですが、それ ) も併せて公開指導したりされていたので、その事を思い出して、そのご婦人はそのあるジャーナリスト崩れの勘違いが生み出し、極楽金剛さんによって拡散されてしまったインチキ礼拝行に準拠してお勤めをされているのだろうな、と思ったわけであります。


 そんな事をつらつらと思いながら、見るとはなしに眺めていると、そのご婦人はやおら虚空に両手をレイズ・アップしその手に、学研の赤本でも読みかじったものだか、聖天様の印を結んで、念誦した真言の数をカウントするためにお数珠を繰りはじめたのであります。


 真言宗の坊さんなどは、両手に結んだ印を他人様の目にさらさないようにする為に、両手を袈裟で必死に隠したりと涙ぐましい努力をしているものなのですが、天台はなんとおおらかなのでありましょう・・・、っていうか、そいつがアホなだけなのか?


 ただひたすら平伏し続けるだけの極楽金剛教スタイルのインチキ礼拝行に、本来なら秘すべき本尊の印をこれ見よがしに誇示する有り余るばかりの自己顕示欲・・・、もしかしたら、あの方が闇の世界では有名な僧籍偽装疑惑阿闍梨・聖染さんなのでありましょうか?


 まぁ、この辺は、ごくごく狭い範囲の通な方にしか通じない話にはなってしまうので、分からない方はスルーしてもらって構わないのですが、そんなファンキーな光景を新年早々に堪能させていただき、せっかくなので本堂を右繞三匠してから待乳山様を後にしようとしたところ、本堂裏のお百度石のところで、新年早々から熱心にお百度を踏んでいるネェチャンと遭遇してしまいました。


 「 アッチャー、お百度かよ~ 」 などと内心思いながらも、本堂を右繞するうち、聖天様の印をこれみよがしに結んで真言念誦に励んだり、正月早々にお百度に励んだりしてるネェチャン達を冷めた目で眺めている私には、そこまでして聖天様にお縋りする祈願がそもそもない!という事実に突如として気が付き、愕然としたのであります。

・・・、ふ、幸だぁ~~~w


 そう、待乳山様に浴油祈祷を申し込んだり、日参したりして祈願すべき願いがそもそも今の私には見当たりませんw


 この年末年始を東京拘置所で過ごしたというカルロス・ゴーンのように何十億もの資産や年収があるわけでもない、ただのワープワだというのに・・・・w


 ・・・、いやいや、もしかしたら、これは不幸なのではなく、逆に、かえって幸福なのか?


 だって、地べたにべったり這いつくばったまま土下座し続けるインチキ礼拝行や正月早々にお百度を踏んだりしないで済んでいる訳なんですから・・・。


 やはり、熱心にお勤めに励んだり、お百度を踏んだりしていたとしてもその願意が、 「 金、金、男、男、金 」 というのでは、なんだかなぁ・・・、と、普通なら思いますもんねw


 そう、待乳山様へ提出すべき浴油祈祷の申込書の祈願の欄が空白のまま、というのは、私が幸福である証しであるはずだ・・・。


 そう思いなおし、だとするならば、今、私が幸福であったとしたならばそれは、総じては三宝と、別してはエスパー・小林さんが紹介されているパワスポのおかげであろう、と感謝を新たにした次第であります。


 新年早々に、そんなファンキーな体験をさせていただいた待乳山様を、境内の入口付近に佇まれる出世観音様に見送られながら後にして上野へと移動し、次は聖天様繋がりという事で湯島天神さま下の 《 湯島聖天 》 様へと廻ったのですが、これはまた次回という事にさせていただきます。