今週末はいよいよ日本の夏の民族大移動とも言われるお盆を迎え、都会に出ている方の中には地方への帰省を控えているような方もおられる事かと思います。
そんなこの季節には地方によっては迎え火の行事などを行なったりするところもあるのかもしれませんが、私の住む地域ではそんな風景はとんと見かけなくなっているようではあります。
しかしながら、それでも大丈夫、世界は今日も十字教の祝福と恩寵に満ち溢れ人々は皆幸せに暮らしているようではないですか・・・、不幸な上条当麻と私を除けば・・・。
お盆と言えば春秋のお彼岸と並んで最も盛んな日本の仏教的年中行事と言うことになるわけなのでありますが、そんなこの時期にネットを流してみると、「 この時期に多いのが、御盆はいつからいつまでですかと言う知らねば恥であろうという質問を平気でしてくる方が多いので困ったものです 」 ( 僧侶を自称する方の某ブログより引用 ) などと偉そうにふんぞり返ってほざいているコスプレ破戒坊主などの戯言が垂れ流されていたりするのに目を止めたりする事になったりもしたりするわけなのでありますが、それでも大丈夫、それも亦楽しからずやな今日この頃なのであります。
自分たちはそれを商売にして金稼ぎをしているルーチン・ワークなわけですから当然それは知らねば恥ともいえるでしょうが、それを一般在家の檀信徒に対してまで 「 知らねば恥であろうという質問 」 などとほざくコスプレ破戒坊主が幅を効かせて我が物顔で僧侶でございとふんぞり返っている我が邦のなんと仏縁の薄い事かと感慨を新たにするのも亦一興な今日この頃であったりもします。
そもそも現在日本で < お盆 > と呼ばれるものは正確には < 盂蘭盆会 ( うらぼんえ ) > と言い、その起源は 『 仏説盂蘭盆経 ( ぶっせつ・うらぼん・きょう ) 』 という漢土撰述の偽経にあります。
この法会の名前となっている < 盂蘭盆 ( うらぼん ) > という言葉は < ウランバナ ( ullambana ) > というサンスクリット語の音写で、 < 烏藍婆拏 > 、 < 烏藍婆那 > などとも写され、玄応という学僧が唐代の貞観年間 ( 627 - 649 )に撰述したとされる 『 一切経音義 』 による < 倒懸 ( 逆さ吊り ) > されるような苦しみという意味であるという説と、唐の慧浄が 『 盂蘭盆経 』 の注釈書である 『 盂蘭盆経讃述 』 の中で展開した < 盆器 > 説とが昭和の時代までは大勢を占めていたのですが、時代が平成に移ってからは、 < 盂蘭盆 ( ウランバナ ) > の語源は古代のイラン語の < ウルヴァン ( urvan ) > で < 魂 > や < 霊魂 > の義である、という新説も提唱されるようになりました。
葬祭業界関係や伝統宗派の H P などではまだ従来説のみしか記述されていない場合が多いようには見受けられますが、一般書籍や雑誌記事などの文献類では従来説と新説の両説を併記するのが最近の傾向のように思われます。
『 仏説盂蘭盆経 』 によれば、釈尊の十大弟子の一人で < 神通第一 > と称されていた目連尊者が、自身の亡き母を案じて神通力で透視したところ亡き母が餓鬼道に堕ちているのを発見し、それを憐れに思ってこれまた神通力で豪華なディナーを化作して提供しようとしたのですが、餓鬼道に堕ちたものの業ゆえに目連尊者の母であった餓鬼はそれを食する事ができなかったということです。
そこで尊者は師であるお釈迦様にその旨を申し上げて相談したところ、ちょうどサンガの <
この説話に基づいて、 7 月 15 日に寺の僧侶を招いて追善回向の法要を催すという伝統が生まれたわけですが、日本で始めてこの < お盆 > が行われたのは 606 年 ( 推古天皇 14 年 )とのことで、それ以来ある意味で日本最大の仏教行事として現代にまで廃れることなく伝えられ続けている事になります。
そして、現代に至ってお盆の時期は何時であるべきかと考えてみるならば、コスプレ坊主などとは違って私たち一般人の場合には、次の三つのケースがすぐに思いつくところであるかと思います。
- 旧暦換算の 7 月 15 日
( 旧暦の 7 月 13 日から 7 月 16 日 ) - 新暦の 7 月 15 日( 7 月 13 日から 7 月 16 日 )
- 新暦の 8 月 15 日( 8 月 13 日から 8 月 16 日 )
1 は旧暦のままに年ごとにその日取りを計算しようとするもので 2 は旧暦の数字を単純に新暦に写したもの、 3 は一般に旧暦は新暦では約一ヶ月遅れになるという事から旧暦の日付を新暦上で単純に月遅れにしたものという事になるかと思います。
実際のお盆の行事はそれぞれの地域によって上の 1 から 3 の内のどれによるかによって時期にずれがあるものであり、お盆商売でルーテイン・ワーク化しているのでなければ、在家の普通の人が上の三つのケースのどれになるのか ( どれが本当は正しいのか ) な?・・・などという疑問を持ったとしても、なんら不思議ではなく、まったく恥でもなんでもないのではないでしょうか?
そしてむしろ、もしも在家の者からそんな質問をされる機会があったとしたならば、 ( 相手に時間的な余裕があった場合には ) 少なくとも上に述べた程度の一般的なお盆の薀蓄などもまじえたりしながらそれぞれの時期の意味を説明しかつ自坊ではどの時期にお盆の行事を行なっているかを説明し、それをもって仏縁を深めるための機会とするよう務めるべきなのが出家なる立場を主張する者の最低限のあり方であろうはずなるところであるにも関わらず、それを戒を守りもしないコスプレ坊主風情がそのような有縁の在家信者に対して 「 御盆はいつからいつまでですかと言う知らねば恥であろうという質問を平気でしてくる方が多いので困ったもの 」 などとほざくというのはまさに末法を実感するべき珍事というべきでありましょうか。
まったくもって嘆かわしい限りであります ( まぁ、 「 ググれ、タコ 」 程度なら言っても許されるかな
とは思わなくもありませんが・・・
) 。
さらに言うならば、お盆の消息というものを正しく理解しているならば、そもそも夏安居の隠棲修行さえまったく顧みることのない日本のコスプレ破戒坊主ごとき輩が、どのツラ下げて偉そうにお盆について語るというのでありましょうか。
厳密にお盆の時期とは夏安居の隠棲修行が終わったまさにその ( 翌 ) 日なわけですから、そもそも夏安居の隠棲修行などまったくしていないコスプレ坊主しかいない日本ではお盆の供養などは本当ならば行いようもないはずなのですね。
まぁ、それでも、もちろんそんな正論ばかりで世間が動くわけでもないわけで、実際には形式的にお盆の供養を行なうわけでもありますが、もう少し恥というものを知るべきではありましょう。
いずれにしろ現実的なお盆の実際の風習としては、上述したような中国の孝養思想の混入した仏教風説話に上乗せする形で、亡くなった先祖が一時帰郷するという日本的な祖霊信仰がさらに混交する事によって、現在見られるような形の伝統が形成されたわけではあります。
お盆の時期に昔よく見かけた先祖の霊をお迎えするきゅうりの馬や、逆に先祖をお送りする茄子の牛、あるいはご先祖様の精霊を迎える < 迎え火 > やご先祖様の精霊を送り返す < 送り火 > などは偽経の 『 仏説盂蘭盆経 』 とさえ関係のない日本独自の習俗ではあるわけですが、でもそれがかえってお盆な感じを醸しだしているような気がしますし、お盆に先祖の霊が現界に帰ってくるというのはハロウィーンの起源になったケルト民族の民俗伝承にも少し似ている気もして面白いものではあります ( 子供の頃には田舎に帰省してそんな行事を体験したりもしたものであります ) 。
ちなみに、このお盆の時期に多くの日本の仏教寺院で盛んに行なわれているらしい < 施餓鬼会 > という法要はお盆の行事とはその由来や趣旨がまったく異なっているという意味でお盆とはまったく関係のない行事であります。
< 施餓鬼 > の典拠は 『 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経 ( ぶっせつ・ぐばつ・えんく・がき・だらに ・きょう ) 』 と呼ばれる経典で、仏陀釈尊の十大弟子の一人で < 多聞第一 > といわれた阿難尊者にまつわる説話が起源となっています。
同経によれば、ある日ある時、お釈迦様が迦毘羅城の尼倶律那僧伽藍 ( ニグロータ園 ) というところに滞在していた際に、阿難尊者が独りで座禅を修していると、夜の三更も
その話を聞いた阿難が焔口餓鬼に対してその難を逃れる方法はないものか訪ねると、明日のうちに百千那由他恒河沙數 ( ← 具体的な数字はともかく、物凄くたくさんの、という意味の形容です ) の餓鬼と百千もの婆羅門や仙人などに対して摩伽陀國で使っている
そこで ( そんな急にはそれほどに大量の供養の品を用意するのは無理だという事で ) びっくりした阿難がお釈迦様のところに飛んでいって五體投地頂禮佛足してから恐れおののきながらも事情を説明して相談したところ、お釈迦様から 「 ( 俺にナイスな ) 方便があるから心配するな 」 と言われて、その陀羅尼を唱えながら飲食を施せば倶胝那由他百千恒河沙數の餓鬼と婆羅門の仙人の全員に対して上等にして妙なる飮食を施して、摩伽陀國で使っている斛で 49 斛食を得させて満足させる事ができるという、 < 無量威徳自在光明殊勝妙力 > と名づけられた観世音菩薩所伝 ( お釈迦様が前世の修行時代に観音様他から授けられたものだという事です ) の陀羅尼、現在で言うところのいわゆる < 加持飲食陀羅尼 > を授けられて無事 < 施餓鬼 > を行って寿命を延ばすことができた、という事です。
この話からも分かるように、 < 施餓鬼> の行事には時期の指定がないので必ずしも < 自恣 ( 解夏 ) > という時期に合わせる必要はなく、さらに < 施餓鬼> の行事は広く餓鬼全般に布施を施すことが趣旨であってお盆の行事のように必ずしも自分の先祖に孝養することを趣旨とするものでもありません。
供養あるいは布施という行為の対象も、 < お盆 > の場合には仏教のサンガの主たる構成員である僧侶が対象であって 、 < 施餓鬼 > の場合には直接的に餓鬼が主たる対象となっています。
お盆の場合には施主 ( 現在では主に在家の者が施主になる場合が大半というかほぼ全てでしょうが、論理的には在家の者でな くてはならないわけではありません ) が僧侶・衆僧に対して供養して、その事によって発生した功徳を先亡に対して回向するというのが本旨の二段構えの構造がありますので注意が必要です。
いずれにしろ、お盆と施餓鬼のそれぞれのもととなったどちらの説話にもお釈迦様の十大弟子の内の一人が出てくる点や餓鬼が強烈なインパクトを持って出てくるところなどからいつしか両者の混同が起こってしまったようなのですが、僧侶が僧侶である唯一の拠り所である戒を守ろうという努力さえなされる事のない日本の職業的仏教業界においてこの消息を正しく理解している者が一体どれほどいるのかはなはだ疑問とせざるを得ないというべきで、全く嘆かわしい限りではありましょう。
もちろん、 < 施餓鬼 > 自体はそれを行うのに時節の指定がないわけで、指定がないということは逆に言えば < お盆 > の時期にあわせて < 施餓鬼 > を行う事にも瑕疵はまったくなく、逆により功徳をます為に < 施餓鬼 > もやっちゃおうかな、などと考えた僧侶がいたとしてもおかしくはないわけです。
そのような事例をその意味を理解しないままに他の未熟な僧侶が踏襲して混同が起きたという側面もあるでしょうし、あるいは亦、 < お盆 > というものは施主 ( 現実的にはほぼ在家の者 ) が衆僧を供養して ( そのお返しに衆僧が法施としての法要を営み、もって ) その功徳を先亡に回向するものですので、僧侶は < 法 > としては何を修しても良く、たまたま誰かが < 施餓鬼 > を修した ( あるいは功徳回向の法として施餓鬼法を援用した ) ものが拡まって両者の混同が起きた、という事もあるのかも知れません。
いずれにしても現代では < お盆 > の時期にあわせて < 施餓鬼会 > の法要を実施したりしている為に < お盆 > そのものと < 施餓鬼会 > とが混同されてしまっている傾向がありますので、まずはその両者がそもそもの成り立ちからして異なっているものだということを理解した上で、なおかつそれでもそれらは同時に成立し得るものでもあるという事を理解するという事が大切なのではないでしょうか。
純粋に仏教的な意味における < お盆 > の行事というものは施主 ( 現実的にはほぼ在家の者 ) が衆僧に供養しそれによって発生した功徳を先亡に回向するということが趣旨であり、僧侶は施主 ( 実際上は在家檀信徒 ) の供養 ( というのは大抵の場合は日本式に < お布施 > と呼ばれる < 財施 > ですね ) に対して < 法施 > として説法して法要を修するわけで、その際の法要の中味として < 施餓鬼会 > を行ったりする事もある、という感じになるのかと思います ( 単なるルーチン・ワークとして経を読んでいるだけのコスプレ破戒坊主の何人がその意味を正しく理解しているかは繰り返しになりますがはなはだ疑問ではありますが ) 。
ところが、そのお盆の供養の対象となるべきはずの衆僧が日本においてはただのコスプレ破戒坊主 ( ただ職業として僧侶の格好をしているだけの宗教的には偽者の坊主もどき ) しか見出しえない・・・、という哀しい実情があったりもしていて、お盆というのは、この日本という国がいかに仏縁の薄い国かという事を見つめなおす良い機会の一つとなってしまうという今日この頃なのでもあったりしているようではあります。
でも、それでも大丈夫 、十字教の祝福と菩薩の行いは常にあなたのもとにあることでしょう。
・・・。
あぁ、ちなみに、遠い昔にオカルトの世界ではかなり名前の知られているある方の講演を聞きに行った際にそのある方が 『 お盆はチベットから来た 』 などとおっしゃられているのを聞いて唖然としたのを今でも覚えています。
その方はオカルトの業界ではまともなほうの方だとばかり思っていたのでなお一層驚かされたものでありました。
お盆の典拠となる『 仏説盂蘭盆経 』 というお経は上にも述べたように漢土撰述の偽経であって、 ( 漢訳からの訳も含めて ) チベット大蔵経には基本的に収録されていません。
お盆の典拠となった『 仏説盂蘭盆経 』 という経典がそもそも存在していないチベットで一体どうやってお盆の風習が生まれるのか、小一時間ほどその某有名人を問い詰めてみたいものですが、ほんとオカルトの輩とは度し難いもののようであります。
さらにちなむと、お盆とは違って施餓鬼の典拠となった 『 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経 』 はチベット大蔵経にも収録されているんですけどね。
なお、お盆と施餓鬼会との簡単な比較表を作製してみましたので何かの参考にでもしていただければ幸いです。
お盆と施餓鬼会の比較表
お盆 | 施餓鬼会 | |
---|---|---|
典拠 経典 |
( 1 )『 仏説盂蘭盆経 』 T-No.685.
( 2 )『 仏説報恩奉盆経 』 T-No.686.
|
( 1 )『 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経 』 T-No.1313.
( 2 ) 『 仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経 』 T-No.1314.
|
経典 漢訳者 |
( 1 )西晋
竺法護 ( 2 )[ 東晋 ] 失訳 |
( 1 ) 唐・不空、
( 2 ) 唐・実叉難陀 |
蔵語訳 | なし
|
あり
|
教えを 受けた 弟子 |
神通第一 目連 |
多聞第一 阿難 |
実施 時期 |
僧自恣 ( 解夏 ) の日 |
任意 ( 指定なし ) |
対象 | 衆僧
及び 祖霊 |
餓鬼
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チベット仏教での伝承 | 伝承なし
|
相当する伝承あり
|
最後にもう一つちなむと、お盆の時期に ( 多くの場合はお盆の行事と混同されながら ) 実施される事の多い施餓鬼会でありますが、浄土真宗では < 施餓鬼会 > を行う習慣はなく、曹洞宗では伝統的な < 施餓鬼会 > という呼称は 「 施す立場と施される立場があるのは貴賎の差のようでよろしくない 」 として < 施食会 > と呼称変更して < 施餓鬼会 > と同内容の行事を行っているそうです ( < 施食会 > にしても食を施す側と施される側があって変わりないような気はしますが・・・ ) 。
まぁ、以上お盆に纏わる諸々の事をつらつらと書き連ねてみたわけですが、いずれにしても、世間一般のニュースなどでお盆という場合は現行暦の 8 月 13 日から 8 月 15 日あるいは 16 日あたりの時期を指しているわけで、このあたりの時期に製造業や多くの民間企業などで < お盆休み > と呼ばれる休業期間が設定されているため、そんな時期に商店などに何か取り寄せの依頼などをしても 「 お盆休みの時期にかかるのでいつもよりお時間が・・・ 」 などと言われたりするというのも良くある日常の風景だったりもしますね。