今日は記念すべき 7 月 16 日・・・ ラブラブ


 そんな ( 記念すべき目出度き日をルンルン気分で過ごしていたりする ) 今日この頃、あまり詳しくないというよりもまったく知らないと言っても良いのですが、中華人民共和国の四川省は蔵族出身の女性歌手で alan さんとかいう方がいるようで、その方の曲で 『 群青の谷 』 などというものを聴いております。



 楽曲のリリースそのものは去年の 2 月 ( avex trax ) という事なのですが、その当時は話題になっていたのでしょうか?


 まぁ、蔵族出身というある意味 《 特殊 》 な属性から一部のマニアには当然知られていましたし、何やら 『 レッド・クリフ 』 とかいう映画の主題歌を歌ったりしたらしいという事で彼女自身は知られてもいるようなのですが、音楽にも政治にもマニアではない一般レベルではどの程度の知名度なのかはよく分かりません。


 この楽曲は Cocco さんの提供によるものという事で、四川大地震おおじしんがらみでどうも基本的には自然に対する賛歌をモチーフとしたものであるらしいという事なのですが、プロモーションのビデオ・クリップを観ていると、それ以外のものに意識がちらちらと向いてしまいます。


 ビデオ・クリップの前半に、本当にほんのチラッとだけ映る僧服姿の出演者エキストラによるラマ・ダンスのシーンがとっても印象的で、これは映像製作者の意識の中では特別な意味は持たないほんのちょっとしたエキゾチシズムでしかないのだろうな・・・とは思いながらも、そのような製作者サイドの自然賛歌というモチーフ以外の感興を抱いてしまいがちになってしまう私の意識には、フラットなつもりでいながらももしかしたら政治的な偏向フィルターがかかってしまっているのかもしれない・・・、と気づかされる事となったりもしました。


 「 山が泣いた / 上手にあやせなかった 」 などというあたりを聴けば、やはりこの楽曲のテーマは 《 対自然 》 として解するのが自然なのでしょうが、ビデオ・クリップの映像を観ているとどうしても人間的な営為としての政治的なものをイメージしてしまいがちになります。


 ところが、ちなみに映像を観ずに歌詞を目で追いながら音楽を聴いてみたら、不思議な事に政治的なものに意識が向かうことはなく、かといって自然というわけでもなく、なぜかエウレカ的な世界に意識が向いていったりもして面白いというよりも ( 無意識的とは言え ) 映像によるミス・リードの恐ろしさと発信者と受容者それぞれの側における主体性のあり方の難しさのようなものを感じたりもしました。


 それはともかくとして、対自然という意味においては、当然のことながら充分とは全く言えないながらも、現代の自然科学の水準はかなりの達成を示しているのではないかと思われ、それに比較して人間の営為そのものに関わる成果の貧弱さというものに思いを致すとどうしても意識はあらぬ方向に彷徨しようとしてしまうようです。


 確かに大自然の力に対して人間の力が無力であり、例えば大地震によって多くの命が失われたとしたとしても、所詮命あるものは死ぬわけではあるんですね。


 コンニャク・ゼリーではなく餅 ( それこそ政治的な理由からコンニャク・ゼリーによる窒息死ばかりが悪く言われていますが、実際にはコンニャク・ゼリーなんかによるよりもその何倍もの数の人間が餅による窒息死の被害にあっているらしいですね 叫び 、なのに餅は無問題モーマンタイでコンニャク・ゼリーばかり規制しようと意図されている社会の現実を見ると、ほんと政治とは恐ろしいものであると実感させられてしまいます ドクロ ) をノドに詰まらせての間の抜けた窒息死であろうと、大自然の脅威を示す大地震おおじしんによる被災死であろうと、所詮は死は死として等価のような気がする私からすると、大いなる自然に対する畏敬というよりは人間の営為に対する絶望という視点の方がより大きく私の心に影響を与えてくれるのですが、・・・、まぁ、それは作者の意図ではないのでしょう。


 いずれにしろ You Tube には残念ながら全曲ヴァージョンはアップされていないようなのですが、こちらから全曲の視聴ができるようですし、 You Tube にはメイキング映像も投稿されていて、そちらでは中国語版が B G M として流されているようです。



alan outro 群青の谷 Making Video (Voice of Earth)

 中国語版の音の響きなども結構良さげな感じがします。


 それにしても、ルックスも良く、歌唱力という意味での実力もありそうでありながらも、下のような映像を観てしまうと少し素直になれないところがあったりしなくもなくてかなり複雑な心境にもなってしまいます。



群青の谷 alan

 まぁ、これもお笑い全盛のバラエティ至上主義的な日本社会の中で商業的な成功というビジネス原理に従った合目的的な言動なのではあるし、彼女自身ももともとそういうキャラ性を持っていたのかもしれないのでなんともいえないところもあるとは思うのですが、お笑い全盛のバラエティ至上主義的な日本社会の弊害とウザさを改めて感じた今日この頃なのでもありました。


 「 アーティストでございますが何か・・・ 」 的な感じでツンとすましていられてもそれはそれでアレな感じはするのですが、こうやってなんでもかんでも舌ったらずな日本語でイミフ気味な発言のブリッ子で受けを取りにこられてもなぁ・・・、とふと思ってしまうのは、もしかしたら私の脳髄がすでにツンデレにやられてしまっているからなのでしょうか はてなマーク


 もしそうだとしたならば、それはそれで良い事なのでしょう。