2019年9月20日例会にて
ただいまご紹介に預かりました勝本光平と申します。
僕は近畿大学の産業理工学部を卒業しましたが、キャンパスは福岡にありま
す。IT系の学校で、ソフトウェア開発コース・インターネット開発コースがあ
り僕はソフトウェア開発を専攻していました。一日に5時間から7時間はパソ
コンの前に座ってカチャカチャとプログラミングを4、5人の友達としていた
んです。先日4年ぶりに福岡で同窓会をしまして、その友達というのも男ばか
りですが映像処理の仕事や自転車の通販の電話番とか、パソコンの設置修理。
東京にいたり四国にいたりと転々としている人もいます。映像処理の仕事をし
ている人に仕事内容を聞いてみると、AVいわゆるアダルトビデオのモザイクか
けだったり撮影に同行してフィリピンまで行ったりと、まぁいろんな職業があ
るなーと話していたのですが、それはそうと河田君は何をしてるの?と聞かれ
まして、美術館の職員をしていると伝えたところ、一瞬の間があってみんなの
頭の上に「?」がついているのが見えましたよ。それと同様に皆様の中には「
美術館の副館長ってどんな仕事なの?」「何をしているの?」と思われる方も
いると思います。5年前に私が最初にこの仕事に就いた時はもちろん平社員で
して、現在は副館長をさせてもらっていますがその時の仕事とほぼ変わりませ
ん。全部の事を他の社員と一緒になってしています。全部というのが雑用も含
めてですね。例えば、美術館の主な仕事の一つに展示替えがありますが自分た
ちでするわけです。他の美術館と一緒かどうか、うちが特殊なのかはよく知り
ませんが、展示替えをした時に日本画や茶道具を飾って、その横に題名とか作
者名が書かれたキャプションというボードを設置します。そのボードは、皆様
もご存知だと思います「うさぎや」という文房具屋で売っているのです。それ
に自分たちでのり付きの印刷用紙に印刷をして貼り付け裁断して壁に貼り付け
るというところまでします。
それに、うちの美術館では猫を二匹飼っているのですが、その子達のご飯を
やったり、オシッコ用の砂を交換したりとにかく何でもですよ、特にうちの美
術館は私営というのもありまして、職員が少ないので。今いるのは館長を含め
て3人。何でもしなきゃだめなのです。
もう一つの主な仕事として、これはうちの美術館の特殊なところではあるの
ですが、茶道に関しての仕事がありまして、これは発案を館長がしまして、そ
れの実現のために僕と他の社員が動くということで、主に年に数回茶会や茶事
、茶道教室なんかもしていますが、茶道教室では館長が講師を、夜の部で青年
部というのを僕が立ち上げまして、週に1回開講しており。まだ生徒は二人で
今後二人新規に来られる予定ですが、まだまだこれからですが、基本的な所作
から始まり水屋の仕事や薄茶を指導しています。
特に茶事なんかは何ヶ月も前から準備をしなくちゃいけないのですが、まず
は茶事に来られる人を選定して1ヶ月から2ヶ月前に手書きで手紙を書きます
。江戸時代のような横長の奉書紙にフデを使って書いていくんです。
うちでは大体4日間から1週間、間に休憩日を入れて毎日茶事をするわけで
すが、1日で5人、4日すると20人です。20人に手書きで送ります。お客
さんの中にはもちろん大御所もおられるわけです。以前、僕がまだ美術館にい
ない頃は手紙をパソコンで打って出していたそうなんですが、職員にたまたま
フデでなんとも言えない上手に書ける女性の方がおいででして、たまたまです
ね、字を書いているのを当時の職員が見て「あなた書けるの!?」となりまし
た。こうして、手紙を手書きするようになったんですが、お茶の世界では、手
書きというのが絶対という風潮があるようで、印刷なんかもっての他だと。こ
こは何時代なの?っていうぐらい、そういう伝統というか昔のことをずっと続
けてきております。ただ、そういうことが茶道が存続してこられた一因である
と思っています。そういう事情でうちの美術館の茶事でも[ご案内が]手書き
になったわけで、大御所の先生方からも、「やっとまともになったわね」と褒
めていただきました。
茶事というのは初日が一番緊張していて準備はちゃんとできているか、足り
ないものはないかお客さんはちゃんと時間通りに集まってくれるのかととにか
く気が張り詰めます。二日目、三日目になるとだんだん緊張も解けて楽になっ
ていくんです。風炉の時期はまだまだ暑い時期なので、初めに懐石で食事をし
てもらってから炭を注いで濃茶になるんですが、懐石の間じゅう火種が密かに
風炉に入っていて、そこに炭をくべていくということになっております。基本
的に茶事というのは二人いれば進行できる間の取り方をしてます。これは実際
に裏方をされた方しかわからないことでありまして、初めの頃、まだ僕が茶事
というものに初めて裏方で参加した時には、裏方は料理屋を除いて6、7人い
まして、そんなにいたのにもかかわらずバタバタとあれが足りないこれをしな
ければとしていた記憶がございます。それも茶事をこなしていくうちに現在で
は亭主とお点前補佐二人いれば茶事が進行するようになっていき、やがては亭
主と半東[亭主の補佐役;飯頭ともいう]の二人でできるのではないかと先が
見えてきております。茶事ができて400年以上になりますがお茶というのは本
当によく練られて試行錯誤されて完成されているんだなと感心をいまだにさせ
られます。おもてなしの精神というのが重要で、お越しになったお客様に笑顔
で満足して帰っていただくということで、非常にやりがいのある仕事だと思っ
ております。
話は変わりますが、今から5年ぐらい前、僕がまだ結婚する前のことです。
当時僕がまだ体重が100キロあった時、服のサイズが2Lだときつくなってき
て3Lにしなくちゃとなった時に服を探しに行くと、なかなか普通のお店では
売っていないことに気づいて、これはまさか非常にまずい状態ではないのかと
やっと気づいたわけでございます。そこでダイエットを決意するわけです。何
ぶん僕は面倒くさがりで、何事も調べて安全であると納得した上でしか行動が
取れない気質です。インターネットであれやこれやと調べてたどり着いたの一
日一食というものです。これはヨガの考え方を取り入れています。ヨガでは楽
しむために食事をするのではなく生きるために食事をするという考え方です。
なので一日一食というのは結果的にダイエットになっているだけで、本来は健
康法であるということです。インターネットの書き込みや評判を見てみると、
色々な芸能人が実施していて有名なところでいうと、タモリさんやさんまさん
、俳優の福山雅治さん、ミュージシャンのガクトさんなんかもしていて、しか
もそれは何ヶ月とかではなく10年以上続けているということでした。あんなに
活気や生力のある方々が一日に一食の食事だけで生きているということ、一人
だけではなく複数人いることで、僕にもできるんじゃないかと思いまして実践
をしていくわけですが、いきなり一食にすることは難しいと思ったので徐々に
一食にしていこうということにしました。そこで、まずは朝食を抜いて慣れた
ら夕食を玉ねぎのみのポトフに変えました。それを3ヶ月続けて最終的に昼一
食にしたわけでございます。3ヶ月しているあいだにすでに10キロ近く痩せま
した。こうして3ヶ月かけて一食にしたわけでございます。24時間のうち
20時間は空腹の状態というのがだんだん普通になってくるわけです。一日に
お腹のムシが4、5回鳴るのですが、1回目は胃に物が入ってないという合図
、2回目は物を食べなさいという合図、3回目は非常食を消化しますよという
合図。3回目以降が重要で、非常食というのがお腹についている脂肪を使いま
すということで、3回目になるとなんだか嬉しい気持ちになるんです。気づい
たのは物を食べると余計にお腹が減るということで、食べると血糖が上がって
下がる時にお腹が減る。なので比較的夜の方が昼間よりも楽です。
一日一食というのは体を飢餓状態にして体内の脂肪を効率よく燃やそうとい
うことです。それを2年近く実践しました。体の変化としまして体重はピーク
時で35キロ減って65キロになりました。会社での血液検査でも数値が全て良
好の範囲内に収まりました。そこまでは健康法なのでそうなるかなと予想はし
ていました。一番驚いたのは、結婚式をハワイのコオリナというところで挙げ
ました。帰国した時に、日本では入国検査が全て自動になっていました。なの
でパスポートを機械に入れてカメラで認証するんですが、何回も空港職員さん
にやり直しを命じられ、その通りにするんですが通れない。3回ほどやり直し
たんですが、職員さんも諦めて端っこに一つだけカウンターがあるのでそこに
行きなさいということになり、そこで無事に帰国できたというエピソードがあ
ります。
パスポートの写真が10年前のまだ100キロ近くあった時の写真だったので
日本の技術をもってしても認証できなかったということが非常に驚いたことで
す。このままでは非常にめんどくさいし、ちょうどパスポートが切れる年だっ
たのですぐにパスポートを取り直しまして安堵しているところですが、今度は
また元に戻った時には認証されないんじゃないかと思いますので頑張って維持
をしていこうかと思います。ご静聴ありがとうございました。
勝本会員のスピーチ原稿に基づき、会員の会話調の言葉の調子を崩さ
ない範囲で、句読点を入れわずかに言葉を修正いたしました。
広報委員会 石津・尾坂