S.63.1.8入会 職業:陶工芸 S.22.8.5生

 

「なさけの庭」は児島虎次郎が石井十次の設立した岡山孤児院で寮母と孤児たちを描き東京府勧業博覧会美術展へ出品、一等賞を受賞し、明治天皇の皇后陛下がその絵を大変お気に召され宮内省お買い上げとなった出世作である。

 

 この絵に描かれた寮母は鈴木陽(山口陽)(1877〜1929)という人である。鈴木家は豊臣時代から伊勢国亀山藩士であった。彼女は9歳の時母を亡くし大変苦労して勉学に励み、当時日本で一校しかなかった東京女子高等師範学校(お茶の水女子大の前身)を卒業、大垣高等女学校の教諭となる。数年後、当時岡山孤児院は新たに東北地方の孤児も迎え一千名以上となり、資金に人手に大いに窮乏、その話を聞くにおよび、彼女は一大決心、同高等女学校教師を辞し1906年岡山孤児院に入り寮母となる。献身的に奉仕し、孤児たちに慕われる。「なさけの庭」はその時に描かれる。

 

 お礼に児島虎次郎氏から絵を2枚いただいている。残された書簡の中に彼女が「なさけの庭」の画中の寮母として描かれたことについて書かれたものがある。彼女は石井十次氏の人柄を文章や短歌に残している。

 

 その後、私の妻の大伯父、山口金作(京都、平安教会牧師)と結婚、牧師夫人としても立派に働き多くの人々から慕われる。彼女の墓は、私の妻の実家の墓所、備前市香登にある。