H.28.2.5入会 職業: 小児科医 岡山済生会総合病院 小児科診療 部長 S.29.11.23生

 

30年前の自分を思い出してみました。30年前といえば、医者になって5年。私自身にとっても、家族にとっても、大変大きなイベント、米国留学の年でした。奈良秋篠寺の少し北側に居を構え、子どもも生まれ、小児科医としてもようやく給料がもらえるようになったし、論文もかきあげたし、さあ自分の将来設計という時期に降ってわいた話でした。

 

 その頃は卒後1年間大学病院、その後市中病院に勤務し、研究生として大学に戻るというのが普通で、大学病院では非常勤医員になるまで平均1年程度無給が当たり前でした。私は不手際のため2年間無給だったので、非常勤医員のわずかな給料でもとってもうれしかったことを覚えています。

 

 ようやく安定した生活に未練を残しながら、伊丹空港からセントルイスに家族3人で向かいました。そのころ、自分の足にしがみついていた娘も結婚して30年の月日の流れを改めて実感します。

 

 米国での生活は、なかなか結果が出なかったりして、つらいこともたくさんありました。海外電話もお金がかかるし、日本の状況から切り離された環境は思いの外しんどかったように思います。その反面、楽しいこともたくさんあって、家族と過ごす時間をたっぷり持つことができ、帰国時にはもっとながく居たかったなぁ、と思うようになりました。

 

 私は今、魚釣りが唯一の趣味みたいな状態ですが、このころに娘のおもちゃの釣り竿で自然公園の池で魚釣りをしたのがきっかけだったようです。