愚痴、悪口、その他諸々。 -3ページ目

愚痴、悪口、その他諸々。

タイトルの通り陳述します。

おはようございます。

この週末は久々にレンタカーを借り、12時間ぶっ通しで走り回ったのち、
よくよく考えれば一人はもう出会って5年になる友人らとカラオケで喉を苛め抜き、
帰って服を着替えるか着替えないかの内に床に就き、そのまま20時間ほど寝ました。
タイムスリップ感が半端無いですはい。

最近、こうして気難しいジジイみたいな回りくどく長ったらしい文章を書くことが、
一つのストレス解消法になっていることに気付きました。

そして今朝も例に違わず、ふとしたきっかけでいらぬ事を思い出し、
ストレスが増えるワカメの如く急速に膨らんでるので、
こうしてボロボロのキーボードを叩いているわけあります。

たぶん今日は悪口を書きます。
私の汚い部分に触れたくない方は、「安易に結婚の覚悟などするものではない」と言う事だけ
心に刻んで、今日の朝食の内容でもつぶやくためにmixiトップに戻ってください。







いらぬ事というのは言うまでもなく、4ヶ月前の惨劇のことでありまして、
いやはや本当に、冷静になればなるほど、見返せば見返すほどに、
憎しみとも愛情とも取れぬ複雑な感情に苛まれるわけであります。

ふとしたときに、「消化するのに5年くらいかかりそうだ。」などと冗談半分で口にしていますが、
割と現実味を帯びてきた気がします。なんせ4ヶ月経ってこのザマですからね。

「恋人がほしい。」とは言うものの、ほんの半年ほど前までもっていた深い愛情を、
誰かに向けるだけの体力はまだ微塵も無く、むしろ「何を信じればいいのか」などと、
完全に闇に落ちてしまった感すらあります。

実際問題、今は都合よく抱き寄せて撫でてくれる相手が欲しいだけで、
ただの依存恋愛にしかならないものと思われます。

結婚という一つの変化に向けて、あらゆる物を迎合させていく過程の中にあった訳ですが、
無論、精神性であったり、思考法というものも、その対象であった訳です。
二年半かけて変えたものが4ヶ月そこいらで戻るはずも無いのは明白であります。

板金と同じです。他者による強い力が掛かって形が変わったものを、
一人で戻すのには地道な作業と時間が必要な訳です。

誰の言葉だったかは忘れましたが、「結婚というのはアイデンティティの融合である。」
という趣旨の文章を、発達心理学の文献で目にしたことがあります。

この言葉にもっと早く出会っていれば、結果は変わっていたのかも知れません。
しかし、ああいう結果になっていなければこの言葉に出会う事は無かったでしょう。
なんともはや、無念という他ありません。

今は、とりあえず大学という目標を、半ば無理に立ち上げて、
ある意味「逃げ場」を作っている訳ですが、それが正しかったのかは今は分かりません。

しかし、ふと「大学に行って何になるのか。」という疑問に悩まされることがあります。
無理もありません。4ヶ月前まで就職して人一人を生涯養う覚悟を決めていたわけですから、
そうそう寝返れるはずも無いでしょう。

おそらくこの葛藤は、愛情の深さの証なのでしょうが、一人になってしまえば、
そんなものは自由な人生を阻害する腐った鎖でしかないわけで、いやはや困ったものです。

新たな恋に恵まれるのかどうかは知りませんし、知ったところでどうしようもありませんが、
最近はそもそも自分の性的指向が分からなくなってしまっています。

「分からなくなった」というよりは、「結婚に向けて“性的指向”というものさしを捨てていた」
といったほうが、より正確かもしれません。
つまりは、覚悟という形で、他の可能性を自ら勇んで切り捨てていたわけです。
生涯一人を愛するのであれば、そんなものは二度と必要ではないはずですからね。

そんなことで、あらゆる面で結婚以外の可能性はほとんど全て捨て切っていましたから、
4ヶ月そこいらで戻れないのは、悔しいことながら自分の中でも辻褄が合ってしまうわけです。

あえて加害者という言い方をしますが、彼女には今の私の心情は微塵も理解できないそうで、
決して嫌味ではなく、情の薄さに彼女の未来を憂うばかりであります。

さすがにあの時期に何の論理的根拠もなく恋人という相手にトドメの一撃をいれただけあって、
冷酷非道な考え方を持っている事は痛感しましたが、その考えは全く理解に苦しむばかりです。

無論、私にも未熟であったところがあるのは当然の事ですが、そのことを差し引いても
「許すまじ」と思わざるを得ないものなのです。

願わくば、二度と私のような人間を生み出さないで生涯を終えられるように。
残念ながら今の私に、彼女の幸福を心から願う事はできませんので、それだけ。

さて、性的指向の話に戻りますが、
一応私自身はオムニセクシャルという分類に属するのだと認識しています。
随分前の日記でこの概念に触れた気がしますが、口語訳すると
「性別はなんでもいい」とでも言いましょうか。

「バイセクシャル」が「両性愛」と訳されるように、あくまで性別二元論の範疇であるのに対し、
「オムニセクシャル」というのは「全性愛」などという訳され方をします。
つまりは、「男女」以外も可、ということであります。

多少面食いですが、こと性別に関しては、本当に何でもいいです。
「形振り構わぬ」という意ではなく、選考項目に含まれないです。

恋愛の駆け引きに履歴書提出という習慣があれば、自社書式の履歴書から、
真っ先に性別欄を廃止します。まだ学歴のほうが気になるレベルです。
「代わりに交通違反歴の欄でも作りましょうか」っていうぐらいにどうでもいいです。
たぶん諸々の事情で子孫を残す意思が無いのが拍車をかけています。

ただまぁ、性行為の話になると、やはり***が***で***なのと、情が入りすぎるので、
書面で婚約するまでは行為に至らないというのもアリかと思い始めていたりします。

朝からなんと生々しい話を書いているんだろうか・・・有働アナも流石に引くレヴェル。

えー、続けます。

性別は本当に何でもいいのですが、「好み」というのは勿論あるわけです。
あえて性別二元論的言い方をすれば「中性的」な人が好きです。考え方の面で。
「知性と感性」のバランスが上手く取れている人とでもいいましょうか。

感情論振りかざす為に理屈こじつけてくるのではなく、
愛情は根本にあるのだけど、論理的なものに愛情を添えて渡してくれる人というか、
アイデンティティの成熟した人が好いです。
精神年齢という面で見れば自分より少し上の方ですかね。

どういうわけだか、好みを語ってしまいましたね。
私事ついでに、イタいのを承知の上でいろいろ考えたことを書き殴ってみます。

「恋と愛の違い」ってよく言いますよね。
私は欲=恋、思いやり=愛だと思ってます。
端的に言えばですけどね。

これに似たものとして私は性愛と親愛という考え方をしています。

一つずつ端的に定義すると、
性愛=生殖を目的とした本能的性欲や、独占欲、金銭欲といった自分本位なもの
親愛=理性的な思いやり、相手の幸福を願う、相手の為に何かをするといった相手本位なもの
という具合に考えています。

どちらかだけだと、前者は恋人止まり、後者は親友止まりだと思うんですよね。
自分本位な欲求の利害が一致しているだけでは精神的な意味での結婚は出来ませんし、
思いやりあってるだけで性的感情が無ければ恋愛には発展しないと思います。

共同生活という面では、後者でも、つまりは親友関係なら成り立ちそうにも思いますね。

結婚、というのはこの性愛と親愛という二種類の感情のバランスが、
互いに上手くつりあって完成するものであると思いますし、そうあるべきだとも思います。

だから間違っても「世間体」だとか「親族の目」だとかそんなものは副次的要因であって、
そんなものを気にする段階で、婚約はおろか、交際すらするべきではないと思う訳です。

感情が高まっている間は気にしない。というのはいささか論理性に欠け、
なんとも行き当たりばったりだと思いますし、そんな状況で相手に愛情を語るのは無責任かと。
もっとも、長年付き合えば相手の負の部分が見えてきますから、
それに拠る変化は仕方ないものですけれど。

恋愛感情というのはどちらかというと性愛の類ですから、移ろい、いずれは冷めるものです。
交際の中で親愛を育まないと、いわゆる倦怠期に関係が終わってしまう訳で、
そこが理解できずに、表面的なものを原因としても、同じことの繰り返しになるものなのです。

まぁ、毎回倦怠期に終わればまだいいですが、男女においては一時の快楽の為に妊娠したり、
婚期を逃すまいと焦った結果こういうものが不十分なまま婚約、結婚してしまうと、
その後に、取り返しのつかない事態になりかねないのです。
運良くその後に知性的親愛を育めればいいですがね・・・
最悪の場合、実子という、もっとも愛すべき存在を巻き込む事になりかねません。

えー、大分好き勝手書きましたね。意外と心理学ではなくYUKIの影響が強いです。
勿論心理学の影響も少なからずあるのですが、「YUKIは強し」です。

養老孟司氏の著書に「脳は一次関数の計算機だ」といった内容がありますが、
まさにその通りだなぁと思います。これは脳科学的にも理に適った形容だと思いますが

彼曰く、「y(出力)=ax(入力)」だそうで、つまるところどういう事かというと、
出来事や物理的刺激をxとして、それぞれが持っている関数aがそれに掛かることで行動、
すなわち発言や動きのyが決まるのだ。ということだそうです。

そして、私の関数aにはYUKIの多大な影響があります。
影響がありますというか、かねてから思っていた事が上手く書き表された、
というべきかもしれません。

歌詞を引用するといよいよスイーツJDみたいな事になるのでやめておきますが、
しっくりくるものが非常に多いです。

最近心理学系の書籍・文献を読んでも同じ現象に陥るので、
もしかしたら心理学という学問も肌に合っているのかもしれません。

「私の考え方を知りたい」と思ってくださる方で、
このまどろっこしい文章が嫌な方はYUKIを聞いてください。
好きな音楽って性格出ます。特に歌詞がある曲は露骨に出ます。
面白いぐらい出ます。心理療法に音楽療法ってのがあるぐらいですから。

えー、脱線しましたね。
っていうか今日は端からトライアルバイクで林中突っ走るかの如く好き勝手書いてるので、
レールなんてもともと無いんですけどね。

さて、次はどこに行きましょう。
白バイ愛とかいっときますかね。根っこはYUKIと同じです。

可愛い・エロい・理知的っていう三拍子です。

三つ目が大事です。いくらエロカワを体現してようが、
感情論振り回して論理的根拠をろくに示せないようなのは無理です。

もしシンガーソングライターになっていたら白バイの曲はたぶん作っていたでしょう。
まぁ白バイといっても、VFR姉妹がメインで他の皆様はそこまで魅力は感じないんですけどね。

眠いので話があちこち行きます。大脳が確実に疲れ始めています。

論理的根拠と某ドラマの某古美門先生のように連呼していますが、
巷で言う「理屈っぽい」ヤツになるんでしょうね。

論理的根拠を求める論理的根拠、ちゃんとあるんですよ。
というのはですね、感情も理屈も出てくるのは脳みそであって、出所は一緒なわけですよ。
ということはですよ?論理的根拠がアウトプット時に優先される人の方が、
行動に正当性や論理性が望める訳で、移ろいやすい感情論を無責任に吐き出す人より
格段に信用できる訳です。

もちろん感情も時には向けてもらいたいですけど、
その感情の論理的根拠を説明できない人は、やはり先々その意見が、
変わってしまう可能性が高い訳ですから、結婚とか処女くれてやるとか
そういう重大な相手には相応しくないと思うのです。

この話は先の性愛と親愛にも繋がってくると思うんですよね。

例えば付き合ってすぐの相手を好きな論理的根拠を示せるのって、
ある程度相手のことを知って、友人と呼べる時期があった場合に限られると思うんです。
むしろ「なんか好き」とか曖昧なものであったり「可愛い」「ヤリたい」といった身体的魅力、
あるいは「金持ってる」だとか、あくまで付加価値である部分しか具体例を出せない事が
少なくないと思うんですよね。

逆に友人の場合、出会って期間が経っていなくても「趣味が合う」だとか
「会話の間や返し方が好き」だとか、結構具体的にその論拠を示せるんじゃないですかね。
もちろんどちらもケースバイケースですし、一概に言えるものではないですが、傾向として。

こういうことから、相手を信頼して、感情を出し合いたいが為に論理性を求める訳で、
カタブツなわけではないです。たぶん。

さーて、大分と書きたいこと好き勝手書いてすっきりしたので、今日はこの辺で。
また会いましょう。次はもうちょっと真面目に書きます(笑)