亡き祖父の遺品より | 大分県バス文化保存会 代表ブログ

大分県バス文化保存会 代表ブログ

 
生まれたばかりの私は、
母に抱かれ、特急バスに揺られ
この町にやって来ました。

山と海、一面と続く松林…
幼い私の唯一の楽しみは、
街からやってくる
特急バスを眺めることでした。

昭和52年 陸の孤島国東
ここから全てが始まりました。


私の亡き祖父は戦時中教員を務め、戦後湯布院町(現由布市)に深く関わり、観光地として発展する町と共に歩んで参りました。あの別府観光の父と言われている油屋熊八ともその昔面識があったようです。



別に爺さんの自慢をしている訳ではありません。最終的にはバスネタです。



では何が言いたいかと言いますと、最近思い出したのですが、爺さんはいつもカメラを持ち歩く癖がありまして、いつも一見どうでもいいものをパシャパシャやってまして、婆さんに「いい加減にしなさい!」と怒られていた記憶があるのです。



と言うことは・・・
戦後の貴重なバスが写り込んでいる可能性が大である!!ひょっとしたらお宝写真が眠っているやもしれない!!



と・・・ふと思いまして前回帰省した際、父の了解を得まして爺さんの残したアルバムを調べて参りました。



いゃ~とにかく膨大な量で気が付いたら徹夜になってしまい、終わった頃には全身埃で真っ黒でした。これでも全部見きれませんでしたが、発掘した一部を公開致します。



写真は父の許可を貰ったというか、写真そのものを譲り受けましたので、ご安心下さいませ。



さて何があるかな~?笑


おおおお!
どうやら大分国体の時の写真のようです。
丘の上に大分交通のRC320や大分バスが見えます。いずれも路線格下げ前の貸切時代のバス達の若かりし頃の貴重なシーンであります。



ハイ次↓


ぬおおおおおおキター!!
昭和30年代前半の写真と思われます。後ろのバスは一見大分交通に見えますが実は大分バスの旧塗装です。現在のカラーになる前は大分バスはブルーリボンカラーでした。色は白地に水色がかった青色ラインでした。



ハイ次↓


おそらく現在の国道210号線が舗装される時の写真かと思います。今まで砂利道だったので舗装される喜びを噛み締めて撮った一枚のようです。右側のバスは亀の井バスの路線バスのようです。センターアンダーフロアエンジン車と思われます。



ハイ次↓


九州横断道路(やまなみハイウェイ)開通直後の写真のようです。戦後の不便だった時代を生き抜いてきた爺さんは、やまなみハイウェイの開通を非常に喜びまして、幼い私はいつも枕元でその感動を聞かされました。



ハイ次↓


おおおお!
爺さんと国観バス初期車!!
絶対出てくると思いました。九州国際観光バス(通称九州横断バス)は九州横断道路(通称やまなみハイウェイ)の開通に合わせて開業したバス会社で、まさにやまなみハイウェイ、当時の九州観光全盛期の象徴とも言える存在でした。



ハイ次↓


ちょちょちょちょっと待ったー!!
これはヤバいヤバすぎるぞ!!
落ち付け!ズームだ!ズーム!!





げげげ・・・芸術だ!!
よくやった爺さん!!

このバスに、長身の若いイケメン運転手と綺麗なガイド(兼車掌)さんの微笑ましいシーン、さらにバスに戻ってくる乗客。まさに昭和のメーカーパンフレットや絵本に出てきそうなグッドショットであります。

しかし国観バスでこの車種は初めて見ました。おそらく開業時の昭和39年の初期車グループだと思うのですが・・・ということでちょっと調べてみました。






う~ん。ボディはこの辺の日野車RAが近いような気がしますが、ただ高速用です。他の同期車のMARや4Rとあまりにも出力が違い過ぎます。う~ん中身はRC100あたりが載っていたのでしょうか??イマイチ良く解りません。引き続き調べてみたいと思います。



最後こっちもズーム↓


多分時期的にRBかRC100あたりかと思いますが、西工かな??カマボコが出る少し前にこんな微妙なやつがいたような気が・・・ちなみにいずれのバスも分散クーラーを付けていますねー!!冷房車がまだ出始めの初期時代は多かったようです。



【最後に】
亡き爺さんの写真ですが、実はバス以外にも終戦直後の歴史を感じる写真がザクザク出てきてビックリしているところであります。またそのうち第2弾をやりたいと思います。

とにかく地域を愛した方でして、戦時中から戦後にかけて、大分県が湯布院別府が発展していく過程や色々なエピソードを、孫である私にいつも嬉しそうに話して聞かせてくれました。

この数々の写真は私が亡き爺さんに引き継ぎ大切にさせてもらいたいと思います。

では今日のとこはこの辺で!!
おやすみなさい。