前回に引き続きまして2代目以降編出発致します。意味が良くわからない方は前記事を参考にされて下さい。
ちなみに「○代目」という表現は正しくないかもしれません。実際には初代や3代目とダブって運用されてましたので・・・導入された順番と捉えて頂ければ良いと思います。ということで・・・
【2代目】
[登録番号]大分22か・881
[年式]昭和57年式
[形式]いすゞK-CLM600V
えー写真がこんなのしかなくてスミマセン。実はこの車両大分交通初の観音開きの4枚折戸の新車購入です。
内装は初代と変わり、現在と同じすべて前向きのベンチシートでした。モケットは当時大分交通で流行りました、赤のザラザラシートです。私はあまりこのザラザラシート好きじゃなかったのですが・・・笑
とにかく長い車両で、公道を走れるギリギリラインだったと思います。当時この形式を導入した会社は少なかったと思います。
※千葉のオリエンタル交通に多数同型車が居ました。
この車両は初代や3代目と平行して活躍しましたが、空港ホーバーバス廃止時に長さの関係で転用出来る路線がなく、除籍されています。年式的にどこかに中古で転売されているものと思われますが、どこに行ったかは、不明のままです。
【3代目ー①】
[登録番号]大分22か1035
[年式]昭和58年式
[形式]日産K-31N(西工58MC)
この車両はとにかくビックリしました。
なんせ時代はまだまだモノコック時代だった訳で、偶然大分空港でまだシートにビニールがかかった状態で待機しているコイツに対面した訳です。
当時の大分交通は新車が来るとしばらくビニールを着けたままで運用してました。多分「コイツは新車だぜスゲーだろ」みたいな感じだったのかも・・・(笑)
実際、空港から出てきた客がみんな足を止めて見上げてました。「ありゃ~こりゃすげーな!上等なバスやわ!」←大分弁w
内装は2代目と一緒でモケットも赤のザラザラシートで導入されました。
空港ホーバーバス廃止後は塗装変更、モケットの交換、ワンマン改造等を行い大分営業所に転属して大分市内線を中心に活躍しました。
【3代目ー②】
[登録番号]大分22か1066
[年式]不詳→多分昭和50年前後
[移籍年]昭和58年頃
[形式]三菱呉羽→MR470もしくはMP117K?
※追加情報→B800Lとの情報頂きました。
[前所有者]長崎自動車
こいつは貴重ですよ~!
なんと元長崎バスの中古導入です。形式は微妙でありまして、昭和51年式以降はMPですが、それ以前はMRとなります。ボディが一緒なので判りにくいのですよ!ケツの雰囲気から多分MPの可能性が高いと思います。
興奮して猛烈にピンボケが残念な限りです。。。ネガはあるので現在の技術でなんとかならんもんですかねー(笑)
[追加情報]・・・と思っていましたらB800Lとの情報を頂きました。B8の板バネ版ですね!まさかB8とは想像も付きませんでした。
[実は1年くらい路線車だった!?]
猛烈に知られていないですが、私の記憶ですとこの車両、昭和58年頃から約1年程杵築営業所に配属され、赤バスカラー(現行路線色)で活躍していた記憶があります。
昭和58年というと大分交通の塗装で現行の赤色のバスが初めてデビューした年になります。小学生だった私は朝、集団登校中にいきなりコイツと鉢合わせしました。
当時の新塗装車でさえ珍しかったこの時期に、かって国東で見た事のない後ろ扉車が
いきなりやってきたので、もうビックリでバスに興味のない他の子まで「なんだ!あのバス!」と騒いでおりました。バスに興味の欠片もない母でさえ「今日買い物に行く時変わったバスに乗った・・・」と話していたくらいで、それだけ田舎で目立つ存在でした。
ただ予備車的な存在だったのか、国東に来たのは最初だけで杵築営業所で休んでいる事が多かったように思います。
で!・・・気がついたら、いつの間にかホーバーバスになっていた訳です。多分同一車両で間違いないと思います。
またまた私の推測ですが、
何らかの理由で1年早く転籍してきてしまい、初期車が昭和59年に廃車になってますので、おそらくその間の繋ぎで杵築営業所で路線車をやっていたものと思われます。
しかし僅か1年で再塗装とは、贅沢な限りであります。(笑)
※3代目の上記2車両は昭和59年説もあります。ナンバーから見ますと多分58年で間違いないと思いますが、うーん・・・もし59年ナンバーだった場合は元長崎バスの車両は59年移籍の60年頃ホーバー配属になるわけで・・・ある業界雑誌では1058が58年式になってますので多分大丈夫と思いますが・・・ただこの年式は専門誌でもやたら間違えが多いのも事実でありまして・・・
まぁ!多少の誤差は勘弁!!
今日のとこは「こまけーこたーいいんだよ!」でお願いします。(笑)
【4代目】←最終
[登録番号]不詳
※追加情報→1567との情報頂きました。
[年式]不詳→多分昭和50年~52年式くらい
[移籍年]不詳→平成1年以降と思う。
[形式]西工以下不詳→日産U20L
[前所有者]不詳→多分西鉄
なんだああああコイツは!!!
平成4年の5月に国東営業所を訪ねたら、私の知らないやつが廃車になっているではないですか!!
私は平成元年に国東を離れ、県南の大分バス、JRバスのお膝元にお引っ越ししてしまいましたので、平成元年以降の私の知らない間にやってきたものと思われます。
多分長崎バスの中古が平成3年のホーバーバス廃止前に先に逝ってしまい、その繋ぎだったものと思われます。
マニア的には廃車にせず路線車に変身してほしかったな~(笑)
伝統あるピンク塗装も平成元年~3年までの間に変更されたようです。
ということは・・・1035は3回も塗り替えられた事になりますね!(笑)
こうして、1991年平成3年12月
新空港ビルの完成に伴いホーバークラフトはドリフト噛まして空港への直接乗り入れが可能となり、ホーバー空港のりば連絡バスは、ひそかに20年の歴史に幕を下ろしました。
やがて2009年10月
日本最後のホーバークラフト(大分ホーバーフェリー)自体も廃止となり日本国内のホーバークラフトの歴史に幕を下ろしたのであります。
【最後に・・・】
ホーバーが欠航するとよく国東営業所から
雨の中、空港特急の簡易サボ差し込んでバタバタ続行便を出していました。あの光景も遠い遠い昔の話しになってしまいました。
連絡バスなんて普通の人は誰も目にも止まらない存在かもしれません。
しかし私は大切に思いたい。
そう思います。
勿論バスに限った話しではありません。
全てのものに大切な役割と歴史があると思うのですよ!それで社会は成り立つているんだと思います。
【最後のおまけ!!】
昔のホーバーバスを知る人達は大爆笑でした!後に一時期運行していた別府行きエアライナーの写真です。
担当者が昔のカラーを利用したのでは??とか色々憶測が飛び交いましたが真相は不明のままです。
カラー番号まで一緒のような気がするのは私だけ??(笑)
【お・わ・り】






